000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

弁護士YA日記

PR

Profile


YYY0801

Calendar

Category

Free Space

〒420-0837
静岡市葵区日出町5-3
TEL 054-269-4590
FAX 054-269-4591
http://hinodecho-law.jp/
日出町法律事務所
2019年6月より1年間、日本弁護士連合会客員研究員としてイリノイ大学アーバナシャンペーン校に留学中です。
弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)

全122件 (122件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 13 >

東日本大震災

2019.03.01
XML
カテゴリ:東日本大震災
​​先日、静岡県内のNPO法人が主催する避難者交流集会に参加させて頂きました。
福島県内のいろいろな地域から避難してきた方々が、普段誰にも言えない想いを、誰に遠慮することもなく口にできる大切な空間が、そこにはありました。

私は、以前からお知り合いだったNPO法人のスタッフ、Sさんにお誘いを受け、参加させて頂きました。
Sさんは、参加される避難者の方々の置かれている状態をよくご存知なだけに、「弁護士」である私の参加が避難者の方々のお気持ちに添うかどうかを、案じておられました。

「色々な地域から来ていらっしゃる色々な境遇の方がいるので、どんな感じで自己紹介して、どんなお話しをされるのか、場の雰囲気見ながら、決めて頂いて良いですか」というオファーの意味は、私にも深く理解できたため、「ご懸念、ごもっともです、了解です!」とだけ申し上げて、会場に向かいました。

こじんまりした会議室に9人程集まった避難者の方々は、お互い顔見知りの方も多いようで、和やかな笑顔でご挨拶されていました。ここに来ていらっしゃる方々は、それぞれのご苦労がありつつも、ここに来られるだけの元気がある安定した方なんだろうなあ、なんて勝手な想像をしながら、ご様子を拝見していたのですが、参加者がそれぞれ自己紹介をすることになり、私も、次のようなことをお話しさせて頂きました。

・私にとって、相馬で過ごした2年半は、今でもかけがえのない宝物の日々であること。だからこそ、大津波と引き続いて起こった原発事故の映像が目にも心にも焼き付いてしまって離れないこと。
・この8年間、原発事故の被害者救済に関わる中で、原発事故についてお話する機会が様々あったけれど、今のように、避難されてきた方々や今も仮設住宅にいらっしゃる方々とお話しする時が、自分にとって一番安心して、悲しい、とか、辛い、とかの感情を素直に出せると実感すること。誰にも、「だから、どうした、どうしたいんだ」って言われない安心感があること。皆様もきっとそうなのだろうなあと想像していること。
・私は弁護士なので、皆様に賠償をはじめ、法的な側面から解決できることがあればお手伝いしたいという気持ちで今回参加をお許し頂いたこと。
・個々人によって、全然状況が違うことはよく分かっているので、もし私がお役に立てそうなことがあれば、遠慮無くお声をかけて頂きたいこと。

続いて、避難者の方々が自己紹介されました。個人を特定されない範囲で、避難者の方々が仰っていたこと、書き留めておきます。

・戻れるよって今更言われても、本当に難しい。家は地震でも津波でも壊れなかったけれど、避難をきっかけに壊れてしまった人間関係は、修復しようがない。
・私たちが失ったものは、家であり、町であり、歴史です。ふるさとを、築いてきた歴史ごと、突然もぎ取られるということがどういうことなのか、想像して欲しい。
・避難して町民が全国にバラバラになっても、町民が一体感を保てるような二重住民票のような制度が作れないか等と、町の再生のために一生懸命努力してきた先輩が、先日疲れ切った様子で言っていた。「自分が求めることは実現しない。お前は自分のことだけ考えて生きろ。それが一番良い」。そういうことを本当に町を愛していた人に言わせるような復興政策に何の意味があるのだろう、「復興」のあり方を誰の意見を聞いて決めたのだろうと思う。
・避難している時は避難している時で沢山の問題を抱えていた。一応の拠点が定まった筈の今、避難している時とは違う問題が出てきた気がする。一番の問題は、「先のことが未定」ということだ。
・戻るのか、戻らないか、の2択を「今」しないといけないのか。今は戻れないけれど、いつか放射線量が低減して綺麗な空気が戻ってきたら子孫の代になってしまうけど戻ってほしい、だからせめて土地は残したいという選択肢は許されないのだろうか。戻らないなら、最終処分場にしても構わないですよね、という議論の乱暴さに傷つきます。

・区域外避難者だが、どこにいっても「あなたは対象外」「大変なのは分かるけど、できることは何もありません」というようなことを言われすぎて、そう言われるのが怖くなってしまって、何も問い合わせる勇気も踏み出す勇気も湧かない。一番悲しかったのは、「そんなに困っているなら生活保護でも何でも受けたらいいでしょう」って言われたこと。

・・・皆様、本当に、率直に、時折苦笑しながら、自分の思いを吐露されていました。そして、お互いにうなずき合いながら気持ちを受け止めていらっしゃいました。

個別の賠償のご相談については、内容を書くことはできませんが、皆様、それぞれのご苦労が胸に迫りました。8年経っても、請求すべき損害はまだまだ沢山あって、これはきっと氷山の一角だとため息をついてしまいました。

また、先日は、相馬ひまわり時代の元依頼者で、現在仮設住宅にお住まいの高齢の女性から、姪っ子さんに私の連絡先を調べてもらいました、とのことで、泣きそうな声でお電話がありました。8年間、降り積もる悩みは、深刻化していて、お聞きするだけで時間が掛かります。

もうすぐ8年目の3.11が来ます。
原発事故はまだまだ終わっていないどころか、終わる日が来るのかも分かりません。
でも、私にできること、自分に負けることなく、続けていきたいと思います。
​​






Last updated  2019.03.01 15:22:13
2019.02.23
カテゴリ:東日本大震災
沢山の方々に知って頂きたいお知らせです。
この度、下記日時・場所にて、原発事故被災者を対象とする無料説明会&相談会を実施します。

