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弁護士YA日記

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2019年6月より1年間、日本弁護士連合会客員研究員としてイリノイ大学アーバナシャンペーン校に留学後、弁護士業務を再開しました。
弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)
2019.03.01
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カテゴリ:東日本大震災
​​先日、静岡県内のNPO法人が主催する避難者交流集会に参加させて頂きました。
福島県内のいろいろな地域から避難してきた方々が、普段誰にも言えない想いを、誰に遠慮することもなく口にできる大切な空間が、そこにはありました。

私は、以前からお知り合いだったNPO法人のスタッフ、Sさんにお誘いを受け、参加させて頂きました。
Sさんは、参加される避難者の方々の置かれている状態をよくご存知なだけに、「弁護士」である私の参加が避難者の方々のお気持ちに添うかどうかを、案じておられました。

「色々な地域から来ていらっしゃる色々な境遇の方がいるので、どんな感じで自己紹介して、どんなお話しをされるのか、場の雰囲気見ながら、決めて頂いて良いですか」というオファーの意味は、私にも深く理解できたため、「ご懸念、ごもっともです、了解です!」とだけ申し上げて、会場に向かいました。

こじんまりした会議室に9人程集まった避難者の方々は、お互い顔見知りの方も多いようで、和やかな笑顔でご挨拶されていました。ここに来ていらっしゃる方々は、それぞれのご苦労がありつつも、ここに来られるだけの元気がある安定した方なんだろうなあ、なんて勝手な想像をしながら、ご様子を拝見していたのですが、参加者がそれぞれ自己紹介をすることになり、私も、次のようなことをお話しさせて頂きました。

・私にとって、相馬で過ごした2年半は、今でもかけがえのない宝物の日々であること。だからこそ、大津波と引き続いて起こった原発事故の映像が目にも心にも焼き付いてしまって離れないこと。
・この8年間、原発事故の被害者救済に関わる中で、原発事故についてお話する機会が様々あったけれど、今のように、避難されてきた方々や今も仮設住宅にいらっしゃる方々とお話しする時が、自分にとって一番安心して、悲しい、とか、辛い、とかの感情を素直に出せると実感すること。誰にも、「だから、どうした、どうしたいんだ」って言われない安心感があること。皆様もきっとそうなのだろうなあと想像していること。
・私は弁護士なので、皆様に賠償をはじめ、法的な側面から解決できることがあればお手伝いしたいという気持ちで今回参加をお許し頂いたこと。
・個々人によって、全然状況が違うことはよく分かっているので、もし私がお役に立てそうなことがあれば、遠慮無くお声をかけて頂きたいこと。

続いて、避難者の方々が自己紹介されました。個人を特定されない範囲で、避難者の方々が仰っていたこと、書き留めておきます。

・戻れるよって今更言われても、本当に難しい。家は地震でも津波でも壊れなかったけれど、避難をきっかけに壊れてしまった人間関係は、修復しようがない。
・私たちが失ったものは、家であり、町であり、歴史です。ふるさとを、築いてきた歴史ごと、突然もぎ取られるということがどういうことなのか、想像して欲しい。
・避難して町民が全国にバラバラになっても、町民が一体感を保てるような二重住民票のような制度が作れないか等と、町の再生のために一生懸命努力してきた先輩が、先日疲れ切った様子で言っていた。「自分が求めることは実現しない。お前は自分のことだけ考えて生きろ。それが一番良い」。そういうことを本当に町を愛していた人に言わせるような復興政策に何の意味があるのだろう、「復興」のあり方を誰の意見を聞いて決めたのだろうと思う。
・避難している時は避難している時で沢山の問題を抱えていた。一応の拠点が定まった筈の今、避難している時とは違う問題が出てきた気がする。一番の問題は、「先のことが未定」ということだ。
・戻るのか、戻らないか、の2択を「今」しないといけないのか。今は戻れないけれど、いつか放射線量が低減して綺麗な空気が戻ってきたら子孫の代になってしまうけど戻ってほしい、だからせめて土地は残したいという選択肢は許されないのだろうか。戻らないなら、最終処分場にしても構わないですよね、という議論の乱暴さに傷つきます。

・区域外避難者だが、どこにいっても「あなたは対象外」「大変なのは分かるけど、できることは何もありません」というようなことを言われすぎて、そう言われるのが怖くなってしまって、何も問い合わせる勇気も踏み出す勇気も湧かない。一番悲しかったのは、「そんなに困っているなら生活保護でも何でも受けたらいいでしょう」って言われたこと。

・・・皆様、本当に、率直に、時折苦笑しながら、自分の思いを吐露されていました。そして、お互いにうなずき合いながら気持ちを受け止めていらっしゃいました。

個別の賠償のご相談については、内容を書くことはできませんが、皆様、それぞれのご苦労が胸に迫りました。8年経っても、請求すべき損害はまだまだ沢山あって、これはきっと氷山の一角だとため息をついてしまいました。

また、先日は、相馬ひまわり時代の元依頼者で、現在仮設住宅にお住まいの高齢の女性から、姪っ子さんに私の連絡先を調べてもらいました、とのことで、泣きそうな声でお電話がありました。8年間、降り積もる悩みは、深刻化していて、お聞きするだけで時間が掛かります。

もうすぐ8年目の3.11が来ます。
原発事故はまだまだ終わっていないどころか、終わる日が来るのかも分かりません。
でも、私にできること、自分に負けることなく、続けていきたいと思います。
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Last updated  2019.03.01 15:22:13
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