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弁護士YA日記

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日出町法律事務所
2019年6月より1年間、日本弁護士連合会客員研究員としてイリノイ大学アーバナシャンペーン校に留学後、弁護士業務を再開しました。
弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)
2017.01.03
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カテゴリ:読書日記

あけましておめでとうございます。

新年は、年内に一応は読了したものの、二巡目に入った本書、山下祐介・市村高志・佐藤彰彦「人間なき復興 原発避難と国民の『不理解』をめぐって」(株式会社筑摩書房、2016年)のご紹介からスタートします。

この本は、原発事故二年後に単行本として出版されていたが、昨年11月に文庫本として再度世に送り出された。私は、この本の存在を文庫本となってから初めて知り、移動中に読み始めたが、手のひらサイズの文庫本とは思えない濃密な言葉の積み重ねに日々圧倒され続けていた。

「濃密」といっても、難しい言葉や専門用語が連ねてあるわけではない。「広く一般の読者を想定している」(本書32頁)本であり、著者が願うように、専門家、一般市民を問わず、一人でも多くの方々に手を取って頂きたい著者らの「等身大」という平易な言葉が連ねてある良書である。

本書の「濃密」さの源泉は、「分かっていないことを、あたかも分かっているように書かない」という著者らの姿勢が滲む誠実な言葉が本書全編に満ちていることにある。

表題にもある「不理解」は、本書では「本当の理解ではない」という意味で「無理解」とは敢えて区別して使用されている。専門家を含む多くの国民が「理解していないにもかかわらず、したつもりになっていることが問題だ」「『私はわかっていますよ』と言うことが、原発避難問題をめぐっては、様々な暴力につながる可能性がある」(本書36頁)という指摘は、著者らが本書で最も伝えたいことの一つであろうと推測される。

その上で、本書は、言葉の裏にひそむ「不理解」を、可能な限り丁寧に検証していく。たとえばこんな言葉が対象だ。

「もう帰れませんよね」
「帰還が復興である」
「何をすればいい?」
「賠償もらってよかったね」
「生活再建したいなら、早く和解したら?」
「ふるさとに束縛されないほうがいいんじゃないですか?」

一つ一つの言葉にひそむ広大な「不理解」を被災者の立場、そして、「今いる存在の場所からだけではなく、様々な視点や時間軸の中から現象を切り取り、それが存立している構造を明らかにする」学問である社会学(本書28頁、同じ文系ですが、「法学」とはアプローチの仕方が随分違うことがこの定義でよく分かりました、「社会学」凄い!)の視点から本質に迫っていく過程を、私は、頁を繰る手がもどかしいような気持ちと「ちょっと待って、今の言葉、分かったような気持ちで進まないでもう一度読んでみよう」という自分自身の「不理解」を避けたいという気持ちがごちゃ混ぜになるような不思議な感覚で読み進めていった。

私にとって初めて学んだ「不理解」も勿論沢山あったが、それは「不理解だ」ということが私にも分かっていた思考回路もいくつかはあり、そのことを本書で改めて指摘されたことで、触れないようにしてかばっていた心をえぐられるような気持ちになったこともあった。その「不理解」を発信するのは、私の役割でもあったのではないか、という意味で。

私は、ここ数年、原発事故の本質的な部分について、言葉にすることを意図的に避けてきた。言葉を武器にする法律家としては、恥ずべきことだと思っている。

自分が本質から逃げ続けていることは自覚していた。
何かに取り組む苦しさは経験してきたつもりだったが、取り組めない苦しさがこれほど辛いとは思わなかった。

それでも言いたい。
私は、あの日、白煙に包まれる原子力発電所の映像を観た日以降、原発事故を忘れたことは一度もない。また、私の法律家としての基盤を作ってくれた福島県とそこに住む人々(もちろん全国に避難した人々を含む)を、事故前も事故後も変わらずに愛している。

「言葉」にできなかったのは、歳月の経過で、原発事故の被害者が本当に多種多様な選択をせざるを得なくなり、その中で「人間関係や社会関係にも多様な裂け目を生じさせており、人々の間には、もはやそれを越えてゆくことはほとんど無理ではないかと思えるほどの多重の溝が張り巡らされてしまった」状態(本書20頁)を本能的に感じ取っており、この状態において、どの立場でどんな発言をしても、他の立場の誰かを傷つけてしまうという恐怖心が常にあったからである。不用意な発言が、守りたい誰かを傷つけてしまう恐れは、私の心と行動をこの上なく強く縛り、当たり障りのないことだけしか対外的に出せなくなっていた。

本書は、私の勝手な呪縛を解いてくれた。

まず、私の本能が私の心と行動を縛ったことを、自分で責めすぎてはいけないということ。意欲的な本書ですら、「この原発事故問題は、個人で引き受けるにはあまりにも責任が重すぎるものだということ。この問題は、たった一人の言説で支えるには、あまりにも苛烈で深刻だ。これを3人で支え合うことによって、問題を論じる責任の重さを分散しようと考えた」と、共著の理由を説明している(本書29頁)。
苛烈で深刻な問題に一人で立ち向かう必要はないんだ、と本当にほっとした。

あと、もう一つ。言葉にひそむ「不理解」に立ち向かう武器は、やはり「言葉」しかないと再度自覚したこと。怖さも重さも変わりなくても、言葉にしていかないと、やっぱり現状を変えていくきっかけすら作れない。

年末、とある研修会で、災害復興法分野の第一人者で敬愛する津久井進弁護士と本当に短い時間だがお会いする機会があり、本書をお読みになったことがあるかお尋ねしたところ、さすがに単行本時代にとっくに読んでおられて、後ほど、「私を含め、誰もが『不理解のカタマリ』なのだろうと思います。でも,これを解きほぐす一つの武器は、やはり「言葉」だと確信します」というメッセージを頂き、ますます勇気を得た。

というわけで、今年は、言葉をとりわけ大事に、どんな困難にも正面から取り組む自分でありたいと思います(年賀状にも書きました)!

周囲への感謝をいつも忘れずに、今年も、一生懸命に日々を積み重ねて生きたいと思います。


今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。






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Last updated  2017.01.03 13:56:33



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