弁護士YA日記

2014/01/15(水)09:41

世界史から学んだこと

現政権が、高校での日本史の必修化を検討しているというニュースに触れ、何とも複雑な感情が沸き起こる。 日本史には何の恨みもない、というより、むしろ、歴史は大好きだが、昨今の情勢を考えると、「そうだよね、日本人だもんね、日本史を学ばないとね」なんて無邪気を装うことは難しい。 魂胆があるに決まっているのでありますよー。 ああ、きな臭い。息苦しい。 私には、生きにくい世の中です。 かくいう私は、高校時代、世界史、地理選択だった。 といっても地理は受験のために選択しただけで、ほとんど独学に近い学習をしており、余り愛着を覚えていないが、世界史は、国語と並ぶ大好きな科目だった。 世界史を担当されたH先生の講義は、今思い返しても、本当に密度が濃く、週2コマの世界史が楽しみで楽しみで仕方がなかったことをよく覚えている。 私の言葉の土台を作ってくださったともいえる国語を担当されていたM先生同様、H先生も、予習復習をさぼると、その厳しきこと、鬼神の如しだった。 たとえば、古代から現代に至るまでの国家の名前を10秒以内に一気に暗唱できなければ、中国史を学ぶ資格はないと仰り、一人ずつ立たされて暗唱させられた記憶がある。 お陰で今でも、いん、しゅう、しゅんじゅう、せんごく、しん、ぜんかん、しん、ごかん、さんごく、せいしん、とうしん、なんぼくちょう・・・ほらね、スラスラ言える(笑)。 どの科目でも、叩き込まれた基礎は、生涯に渡って自分を支えてくれるのだなあと本当に今頃になって思う。 もっともっと貪欲に勉強しておけば良かったなあ。 かくも厳しいH先生は、生徒が授業中に集中しているかどうかも鋭くチェックされていたようで、世界史の授業があった日の放課後、通りかかった担任のK先生に、「H先生が、今日の葦名は、身が入っていなかった、と言っておられたよ。何かあったか」と声をかけられて、図星!と物凄くびっくりしたことがあった。 その時、何故身が入っていなかったかは、今となっては覚えていないのだが、少なくとも目に見えるような形で予習をサボったわけでも、私語をしていたわけでもなかったので、何で私の内面までわかるんだろうと驚いたわけです。 でも、それだけの鋭い洞察力をお持ちの先生だった。 H先生の講義は、お手製の詳細なレジュメに沿って進められていくのだが、そのレジュメには、作成の際に参考にした文献資料が豊富に引用されており、どれ程膨大な準備が必要だったのだろうか、と頭が下がる。そう、教科書をなぞるだけの内容では全くなかったわけです。 H先生は、歴史上の人物にスポットをあてつつ、その周囲を照らしていく感じで、最終的に歴史全体を学ばせる手法で講義を進めておられた。司馬遷の史記における列伝方式とでも称すべきか、その当該人物が、その時代、何を発言し、何を考え、どう行動したのかに光を当てることで、時代背景を浮き彫りにしようとされていたように感じます。 このような手法のため、私にとって、歴史上の人物は遠い過去の遠い人ではなく、私たちのすぐ隣にいるような息遣いまで聞こえそうな身近な存在で、彼、彼女の苦悩、喜びを、あたかも同時代に生きる人間であるかのように感じられたものだ。講義中、何度も目が潤んだ。 今でも覚えている。 剣奴スパルタカスの置かれていた苛烈な境遇を。 神の声を聞いたジャンヌダルクの逡巡と余りにも無惨な末路を。 「貧しきものは幸いなり、天国は彼らのものである」と説き、社会的弱者の圧倒的支持を集めたイエスの教えが、彼の死後、権力に利用され、異教徒の徹底的な迫害につながっていったことを。 私は、16歳から18歳までの3年間、古ぼけた地方公立高校の教室にいながら、キズだらけの小さな机を前にして、時空を超えた旅をした。 あの旅で味わった限りない幸せは、忘れようがない。 世界史を通して学んだことは数限りない。 中でも、あの旅を通して、人間は、自分が体験していないことでも、足掛かりとなる客観的な事実と豊かな想像力の翼さえあれば、どんなことでも体験することができるということを肌で学べたことは、私の人生をとてつもなく豊かにしてくれた。 歴史は、権力者が恣意的に振り回せる道具ではない。 人類共通の貴い財産であり、私たちの生きる力の源なのだ。

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