日時:平成31年3月16日(土) 
第1部 10時~11時半:慰謝料・営業損害等説明会(講師:渡辺淑彦弁護士・神田友輔弁護士)
第2部 13時~16時 :個別相談会
場所:茨城県弁護士会館(茨城県水戸市大町2丁目2-75)
予約制:029-221-3501(「3月16日原発事故相談会」とお伝え下さい)

下記チラシにあるとおり、説明会では、営業損害、慰謝料増額事由を重点的にご説明しますが、事業者、区域内外問わず、避難者の方は勿論、広い意味で原発事故の「被害者」(賠償とは関係のないお悩みでも大丈夫です)であれば、どなたでもご相談頂けます。地元茨城県弁護士会の弁護士も多数参加しますので、すぐに解決しないお悩みであっても、継続的なサポートをご提供できます。
どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。

なお、第1部の説明会で、「営業損害」について担当する渡辺淑彦弁護士(福島県弁護士会)の主に事業者の皆様に宛てたメッセージをご紹介します。
今回の企画の趣旨がとてもよく伝わる熱い内容ですので、ご一読下さい。


多くの事業者の方は、営業損害の請求について、東電の用意した書式を提出したことがあったと思います。初期の段階は、東電の職員や税理士事務所などに手伝ってもらい、数字を埋めるだけで賠償金を受領できていた時期があったと思います。

しかし、途中から、突然、たくさんの根拠資料を用意させた上、特に詳しい理由もなく、賠償を一方的に打ち切られてしまっているのではないでしょうか。そして、「もう無理なのかもしれない」と諦めてしまっていませんでしょうか。

拒絶された後が、弁護士がお役に立てる場面であると思っています。東電に拒絶された事例でも、原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)に申立をすることで、継続的な損害賠償を認められたケースはたくさんあります。特に、第一次産業の周辺産業、観光業、輸出産業、子ども関連の産業、強制避難区域と継続的取引をしていたという間接損害などでは、損害の継続性が認められやすいと思います。

東電は、賠償額が大きくなる事業者について拒絶したり、団体的請求をせず個別的な請求をしている事業者について拒絶したり、「特別な努力」により経費を極限まで節減してなんとか事業を維持している事業者について拒絶したりしています。弁護士から見ると、極めて不合理であり、不正義な事例も多々見られます。

今回、茨城県弁護士会が主催し、日本弁護士連合会、関東弁護士会連合会、原子力損害賠償・廃炉等支援機構などの協力を得て、無料説明会&相談会が実現しました。

今までの請求書式、震災前からの決算書(特に損益計算書)、事業内容が分かる資料などをご持参いただき、一度専門家の相談を受けてみませんか。

皆さんの闘う姿勢と行動が、これからの原子力損害賠償の実務を変えることができるかもしれません。皆さんの損害の実相を是非、お聞かせください。


今回、茨城県弁護士会の全面的・献身的なご協力の下、この企画が実現しました。茨城県弁護士会のご尽力に、この場を借りて心からお礼申し上げます。
一人でも多くの方々にこの企画を知って頂き、皆様の 今日よりも明日、明日よりも明後日が、少しでも良い日になるようお手伝いさせて頂きたいと思います。
どうぞお気軽にご相談下さい。









Last updated  2019.02.23 08:37:04
2018.12.07
カテゴリ:東日本大震災
​沢山の方々に知って頂きたいお知らせです。
この度、下記日時・場所にて、原発事故被害者を対象とする無料相談会を実施します。

日時:12月22日(土)13時半~16時半
場所:山梨県弁護士会(甲府市中央1丁目8番7号)
予約制:055-235-7202(「12月22日原発事故相談会」とお伝え下さい)

下記チラシにあるとおり、「区域内・区域外」を問いません。
「避難者」の方は勿論、広い意味で「被害者」(風評被害や営業損害、賠償とは直接関係のないお悩みでも大丈夫です)であれば、どなたでもご相談頂けます。

相談を担当する弁護士は、総勢10名で、うち8名が、山梨県弁護士会所属弁護士です。
事故から既に8年が経過しようとしていること、それぞれの方々のお悩みが、深く多様化していることを踏まえ、この相談会でだけではなく、継続的に弁護士のサポートを受けて頂けるように、地元会の弁護士に多く参加して頂くことになりました。山梨県弁護士会のご尽力にはこの場をお借りして心から御礼申し上げます。

関東弁護士会連合会は、2年前に、全国の避難者の方々を対象に電話でのご相談を受け付ける一斉相談ウィークを開催しました。

https://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201607180000/

その際に合計91件のご相談を受け付けたのですが、うち6件が山梨に避難されている方々からでした。詳細は書きませんが、築いてきた生活のすべてが一変した事故後、慣れない土地で筆舌に尽くし難いご苦労をされている方々の声、きちんと記録に残してありますし、何度も読み返させて頂いています。

電話相談ウィーク以来、あのとき勇気を出してお電話を頂いた方々の想いに何とかお応えしたいという想いが、企画に携わった弁護士の心の底を流れ続けていました。電話相談は気軽にご利用頂ける反面、やはり、電話でお答えできることには限りがあります。どうしてもその場限りになってしまい、継続的にサポートさせて頂けるような関係が築きにくいのです。

ADRの運用の問題点や訴訟の中で明らかになってきた多種多様な論点等、弁護士が取り組まなければいけない課題は山積みですが、日本弁護士連合会災害復興支援委員会としては、何度も協議を重ねた末、どの活動も、被害者の方々のためにある以上、被害者の方々に向き合う場を増やして繋げていこうとする取り組みを継続していくべきだという原点に立ち返り、この度の企画に至りました。

今更、弁護士に相談することなんてないですよ。
賠償ならもうもらいましたので結構です。
私は、「自主避難者」ですからどうせ賠償をもらえないんでしょ?
お金なんていくらもらったって意味がありません。
相談してもどうせ解決できることじゃないですから。

