2013/02/26(火)00:57
浜通り
先日、原発事故賠償の新規のご相談をお受けした。
あの悪夢の事故から早くも二年が経とうとしている。
でも、事故はまったく終わっていない。
時の経過は、被害者を癒していない。
むしろ、権力を持つ勢力による明らかに意図して為された問題の矮小化及びすり替え、そして、人々による無邪気かつ無意識の忘却は、被害者の傷口に塩を擦り込んでいる。
この怒りと悲しみ、何としても言葉にしなければ、理屈にしなければ。
そんな想いに駆られる打ち合わせだった。
重苦しい部屋の空気を、一瞬、和ませた魔法の言葉は、意外なことに、「浜通り」だった。
「私は五年前に相馬にいたんですよ。だから、原発事故が起きる前の、のどかで綺麗な浜通りを知っています。」
自己紹介のつもりで何気なくこう言った時、目の前の悲しみに溢れた瞳に、明らかにキラリとした光が宿った。
「浜通り。福島の人しか使わない言葉ですね。懐かしいです。」
そう、福島県の太平洋沿岸は、浜通りと呼ぶのです。
地形や交通アクセスの問題で、実際の距離以上に、内陸部と海沿いの浜通りは遠い。逆に、浜通り間の往き来は、常磐線でずっと繋がっているし、車でも平坦な一本道で、内陸部にある福島市や郡山市(中通りといいます)に行くより、はるかに楽ちん。
夏は涼しくて冬は雪が降らないという快適な気候、心を開くと、とことん人懐こいといった人々の気質も似ていて、浜通りは、全部で一つだった。
でも、今は、元の美しい地名とは関係なく、帰宅困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域という無機質な名前の区域が浜通りに点在し、一つだった浜通りは、ずたずたに分断されている。
常磐線も一部区間でしか運行していないし、当然、一本道をひたすら走るだけだった車での移動も不可能になった。
住んでいた人々は、全国散り散り、コミュニティも、人の心も、引き裂かれた。
もはや一つの地方とは呼べない。
浜通り。
この美しい地域を破壊したものを、私は、絶対に許さない。
矮小化、すり替え、無関心、風化・・・負けてたまるか、負けるもんか。