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弁護士YA日記

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日出町法律事務所
2019年6月より1年間、日本弁護士連合会客員研究員としてイリノイ大学アーバナシャンペーン校に留学後、弁護士業務を再開しました。
弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)
2012.06.29
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カテゴリ:弁護士業務
先日、国選で受けた刑事事件で、60代半ばの被告人(男性)の方から、とても嬉しいお手紙を頂いた。

事案の内容は書けませんが、あらゆる観点から、実刑判決(執行猶予が付かず、現実に刑務所に入らなければならないということです)やむなしという事案で、弁護の内容で、もたらされる結果を大幅に左右することはできないことが、かなり初期の段階から分かっていた。

通常、民事事件、刑事事件問わず、あらゆる事件において、「結果」を目指さない活動はあり得ない。普通に考えれば、依頼者の方は、プロフェッショナルたる弁護士に、「良い結果」を求めるために、決して安いとはいえないお金を払ってくださっている。

だから、たとえ、依頼者の方が、「どういう結果になってもいいのでやるだけのことをやることに意味があるから、たとえ結果が出なくても闘いたい」と口では仰っていても、そのまま鵜呑みにしてはいけないといつも思っている。その言葉に寄りかかることで自分に甘えが出てしまう気がするのだ。

ただ、一方で、弁護士という仕事には、最終的な結論を自分で決められないという内在的な限界があることも事実だ。「判断権者」ではないし、「相手方」でもないから、「この結論に持って行きたい」と思っていたとしても、「判断権者」がそう思わなければ、または、「相手方」も同じ結論に至らなければ、望む結論は得られないのだ。

刑事事件はその内在的限界が存在する最たる例で、「判断権者」が弁護人ではなく裁判所であるということに加え、これまでの判例の蓄積でいわゆる「量刑相場」が大筋で決まっており、この枠を大きく踏み外した判断が出ることは現実的には「ほとんど」ない(とはいえ、偶にあるので、刑事弁護はやめられないんですよ・・・笑)。

あらかじめ設定された狭い枠の中で、何ができるのか、どんな活動がプロフェッショナルの名に恥じない内容なのか、そもそも結果をほとんど左右できないとしたら、何のために自分は活動するのか・・・本当に突き詰めて考えると難しい問いだ。

私は、弁護士になって9年目になる。
9年なんて、この世界では、まだまだひよっこだけど、でも、それでも9年やってきた。
この年月の中で、幾度となくこの問いにさらされてきて、経験の中から、自分なりの答えを試行錯誤しながら模索してきて、今も、答えが出ているわけではないけれど、それでも、敢えて答えらしきものを言葉にするとしたら、

「弁護人の仕事は、結果を目指すだけではなく、結果を目指すその過程である、人生の一時を共に歩むことでもある」

ということになろうか。
目の前の方は、偶然の巡り合わせで、「刑事被疑者」もしくは「刑事被告人」として私と出会った(少年の場合もありますね)。何故、彼、彼女は、今この場所にいるのだろう。どういう人生を辿ってきたのだろう。そういうことを一緒に考えるという姿勢で臨むこと、それ自体に意味を見いだそうと思っている。

それを私に教えてくれたのは、相馬赴任時代に担当したある少年事件だったのだけど、この話を書き出すと長くなるので、割愛。

*もし、どんな事件だったのか知りたいなあ・・・等という奇特な方が万が一いらしたら、、拙稿「子ども時代への階段を降りて掴んだ55条移送決定」(季刊刑事弁護50号 平成19年)をご参照ください。

そんなわけで、お手紙を下さった被告人の方の弁護も、そういう気持ちで、つまり、「結果は左右できないかもしれないけど、人生の一時を共に歩ませてください」という気持ちで行った。

・・・あの、こう書いてきて、何ですけど、ここまで読むと、すごく崇高で素敵な活動をしたように誤解する人がいるかもしれませんが、あくまでも「気持ち」ということでありまして、実際の活動は決して充分とはいえませんし、弁論要旨も手紙を頂いた後から見返しても、まったくもってオーソドックスなことしか書けていませんです、ハイ(苦笑)。

ただ、その「気持ち」が裁判所に伝わったかどうかは、まだ判決が出ていないから分からないのですが、下記のお手紙を拝読すると、被告人の方には伝わったのかなあ・・・とじんわり感じて、それは素直に嬉しかったのです。
弁論って、私、いつも、裁判所以上に、被告人の方に聴いていただきたいという気持ちでやっているので。


前略

先日は有難うございました。
温情ある弁護を頂いて、先生の厚意が伝わり、心より嬉しく思いました。
判決がどの位の結果であろうと、一生懸命に心情を代弁して頂き、先生の情状の話を聞いていて、充分に判事さんにも反省の気持ちも理解して貰えたと実感致しました。

あんなに永々と情を訴えて、一生懸命に・・・と、連行してこられた刑事さんが、あんな弁護士さんも居るんだと話しておられました。

先生に約束した様に、最後の努めとし、人生の再出発の心機一転となる様に反省して分相応な暮らしが出来る様に、強い決意で一日も早く社会復帰するよう、努力して頑張ってきたいと想っております。
気力を失わずに、前向きに進むしかないので自分自身にもっと強くなれる様にこれからは生きていきます。

葦名先生にもお身体大切に、これからもお元気で居られます事、祈っております。

本当に心よりお礼申し上げます。
乱文にて失礼します。


ね?ちょっと嬉しくなりますよね(自慢、自慢、笑)?

弁護士の生き甲斐って、決して、報道されたり、歴史を変えたりするような大きなことばっかりじゃなくて、小さなことでも、日常生活の中にある人との関わり、触れ合いの中にあるのです。






Last updated  2012.06.29 12:29:31



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