・・・そのようなお気持ちを抱かれていたとしても仕方がないと思います。

でも、本当に、心からお伝えしたいのです。

被害者の方々が誰よりも深くご存知だと思いますが、原発事故の被害は、歳月の経過によって自然に治癒されるような性質の被害ではないものが沢山含まれています。最初は単純だった話が、歳月の経過によって逆に深化・複雑化していくこともよくあります。時間が経つほど、「苦しい」「辛い」「悲しい」を言葉に出しづらくなり、その想いが心に石のように溜まっていってしまうこともあります。

弁護士は、このような難しい相談に一言でお答えできるような解決策を持ち合わせているわけではありませんが、皆様と一緒に悩み、解決の糸口を探し、今日よりも明日、明日よりも明後日が良い日になるように、全力を尽くす仕事です。

どうか、今更、なんて思わずに、お気軽にご相談下さい。
相談を担当する弁護士一同、心を込めて皆様のお悩みに向き合いたいと思います。













Last updated  2018.12.07 05:01:05
2018.09.14
カテゴリ:東日本大震災

言葉にすることで整理できた、という気持ちになることもあれば、言葉にしたことで、言葉にならないもやもやが分かってきたということもある。
どちらにしても、言葉にすることは私にとって、とても大切なことです。

浪江町調査で、人の気配に安堵したこと、帰りたくてたまらなかった方が帰ることができたこと、本当に良かったと心から思っています。この気持ちは、心から湧き出てきた想いだから、消えることは絶対にないでしょう。本当に良かったと思っています。

でも、静岡の街に戻って、秋晴れの中をニコニコとおしゃべりしながら歩く笑顔の親子とか、雨が降ると途端に渋滞する沢山の車の列等を目にすると、お孫さんの写真を愛おしそうに眺める眼差し、草が生い茂る荒れ果てた田んぼ、人家の灯りがないために街灯の配列がくっきり分かる前の車のテールライトも後ろの車からのヘッドライトも感じない暗い夜道・・・が心に浮かんできてしまい、泣いている自分に気付きます。

お話をお伺いした帰還者の方々は、ほとんど愚痴を仰らなかった。

買い物だって、原町まで車で30分も運転すれば行けるしね。
身体はどこも健康だもの、すぐに困ることはないよね。
皆が戻ってきてくれたらそりゃ嬉しいけど、それぞれの事情があるもの。

・・・強がりでもなんでもなく、本当のお気持ちだと思います。

でも、「そうか、よかったよかった」ではないと思うんです。
言葉にならないことから想像する力は自分の仕事にとって不可欠な力だと思っているけれど、その力を磨くことをずっと心がけてきたつもりだけど、いたたまれない切なさを感じる自分がいます。

それでも、自分とは比べものにならない苦しみ悲しみの中で、前を見据えて生きる人たちのことを考えると、自分が苦しんでいる場合ではないということは、分かっています。

今日も目の前のことをコツコツ頑張っていきたいと思います。
日常をきちんと積み上げていくことで切なさを乗り越えて、自分の成長のためにも自分が守りたい誰かのためにも頑張っていこうと思います。







Last updated  2018.09.14 09:41:40
2018.09.10
カテゴリ:東日本大震災

続けて、80代と70代後半のご夫妻のご自宅を訪問させて頂きました。
本当に丁寧に綺麗に手入れされた立派な庭がある広い敷地、農機具をしまう倉庫があって、何より目の前に広がる田んぼ(稲ではなく雑草が茂っていましたが)を見て、農家の方だなということがすぐに分かりました。
ご自宅に入るとすぐに「まあ、こんな若い人が沢山きて、もうばっちゃん、嬉しいよう、良く来てくれたね。ほらほら、あっちに漬け物あるしお菓子もあるし、あがんなさい、あがんなさい」と満面の笑みのおばあちゃまが、出迎えて下さいました。

テーブルの上には、溢れんばかりのお菓子、お漬け物、蜜柑。
学生達6人、まちづくり公社の方2人、私の9人でお邪魔しましたが、十分皆が座れるくらいのスペースがありました。

この人の笑顔を見たら誰でも安心して、辛い気持ちも悲しい気持ちも溶かされてしまうんじゃないかと思うような人を惹き付ける笑顔ととまらない楽しいおしゃべり、ああ、私も相馬時代、こんな優しく暖かなおじいさま、おばあさまにの存在に、心から癒やされていた瞬間があった、と懐かしい懐かしい方言を聴きながら、思い返しました。

現在はご夫婦お二人暮らしで、元々同居されていたご長男のご一家は、福島県内に避難されているそうです。親戚も皆浜通りで、避難した人も避難していない人もいて、とにかく家族仲良し、親戚同士もしょっちゅう行き来があるとても賑やかなご一族だったようです。

今日は、はあ、みんな、良く来てくれたねえ。さあさ、お茶飲みなさい、その漬け物は、ばあちゃん漬けたから、うまいからな。
うちの孫は、ばあちゃん作るもの大好きでさ、この間、一番好きなの何って聞いたのよ。ほしたら、ポテトチップスだって。スライサーで薄く切って揚げてな、新聞紙の上で塩をざっざっと混ぜるのよ(新聞紙毎揺する手つき)、美味しいんだって。煮物も美味しいって。おでんも、何度も何度も煮返すのよ。そしたら、セブンイレブンで売っているみたいな美味しいおでんができるんだわ。
嬉しくなっちゃうよねえ。

復興、復興っていうけど、私はね、スーパー作るの、医者呼んでくるだの、それはもう外部の人にやってもらえば良いって思うのよ。大事なのは、家族。家族を呼び戻すことだよ。ばあちゃんにとっては、復興は家族の復興。

うちの家族はね、うんと仲良し。家族で大事なことは4つだけ。嘘つかない、隠し事しない、ありがとう、ごめんなさい。な?それだけでいいんだ。私、孫とも、そりゃあ仲いいよ。嵐の話で盛り上がんのよ。この間来てくれたときも遅くまで話したっけ。もう尽きないもの、なんぼでもあるよ、しゃべること。

