2011/08/23(火)00:19
【相馬訪問記 Part2】その1「忘れないで、ここに大切なものがあったこと」
昨日、南相馬市仮設住宅集会所で原発事故賠償説明会&個別相談会を開催するため、静岡の弁護士4名で福島入り。
説明会自体は大盛況で、4名ともてんてこ舞いの忙しさで、行ってよかったと心から思ったが、同時に、ものすごく重い宿題を心に沢山引き受けてきて、心がずっしり重い。
どんな宿題か、どんな解決策が必要か、順次、ブログにアップしていこうと思うが、まずは、津波被害現場を再度、訪れた感想を。
4月に行った際には、まだ瓦礫撤去がほとんど進んでおらず、なぎ倒された建物、ひしゃげた車、横倒しになった漁船、大きくゆがんだ石油タンク等が一面に転がっているという壮絶な光景だった。
ちなみに、4月に行った歳の相馬訪問記はこちら↓
http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201105200000/(その1)
http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201105200001/(その2)
4か月経った昨日、瓦礫はかなり撤去が進み、津波被害跡地は一面の草原になっていた。そう、4か月の間に、雑草がたくましく生え、むき出しの大地を緑の絨毯で覆ったのだ。
まるで、この土地は、元から広大な草原だったかのよう。
4月に行った際も、あるはずの光景が全部なくて言葉を失ってしまったけど、今回は、相馬に住んでいた私ですら、どこに何があったのか完全にわからなくなってしまった。瓦礫という手掛りを失ってしまったから。
相馬市にも南相馬市にも、おそらく除染効果を期待してだろう、たくさんの向日葵が群生しており、大輪の花を咲かせていた。雑草草原に点在する向日葵の黄金色の花はすくっと太陽に向かって伸びていた。人々が願いを託した花、向日葵。
不謹慎だけど、一面にそよぐ雑草草原は、向日葵の花の輝きも手伝い、どこまでもたくましく、そして美しかった。
でも、雑草の合間に、しっかりと打ち付けられたコンクリートの土台が数多く存在している。そう、家々の基礎だ。
「忘れないで」「私たちを忘れないで」「ここに人々が暮らしていたこと、ここに大切なものが沢山あったことを忘れないで」と悲痛な叫びが聞こえるような気がした。
時は容赦なく経過する。
自然は、大地の傷を驚くべく早さで修復する。
でも、同じスピードで、大切なものを何もかも失った人の心の傷は治りはしない。
どんな目に映る光景が変わろうと、決して忘れてはいけない。
この地に、大切な人を、大切な家を、大切な想い出を、未来への希望を流されてしまったたくさんの人々がいることを。
今や、「目に見える地獄」もなくなりつつある。写真や映像の中でしか見られなくなってきた。でも、人々の心に焼き付けた風景は、どんな強大な力を持ってしても消すことができない。
私は忘れない、絶対に忘れない。
さて、相馬訪問記はまだまだ続きます。続きはこちら↓
http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201108220000/