弁護士YA日記

2011/09/18(日)01:17

追悼:高野嘉雄先生

弁護士業務(168)

東電の損害賠償本払手続が始まり、弁護士会としても一弁護士としても課題は山積みで、色々なものと闘う日々、人々を導く巨星がまたひとつ墜ちてしまった。 偉大な刑事弁護人として、多くの弁護士に慕われていた高野嘉雄先生が、64歳の若さで亡くなられた。ここ1年は入退院を繰り返していらしたということだが、余りにも急な訃報に大きな衝撃を受けた。 といっても、私は、高野先生とは、ほとんど直接の接点がなく、遠くで憧れていたにすぎない。 初めて、高野先生とお目にかかった(というかお姿を拝見した)のは修習生時代に、付添人経験交流集会に参加したときのこと。 若手弁護士が中心となって企画した分科会に高野先生も私も参加していたのだが、高野先生は舌鋒鋭く報告者を批判しており、その指摘は的を得たものであったものの、余りにも強い調子だったので、新米の私は、ドキドキと推移を見守っていた。 「怖い先生なんだなあ」と思っていたら、懇親会で隣り合わせの席になり、うわあと思いながらも、折角の機会、とおずおずと話しかけてみたところ、ニコニコと気さくに応じて下さったことにびっくりした。 そのときに、この先生は、刑事弁護を愛する故に、若手弁護士の将来を考える故に、敢えて厳しい発言をされたんだなあと確信したというか、心に刻まれた気がする。 高野先生の刑事弁護魂の真髄が表れていると思うのは、「刑事弁護ビギナーズ」(平成19年、現代人文社)掲載の「刑事弁護人列伝」に収録されたインタビュー。 訃報をお聞きして、もう一度読み返してみたところ、文字通り、一言一句、心に沁みた。 全文御紹介したい位だが、特に印象に残る部分をいくつか、引用させて頂く。 「結局、弁護士は自分の感性しか拠るべきものはないんだよ。自分の感性に従ってちゃんと議論をして、激論であってもつかみ合いのけんかであっても、そのなかで自分の考えの至らないところを見直して進んでいくしかないよね。建前の議論ではなくて、人間としてのコアに忠実に従わないと、弁護士として納得できる事件処理というのはできないと違うかな」 「犯罪に対する最大の抑止力はやっぱり人間関係ですよ。この人を悲しませてはいけない、この人を裏切ってはいけないという、そういう当たり前の人間に対する思いが最大の犯罪の抑止力になると私は思ってます」 (そういう人間関係が見つからない人は?と問われ) 「弁護人は最後の情状証人だというのが私の持論だからね。自分が情状証人になって、なんとか立ち直って、こんな生活から足を洗ってほしいという気持ちをぶつけるしかないですよ」 (努力しても通じない相手を見切ることはないのか、と問われ、正直にいえばないわけがない、とお答えになり、続けて) 「それでもやらなきゃしょうがないから、同じようにやりますよ。ダメだと思ってもやるべきことはやらないと。やってダメやったというのは納得できるけど、ダメやと決めつけて何もしなかったら後悔する。結果はあくまでも結果だよ。結果がどうであれ、その人の心の中には『ああ、こんな弁護士がいたな。世の中に俺のことを心配している人がいるんだな』ということは必ず残ると思う。私はそれだけは疑わない」 どんな境遇の方にも揺るぎない愛情を持ち、自分自身の感性を鋭く研ぎ澄まされて拠り所にされてきた高野先生の生き様が良く伝わる珠玉のインタビューだ。 かなうものなら、もっとお近くでお話しをお聞きしたかった。 こんな時代だからこそ、先生のご指導を受けたかった。 たとえ肉体は既になくとも、先生の魂は、沢山の若人に影響を与え続けると思います。 高野嘉雄先生、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 安らかにお眠り下さい。

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