避難中も家族いないとばあちゃん死ぬところだったな。福島市でマンション入ってたの。一日なんもすることないんだ。近所の人ともおはようございます、とか挨拶だけ。最初にね、挨拶回りに行ったの、浪江から来ましたってね。ほしたら、「浪江から来たの、一杯お金もらえたんでしょ」って言われてもう怖くなって駄目ね。美容院でも言われたもの。お金もらえてよかったねじゃないよ、お金もらっても、何もないんだよって言い返したいけど、そんなこと言えないもんね。

それからね、もうおしっこでなくなってねえ。いつも袋ぶら下げて歩くようになったの。大きな病院さいったら、もうずっとそのままだって言われて。でもなんか、流れ作業なんだよ、診察が。そしたらあちこち、じいちゃんが調べてくれて、良い泌尿器科の先生に会えてね、治ったんだよ。薬ちゃんと飲んでね。大きい病院が良い病院って限らないね。

でも、うつは酷かった。本当に死にたくなるんだよ。毎日死にたいってことしか考えられねえんだね。あれは、ホントひどかった。あのときね、お嫁さんが、優しくて優しくてねえ、お嫁さんがいたから助かった。じいちゃんがいて、お嫁さんがいたから頑張れた。

何回浪江に帰ったか?月、水、金よ。週三回。70キロじいちゃんに運転してもらってね。大変だけど、だって、ねえ。ばあちゃん、大熊生まれで22歳で浪江に来て、ずっとここだもん。ここしか知らないから、そりゃあなんぼでも見に来るよ、家だもん。自分の家だから当たり前さ。

私たちは、ひどい思いしたけど、でも、こうやって税金で家も建ててもらった。良かった気持ち少し、でも、税金使わせてもらっているって負い目も8割。今、テレビ見てても、北海道の地震見ててもさ、もうかわいそうでかわいそうで、あの人達、家なくして今夜からどうするんだべって、ねえ、かわいそうだよね(目が涙で一杯)。

この辺は、戻るとして5~6軒だね。みんな、避難先で、家建てたり、仕事あったりさ。子どもを学校通わせたりだから。無理でしょう。でも、向かいのばあちゃんも戻ってきたし、今度は隣が戻ってくるって。おいでおいでって、楽しみだよね。

津波で家から海が見えるようになって、朝日が、ほんと綺麗。
見せてあげたいくらいだよう。あんたたちみたいな若い人に住んで欲しいねえ。
またいつでも寄りなよ。泊めてやっからね。前は12人まで泊まれたけど、今は布団が4組しかないから先着4名な。

眼差し、笑顔、佇まい。すべてが、お日様が洋服を着ているようなぽかぽかした安心感、安堵感を感じさせる素敵な奥様でした。深い痛みを知っている人が持つ、底知れぬ優しさを感じました。
傍らで、言葉少なに相槌を打つおじいさまとのバランスも素敵で、皆で、「こんなおじいちゃん、おばあちゃんになりたいね」と言いながら、いつまでも手を振って、名残惜しい気持ち一杯で、おいとましました。

今日会った方、どの方も、お年は召されているけど、多趣味でお元気で、そして、故郷と我が家を心から愛しく思っておられて、ああ、ご自宅に帰れて本当に良かったな・・と心の底から、思いました。

勿論、帰還後の前途は多難で、辛いこと、やるせないこと、悲しいこと、想像しきれないほど沢山あるでしょうし、個人の心持ちでは到底解決できない課題の方が圧倒的に多いのは分かっています。
そして、その課題を冷静に分析したり、どう克服していくかを考えなければいけないことも、分かっています。

でも、今日だけは、私、帰りたくて帰りたくてたまらなかった方々が、大切な故郷に、大切なご自宅に帰れたことを、心から、「我がこと」として、喜びたいと思いました。その想いに浸らせてほしいと思いました。
色々なことを考えてしまう前に、私は、どうしてもこの気持ちを書き留めておきたい。

どうかずっと平穏にお元気に日々を重ねていかれますように。心から祈っています。
また是非寄らせて頂きたいと思います。

次の記事に続きます。
https://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201809100002/







Last updated  2018.09.11 15:08:53
カテゴリ:東日本大震災
​先日、早稲田大学東日本大震災復興支援法務プロジェクト/震災復興支援クリニック主催の、「浪江町現地聞き取り調査」に参加させて頂きました。同調査は、本来2泊3日の行程なのですが、私は、後半の1泊2日のみの参加です。本当に短い時間でしたが、避難指示解除後初めて入る浪江の町並みを、帰還者の方々の想いを、目に心に焼き付けたい、自分の全感覚で真正面から向き合いたいという気持ちで臨みました。

本企画の責任者である須網隆夫先生(早稲田大学法務研究科教授)はじめ、現役生、修了生入り交じる総勢16名の法科大学院生の皆様、現地福島から合流してくれた渡辺淑彦弁護士、平岡路子弁護士、松尾政治弁護士、三村茂太弁護士には、本音で語り合い、涙あり、笑いありの大変貴重な時間を過ごさせて頂くと共に、本当に何から何までお世話になりました。心から御礼申し上げます。

まだ鮮やかな記憶が残っているうちに、今回の調査で感じたことを思いつくままに書き留めておきます。

初日は、調査の主目的である帰還された方々へのインタビュー調査に参加しました。
浪江町は、昨年4月に、避難指示の一部が町の中心部で解除されており、現在、役場職員を含め約800人の方々がお住まいになっていらっしゃるそうです。
今回は、浪江町役場を通じて、浪江まちづくり会社の方々に、インタビューに応じて頂ける方の手配やお伺いする時間を調整頂いたとのことです。大変お忙しい中、多大なご尽力を頂いたこと、心からお礼申し上げます。

聞き取り調査は、2泊3日、全15軒の帰還者のご自宅を、学生数人ずつのグループに分かれて訪問させて頂きお話しをお伺いするという方法で行われ、私は、うち2軒の方のご自宅にお伺いしました。

1軒目では、70代後半のお一人暮らしの男性にお会いしました。
ご自宅に向かう途中、空き家が建ち並び、シャッターが閉まったままの通りを車の中から眺めながらも、でも、少なくても人が住んでいる確かな気配-行き交う車の走る音、風にはためく営業中のお店の暖簾、時折目に飛び込んでくる色とりどりの花が溢れるお庭-を五感で感じ、それだけで心が一杯になるような気がしました。

