イチロー選手が引退を発表した。
どこかで「それぞれの人の中に、それぞれのイチローがいる」というようなコメントがあったが、本当にそうだなあと思う。
私も、2011年にイチロー選手の言葉に触れ、心を揺さぶられ、書き留めたことがある。
私は、当時、諸事情で、「心がポキッと折れていた」ので、彼の言葉に共振した。そして、彼の境地には到底辿り着けないとしても、あれほどの超一流のアスリートでも、「心が折れる」ということがあるのかということに驚いたし、同時に、少し安心もしたことを覚えている。
https://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201110020000/
今回の引退会見でも、何気なく発せられる言葉の奥にある煌めきに感じ入った。
特に、心の底から共感する部分は下記のやりとり。
Q:生きざまでファンの方に伝わっていたらうれしいことは
A:生きざまというのは僕にはよく分からない。生き方という風に考えれば、先ほどもお話ししましたけど、人よりも頑張るなんてことはとてもできない。あくまでも「量り」は自分の中にある。量りを使いながら、自分の限界をちょっと超えていく。そうするといつの日かこんな自分になっているんだ。少しずつの積み重ねでしか、自分を超えていけないと思っているんですよね。一気に高みにいるとすると、今の自分とギャップがありすぎて、それを続けられない。地道に進むしかない。ある時は後退しかしない時もあるので、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でも、それは正解とは限らない。間違ったことを続けているかもしれない。遠回りをすることで、本当の自分に出会えると思っている。今日のゲーム後のファンの方の気持ちを見た時に、ひょっとしたらそんなところを見てくれたのかなと思います。
「量り」は自分の中にある。
今日よりも明日、明日よりも明後日、今いる自分を、ほんの少しでも超えていく。
正解かどうかは分からなくても、とにかく前に進もうと日々努力する。
本当に地道な積み重ねでしか壁は突破できない。
本当にその通りだと思います。
今日の自分に今の自分に負けたくないと日々思います。