弁護士YA日記

2012/05/17(木)02:18

皇后陛下のご講演

外出先で見かけたテレビで、天皇、皇后両陛下が、訪英されたというニュースを見た。 先週末には、仙台で国際会議に出席された他、仮設住宅にて被災者のお見舞いもされており、続く強行軍にお体が心配になってしまう。 私は、皇室のあり方とか歴史にはとんと疎く、両陛下の動静については、報道される内容を断片的に拝見しているだけなのだけど、両陛下の国民に対する「慈愛」という既存の言葉で置き換えるのがふさわしくないと思える程の深い深い愛情には、じわりと涙がにじんできてしまうときがある。特に東日本大震災後、両陛下から、お言葉で、そして、行動で発せられる数々のメッセージには、心が何度も熱くなった。 先週末の仙台訪問にしても、私が購読している朝日新聞によれば、 天皇陛下が2月に冠動脈バイパス手術を受けて以来、公務での地方訪問は初めて。体調を考え「(国際会議の)最低限の行事だけの出席」も検討されたが、羽毛田長官は「陛下は一貫して被災者を気遣われ、仙台に行ってお見舞いなしで帰る選択肢はなかった」という。 とのこと。部外者の私ですら感銘を受けるのに、被災者の方はどれほど励まされるだろうか。 訪問された際にも、被災者の一人一人に寄り添うお言葉をおかけになっていたとのこと。 さて、「言葉」といえば、両陛下の談話や国民との対話で選び取られる「言葉」の美しさ、深さは特筆すべきものがある。 テレビで拝見した両陛下の映像に触発されて、久々に記憶から引っ張り出した文章のこと、ちょっと書き留めておきたくなりました。 私が最初に、皇后陛下はなんと美しい日本語をお使いになるのだろう、と認識したのは、平成10年にさかのぼる。第26回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会(1998年)で、皇后陛下が、「子供の本を通しての平和--子供時代の読書の思い出」と題する講演をされたのだ。 この当時もその後も大きく報道された記憶があるので、既に多くの方がご存知だと思うのだけれど、皇后陛下の感性のしなやかさ、言葉の美しさには、当時大学生だった私は、大きな衝撃を受けた。 全文は宮内庁のHPに掲載されています↓ http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html 全文、宝石のかけらみたいな文章なのですが、特に、この弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)の最期に触れた一節を読むと、何度読んでも、頬を焦がすような火の熱気、ぱちぱちとはぜる枯れ草の音、その中でひしと寄り添う二人の瞳に映っただろう赤い炎と互いへの信頼と愛情、荒れ狂う海の中で木っ端みじんになろうとする和舟、弟橘比売命の目を伏せた白い横顔、口元に浮かんだ決意の微笑み、強く組み合わされた合掌する細い指・・・といった情景が浮かんできて、神話の世界に引き込まれていくような気持ちになる。 該当部分を引用します。 父のくれた古代の物語の中で,一つ忘れられない話がありました。 年代の確定出来ない,6世紀以前の一人の皇子の物語です。倭建御子(やまとたけるのみこ)と呼ばれるこの皇子は,父天皇の命を受け,遠隔の反乱の地に赴いては,これを平定して凱旋するのですが,あたかもその皇子の力を恐れているかのように,天皇は新たな任務を命じ,皇子に平穏な休息を与えません。悲しい心を抱き,皇子は結局はこれが最後となる遠征に出かけます。途中,海が荒れ,皇子の船は航路を閉ざされます。この時,付き添っていた后,弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は,自分が海に入り海神のいかりを鎮めるので,皇子はその使命を遂行し覆奏してほしい,と云い入水し,皇子の船を目的地に向かわせます。この時,弟橘は,美しい別れの歌を歌います。 さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも このしばらく前,建(たける)と弟橘(おとたちばな)とは,広い枯れ野を通っていた時に,敵の謀(はかりごと)に会って草に火を放たれ,燃える火に追われて逃げまどい,九死に一生を得たのでした。弟橘の歌は,「あの時,燃えさかる火の中で,私の安否を気遣って下さった君よ」という,危急の折に皇子の示した,優しい庇護の気遣いに対する感謝の気持を歌ったものです。 悲しい「いけにえ」の物語は,それまでも幾つかは知っていました。しかし,この物語の犠牲は,少し違っていました。弟橘の言動には,何と表現したらよいか,建と任務を分かち合うような,どこか意志的なものが感じられ,弟橘の歌は――私は今,それが子供向けに現代語に直されていたのか,原文のまま解説が付されていたのか思い出すことが出来ないのですが――あまりにも美しいものに思われました。「いけにえ」という酷(むご)い運命を,進んで自らに受け入れながら,恐らくはこれまでの人生で,最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに,感銘という以上に,強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも,愛と犠牲という二つのものが,私の中で最も近いものとして,むしろ一つのものとして感じられた,不思議な経験であったと思います。 この物語は,その美しさの故に私を深くひきつけましたが,同時に,説明のつかない不安感で威圧するものでもありました。 古代ではない現代に,海を静めるためや,洪水を防ぐために,一人の人間の生命が求められるとは,まず考えられないことです。ですから,人身御供(ひとみごくう)というそのことを,私が恐れるはずはありません。しかし,弟橘の物語には,何かもっと現代にも通じる象徴性があるように感じられ,そのことが私を息苦しくさせていました。今思うと,それは愛というものが,時として過酷な形をとるものなのかも知れないという,やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への,恐れであり,畏怖(いふ)であったように思います。 まだ,子供であったため,その頃は,全てをぼんやりと感じただけなのですが,こうしたよく分からない息苦しさが,物語の中の水に沈むというイメージと共に押し寄せて来て,しばらくの間,私はこの物語にずい分悩まされたのを覚えています。 はあ・・・素敵。 これ以上野暮な解説を付け加える気にならない。 ちなみに静岡には、倭建御子(やまとたけるのみこ)を祭った草薙神社があり、私は、皇后陛下のご講演を拝読したこともあって、初詣とか何かの節目の時には、この神社にお参りに行きます。 小さいのですが、古くて荘厳な雰囲気で、私はとても好きです。 近いうちに、私の大切な土地に暮らす大切な人々の幸せを祈りに、またお参りに行きたいなあ、とこの記事を書きながら思いました。

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