避難指示解除等が解除される前の2013年、浪江ではなく小高に入った時に、余りの音のなさに、強いショックを受けて帰ってきた私は、人の気配に、ただただほっとし、心から安堵しました。
小高訪問記は下記です。今読み返しても、辛くなります。

​​https://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201304260000/

このご自宅でも、広いお庭に、お花が咲き乱れていて、とても綺麗でした。
山登りや写真撮影、石の収集がご趣味ということ、ご自宅の中にも、日本百名山の登頂バッジや四季折々の美しい風景を切り取った写真が飾られていました。
でも、一番大きく飾られていたのは、可愛らしいお孫さんたちのお写真。
元々、ご長男ご一家と同居され、5人暮らしをされていたものの、奥様は避難先でお亡くなりになり、ご長男一家は福島県内に避難中とのことでした、ご自身は、昨年の避難指示解除後すぐに避難先からお戻りになったそうです。
穏やかな口調で、こんなことをお話しして下さいました。

海も山も近くて、夏は涼しく冬は雪が降らない、本当に住みやすいでしょう。だから、40年以上前に定住したんだけど、まさかの事故でこんなことになってしまった。うんと賑やかな家だったんだけどね。寂しいけど、でも、ね、仕方ない。

やっぱりさ、若い人が来るためには、仕事とか学校がないとどうしようもないじゃんね。一度避難しちゃうと、子ども達は学校通うし、親も仕事見つけるからね、仕方ないよね。一度大変な思いして慣れてきた学校、見つけた仕事、変えたくないのが普通だと思うよ。生活基盤が向こうじゃ仕方ない。

孫?子ども?いや、全然顔見せないよ。放射能嫌いだって。仕方ないさね。

日中は、いろんな体操とか囲碁と将棋の会とかに出掛けて、なるべく身体動かすようにしている。何も悪いところないからね、今は、医者に行かなくても平気だよ。

野菜や果物は、原町に出掛けて買いに行っているね。車で30分。近くにスーパーがあれば良いけど、この人数じゃできっこないでしょ。やっぱり採算とれなきゃ仕方ないわけで。

二本松ではマンションにいたから、窮屈で狭くて辛かった。戻れて良かったか?うーん、まあ、せいせいはするけどね。故郷だしね、ここが故郷だからさ。良かった・・・うん、まあ、戻って良かったのかな。そう簡単に言えないけど、ねえ。

「仕方ない」と何度も何度も繰り返しながら、微笑む笑顔が、複雑で、でも、すべてを受け止めていらっしゃるような強さもあって、とても暖かでした。

次の記事に続きます。
https://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201809100001/







Last updated  2018.09.11 16:07:57
2018.08.31
カテゴリ:東日本大震災

 先日、静岡県災害対策士業連絡会主催の研修会講師として、吉江暢洋弁護士(岩手弁護士会)が講演をして下さいました。

 吉江さんは、実は司法研修所の同期(56期)なのですが、東日本大震災をはじめとする岩手県内の災害対応だけでなく、日弁連でも縦横矛盾に活躍しています。同期の煌めく星の一人ですね。
 なので、講演は絶対に面白いと確信し、ホームグラウンド修習で受け入れている司法修習生Sさんも誘って、拝聴したのですが、いやあ、本当に心の底から凄い、かっこいい、素敵、と大感動しました!!!

 ご講演は、平成28年10月に岩手県岩泉町を襲った台風10号災害の被災者支援に取り組む中で、多士業及び福祉関係機関が連携しての活動を中核とした「一般社団法人岩泉よりそい・みらいネット」の立ち上げに至るまでの経過や活動内容をご紹介頂くというものでした。

 この存在自体が画期的な社団法人は、人口9000人の町で1年間に60件もの相談を様々な士業や組織が連携して対応するという成果を挙げているそうです。

 ただ、私が感動したのは、成果そのものは勿論ですが、吉江さんが、被災者支援に取り組む中で、感じたことを、気付いたことを、自分で深く受け止め、思考し、自分の言葉で発信し、周囲を巻き込みながら実行に移していくそのプロセスそのものでした。

 まず、被災者支援をしている中で「見えてくる問題」の指摘が、現場に根ざして、とても具体的です。
たとえば、現行法の不備で「応急修理」(災害救助法、58万4,000円が上限)をしたら、仮にその程度の修理では家が全然直らなくても、「被災者」ではなくなり、仮設住宅に入れないという運用になっているけど、どう考えてもおかしいじゃないか。超初期の段階から、修理代金のおおよその見積もりができたり、「応急修理」の法的効果をアドバイス出来るなど、先を見据える能力のある専門家が入っていることの必要性を感じた、等の具体例には、体験した人ならではのずしんと響く説得力がありました。

 でも、吉江さんは、ここで止まらず、思考を深めていくのです。

 「見えてくる問題」は、たまたま被災時に見つかっただけで、普段の日常業務で遭遇する問題をちょっとアレンジしたり、応用したりしているだけじゃないか。普段から破産すべき人を破産させるだけでは仕事が終わらず、福祉に繋いだりしているじゃないか。

 こう考えると、被災者は、日常業務で接する困った人の極限状態にあるだけで、そうすると、災害法制とか被災者支援というように限定して考えるんじゃなくて、「普段やっていること」の延長線上にあると考えたらいいんじゃないかと。先が見えない被災者の状態は、先が見えない通常業務の依頼者と同じなんだから、通常業務のノウハウを活かして長期的に見守っていけばいいじゃないか。

 被災者は、実は、私たちが日常業務で遭遇する「社会的弱者」の一部であって、地域全体の「社会的弱者」が抱える問題を、日頃から、多士業多機関で連携して出来るシステムを構築できれば、どんな災害が来ても慌てる必要はないのではないか。

・・・現場に根ざした気付き、確信から「普段から絶対的に、士業連携、福祉連携が必要だ」という結論に至って、自分の伝手や人脈も活かしつつ、組織を構築していくストーリーを聞きながら、巻き込まれた人々は、吉江さんの言葉に心を動かされたのだろうなあとちょっと目がうるうるするような感じで、一言一句がきっちり心に届く吉江さんの言葉を聴きながら、思いを馳せていました。

 本当に素晴らしい講演を拝聴できました。吉江さん、本当にありがとう!!!
 
 講演後、質問コーナーもあったので、「多士業連携、福祉連携ではどうにもできない制度の限界にはどうチャレンジするのですか」と聞いてみたら、「難しい問題だけど、少なくとも、弁護士だけでやっているより、ずっと事例も集まるし、色々な団体が同時に問題提起した方が、インパクトがある。弁護士会は、何でも自分たちでやりたがりすぎるけど、それは良くないと思う」ときっぱり答えてくれました!
私も同感です!ありがとう!

 ちなみに、私は、研修会でも講演でも、質問コーナーがあると手を挙げずにはいられないのですが、これは絶対に、大学・大学院時代の後藤昭ゼミの影響だ!と急に気付きました!後藤先生が、呪文のように「二週発言なきは去れ」とか「どんなときも必ず質問しようと思って問題意識を持つ事が大事です」とか、満面の笑みと思いきや、目がまったく笑っていない「笑顔」で言い続けたせいですね!
吉江さんのお陰で、久々に大学時代のことを思い出し、懐かしく笑っている私です。


 それにしても、本当に刺激を受けました。吉江さんは、身体が3つくらいあっても足りないと笑っていましたが、それはそうでしょう、と思います。どうか、吉江さんを頼りにしている沢山の人々のために、身体を大事に過ごして下さい。

 また、お話しをできる機会を楽しみにしています!この度のご来静、本当にありがとうございました!!!







Last updated  2018.09.01 09:56:46
2018.06.02
カテゴリ:東日本大震災

先日、山梨県弁護士会で、「災害時における法律家の役割~東日本大震災・福島第一原子力発電所事故を振り返る~」と題する研修の講師をつとめさせて頂きました。

平成23年に、関弁連主催で南相馬市に弁護士を大量派遣した際に、いち早く派遣を申し出て下さり、物理的にだけではなく精神的に私を支えて下さった山梨県弁護士会から、東日本大震災当時のことを教えて欲しいというご依頼を頂いたとき、とても嬉しかったです。ずっと感謝の気持ちをお伝えしたかった山梨県弁護士会に、ほんの少しでもご恩返し出来たら良いなあと思ったからです。

でも、もう東日本大震災からは7年も経っていて、断片的な鮮やかな記憶はあっても、対外的にまとまって話す機会がこれまでなかったこともあって、お話しする内容や構成には直前まで悩みました。
東日本大震災のことを話して欲しいという弁護士会からのご依頼である以上、弁護士会の活動を中心にお話しすべきであることは分かっていましたが、そこだけ切り取ってしまうと、単なる活動報告になってしまいます。

どういう流れでお話しよう、と折りに触れて考え、やっぱり、まずは、震災前の相馬時代のことをお話しすることから始めようと思いました。過去を振り返る中で、相馬時代に感じたこと、学んだことが、実は知らず知らずのうちに、東日本大震災の対応においても活かされていることに初めて気付いたからです。

また、昨年開催された関弁連主催のシンポジウムで、室崎益輝先生(関西大学総合政策学部教授)が「大災害時にはその時の社会が持つ歪みが一気に噴出するからこそ、災害時でも平時でも社会の歪みをなくす努力を続けていくべきだ」という趣旨のことをお話しされていたことを思い出し、震災前、震災後、平時を繋いでいくような普遍的な法律家の役割を自分にとっても考える機会にしたいなという想いも湧いてきました。

そこまで思い巡らすことができたので、構成は、次の3部(という程大げさではないですが)にしました。

1,相馬時代に学んだこと
2,東日本大震災・原発事故の際に何が起きたか
3,災害時(=平時)における法律家の役割は何か

ぎりぎりまで資料を追加していたので、山梨県弁護士会の事務局Mさんには、多大なご負担をおかけしてしまいました。申し訳ありませんでした&ありがとうございます。

当日びっくりしたのは、弁護士以外に、10数名の自治体の職員の方々が参加されていたこと!
山梨県弁護士会では、昨年度から、自治体との災害協定締結を進めており、全27市町村のうち、既に11の市町村と災害協定を締結されているそうです。あっという間に、全市町村を制覇しそうなこの勢いに感動しましたし、弁護士会の研修会に自治体の職員の方々がこれほど多く参加されるような関係性を構築されていることに、非常に驚きました。
自治体関係者の方々のご静聴に、心から感謝申し上げます。

研修会の後は、懇親会に参加させて頂き、平成23年当時にお世話になった先生方を中心に、私も忘れていたような思い出を語り合い、大変なこともとても多かったのに、大切なことを思い出せた気がして、心がほっと暖かくなりました。暖かで労りに満ちた雰囲気に包まれた時間は、私の宝物です。

ご手配頂いた宿泊先には、思いがけないことに温泉があって、冷え性の私ですが、身体も芯から暖まりました。

頑張らなければならないことばかりですが、またひとつ、前に進むエネルギーを頂きました。
山梨県弁護士会の皆様、本当にありがとうございました。










Last updated  2018.06.02 00:13:20
2017.07.05
カテゴリ:東日本大震災

 件名の会議が、栃木県宇都宮市で開催された地区別懇談会の機会を利用して行われた。
会議出席者は、関弁連管内の、災害担当副会長、及び、各会の災害委員長等の実働の弁護士、全体で28名で、目的は、関弁連管内の各単位会の災害に対する取組を意見交換しつつ、刺激し合い、学び合った結果を各単位会に持ち帰り、ひいては、関弁連管内の災害に対する取組を皆で手を緩やかに手を繋ぎながら底上げしてくこと。

 13時開始予定の地区別懇談会の前の時間を利用するため、会議時間は11時~13時の2時間と短いが、濃密な内容で、時間が過ぎるのがあっという間だった。私は、関弁連災害対策本部の事務局次長という立場上、司会をつとめたが、最後の方は時間が足りなくて駆け足になってしまった。もっとうまく時間配分すべきだったと心底,本当に心底、反省する一方、まだまだ話し足りない、あと1時間くらい欲しいと思うほど、充実した会議になったことを嬉しく思う。

 濃密な会議になった最大の理由は、やっぱり、各単位会の災害に対する取組が、数年単位で、明らかに進化&深化していて、熱心で真摯な姿勢に裏打ちされているということにあると思う。
 各単位会の個性やお家事情を反映し、また、それぞれの悩み、それぞれの苦労を抱えつつも、現状をよりよい方向に変えていきたい、そのためにこういう具体的な取組をしたい、そのためにはこの課題の解決が必要だがお知恵拝借したい、皆さんどうされていますか、といった現場で動いていることがひしひしと伝わるご報告が沢山あった。

 私にとっても、このような現状において各会の緩やかな連合体である関弁連がどのような役割を果たすべきかということを、考え実践していくための貴重なヒントや固まっていた頭をほぐすような刺激を頂き、感謝の気持ち一杯になりつつも、ヒントも刺激も、時機を逃すと頭から逃げていってしまうので、慌てて書き留めようとしている。

 時々思うのですが、言葉って、碇みたいですよね。思考や感情は放っておくと大海に流れて紛れてしまってまるで最初からなかったみたいになってしまうけれど、言葉に置き換えておくと、その思考や感情が、自分という海の中に確かな実感を伴って存在してくれるようになる。一度言葉にしておけば、自分のものになるけれど、言葉にし損ねると、自分のものではなくなってしまう。

 会議では、まずは地元栃木県弁護士会から、災害対策に対する取組のご紹介があった。少ない実働人数で、東日本大震災、平成27年に発生した豪雨災害に取り組みつつ、自治体との災害協定の締結、災害対策マニュアルの整備に向けての下準備作業等を、驚くほど少ない人数で取り組んでいることに感銘を受けたし、ただその分、「どうやって実働部隊を増やしていくか、経験を継承していくか」という悩みもとても深いことも良く分かった。
 
 続いて、新潟県弁護士会からは、昨年末に発生した糸魚川大規模火災の弁護士会としての対応のご報告があった。火災発生は昨年12月22日だが、その翌日には、菊池会長、地元の小出薫弁護士、糸魚川ご出身の藤田善六弁護士、災害対策委員の二宮淳悟弁護士が市役所と意見交換を行い、同月26日~29日には無料法律相談会を実施、同月29日には、この火災の被災者にも被災者生活再建支援法の適用をすべきであるという日弁連会長談話に繋げる(この点、詳しくは、下記参照)という年末をものともしない圧倒的なスピード感、改めて凄すぎると思った。

https://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201612300000/
 
 このような活動が可能になった理由は、新潟県弁護士会に過去の被災体験の蓄積があったこと、従って被災した地域に限らず全県的に取り組む体制ができていたこと、新潟県弁護士会の精鋭部隊の能力が驚くほど高かったということも大きいが、藤田弁護士がもっとも協調されていた理由は「地元で開業し、地元からの信頼が厚く、地元のために活動できる小出弁護士がいたこと」だった。地域に根ざして地域に拠点を持つ弁護士がどんな市町村にも存在することが実は、あらゆる災害対策の基本であるというお考えには、涙が出そうになるほど、共感したし、小出先生に限らず全国の弁護士過疎地域で活動している弁護士にとって、これほど力強いエールはないと感じた。

 その後は、各会から取組報告をして頂いたが、もう、色々な話題があり、色々な悩みがありという中で、私が時間配分を誤り、最近、とみに平時災害対策に力を入れていらっしゃり、関弁連災害対策PT 一同、その怒濤の活動に敬服している、長野県弁護士会、山梨県弁護士会からの活動報告が駆け足になってしまったこと、本当に申し訳なく、ひとえに私の不手際だと反省しているところである。本当にごめんなさい。

 各会からの活動報告の中で、単位会を超えた共通の課題であると私なりに感じた点をピックアップすると、こんな感じだろうか。

・災害対策基金の整備のための会内プロセス
→既に基金が存在する会の経験の共有が必要と思われる。 

・安否確認体制の手段とコスト
→弁護士会の信頼にもかかわるという指摘があり、どの会も避けては通れない課題になっている。

・県と市町村、それぞれとの協定の作り方、連携のあり方
→県とは別に市町村と協定を締結する必要性と困難性を考える必要がある。

・災害時の活動資金の確保
→自治体に負担をお願いすることもあり得るとすれば、協定にどのような文言を入れるべきか。協定内容についての情報の共有が必要と思われる。

・自治体との普段からの信頼関係構築のあり方
→平時の交流、町作り支援機構としての参画、ボランティア連絡会の加入等が紹介された。

・原発事故避難者が各地に点在する現状における個人情報共有のあり方
→国と地方公共団体を超えた横の繋がりを作っていくことが必要との指摘があった。

・震災ADRの現実的な可能性
→単位会毎の実施なのか、もっと広域を想定するか。関弁連に期待したいとの指摘もあった。

・災害対策に取り組む会員の裾野を広げていくための方策
→モチベーションの持ち方、経験の継承について単位会を超えた情報共有が必要と思われる。

・・・書き出してみて、改めて、濃密な会議だったと実感した。
 参加された方々に心から感謝申し上げると共に、この場で出た話を次に繋げていくために、何ができるか、早速考えていきたい。少なくとも情報共有が必要だと感じた事柄については、関弁連が、ハブ的な機能を果たせれば良いなあと思いました。
 
 皆様、本当にありがとうございました!!!







Last updated  2017.07.05 04:00:22
2017.03.08
カテゴリ:東日本大震災

先日、早稲田大学で開催された研究報告会にて、報告を担当したことは、2月23日付ブログでもご案内しました。

http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201702230000/

実は凄く正直に白状すると、報告の準備をしているときは、

・今現在、私自身が、福島の原子力発電所事故を受け止め切れず、どうしたら良いか分からないことだらけで、途方に暮れて困り切っている状態なのに、悠長に諸外国の原発事故賠償の仕組みなんて勉強している場合じゃないのでは。
・それに、そもそも自分の報告も「困っている」どまりで「じゃあ、具体的にどうすれば良いか」を示せない。私の今の全力を尽くして6年間を苦しい思いで振り返ったけれど、抽象論に止まる自分が許せない。

等と思っており、報告者であるにもかかわらず、研究報告会それ自体から何かを得ることは期待していませんでした(ごめんなさい!)

でも、いざ参加してみて、本当に心が元気になりました。毎年本当に辛い3月11日も、近づいてきていますが、何とか心折れずに過ごせそうな気がするほどです。

そう思えた最大の理由は、学問というものは、「今すぐ役に立つかどうか」を基準にしてはいけない、という感覚をものすごく久々に思い出せたことにあります。
大学時代も、大学院時代も、法学という実学を学びながらも、それが今すぐ自分の実生活に役立つかどうかを度外視して、色々な法の成り立ちや仕組み、趣旨を知ること、学ぶことはとても興味深く面白いことでした。

自分にとって「今」「すぐに」役立つ話が、豊かで深いとは限らない・・・。
自分の取り組む個別案件から一旦離れて、大きな広い視野で物事を考えることはなんて楽しいことなのだろう。活き活きとお話しされる他の報告者のご報告をお聴きした時間は、私にとって、この上なく得難い、自分の頭と心が誰にも何にもとらわれずにのびのびと動くような気がした素敵な時間でした。

また、私が困っていることは、そう簡単に答えが出せないことなんだ、だから、みんなも困っているんだ、だから、一生懸命これからも考えていくしかないんだ、そうとても素直に思えたことも大きかったのです。答えが出せないのは当たり前、問題の一部にしか取り組めていないのも当たり前、でも、それが分かっただけでも、私には大きかったんですね。自分を許せないとか言っている暇があったら、もっと沢山のことを学んで、もっと沢山のことを考えようと思いました。
自分の6年間を、振り返って言葉にする作業を経て、私もまた、自分の限界や、視野の狭さを思い知りました。

もっと知りたい、もっと学びたい、もっと大きくなりたい、こんな気持ちが渾々と沸いてきました。

さて、前置きが長くなりましたが、実はここからが本題です。
研究報告会には、複数の新聞社の方もお見えだったのですが、この研究報告会における私の発言が3月3日付の朝日新聞に掲載されました。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12822832.html

ただ、私が、自分の発言が新聞に出ていることを知ったのは、私の留守中に、事務所に、下記の電話が掛かってきたためです。この電話を頂いていなかったら、永久に気がつかなかったかもしれません。

Xさんという男性から、
「朝日新聞に記載されていた原発被害の葦名先生の記事を読み、お電話しました。私自身も避難者ですが、記載されていることと全く真逆の考えです。こういう記事がでるとますます帰りたくても帰れなくなり、現場のことを、実態を何もわかってらっしゃらないのではないでしょうか。そのことを言いたくてお電話しました。」
と電話がありました。別段怒っている感じでもなく、淡々と仰っていました。


外出先で、担当事務局Aさんのメールを確認し「朝日新聞の記事?」と検索し、記事を確認しました。
その上で、名前しか出ていないこの記事から、私の事務所の電話番号を調べて、「淡々と」この伝言を残されたXさんの気持ちを考えると、私はたまらない気持ちになりました。

お話をお聴きしたい。ただただ心と耳を傾けたい。
そう思い、先程思い切って、お電話してみました。
私の心に染みこんでいくようだった大切なお話を、多くの方々に知って頂きたいと思いますので、個人情報に触れない範囲で、ご紹介します。

・3月11日が近づくと、溢れるほど沢山の記事が出ます。でも、全然現場のことが分かっていない。私達の気持ちは分かっていない、私達の気持ちを聞いてくれる人はいないと思います。
・今回の記事は、避難指示解除が早すぎる。避難指示解除なんて、むしろしない方が良い。避難指示解除を今するのは悪いことだ、と書いてあるように思えます。
・でも、避難指示解除をするかどうかの問題と、戻るという決断をするかどうかの問題は別問題ではないのですか。
・避難者の思っていることは、一人一人全部違います。避難指示解除されようとされまいと、避難先で住み続けるという決断をする人はいます。でも、避難指示解除がされる日を待ち望んでいる人もいます。すぐに戻れなくても、避難指示が解除されれば戻れる日が来るかもしれない。そう思うことで、希望を繋げる人もいます。
・でも、「避難指示が解除されても帰りません、帰りたくありません」という声は報道されても、「もう一度、元の家に帰りたい。早く避難指示を解除してほしい」という声は報道されません。多分、前者の方が「総じて」多いのでしょうね。アンケート結果もそうだったようですから。
・ただ、私は思います。「総じて」はあくまでも「総じて」でしょう。そうじゃない意見を持つ人もいるでしょう。一人一人違うのに、避難者は避難指示解除を望んでいない、という意見が避難者の声になってしまうのですか。
・避難指示の解除というものは、放射線量が下がったら、直ちに行われるべきことではないですか。避難者が帰るかどうかと関係なく、淡々と進められるべきことではないですか。帰る人がいなさそうだから、解除しなくても良いということにはならない筈ですよね。
・でも、実際には、帰る人がいなさそうなら、解除する理由はない、という流れができてしまう。「帰らない」と決めている人の声は大きい。でも、正面切って、「帰りたい」「帰ります」と言えないだけで、内心は「帰りたい」人の声は誰にも聞いてもらえない。
・帰還困難区域は、十分に賠償を受けているでしょう、って言われます。私にはうまく言えませんけど、賠償を受けているんだから帰れなくても良いでしょう、というのは違うのではないでしょうか。


・・・感情を波立たせるわけではなく、それこそ、淡々と、「こんなこと言ってももうどうにもならないのは分かっているんですけど」と苦笑いを交えながら、お話しして下さったXさん。

本当にありがとうございます。本当にお話ができて良かったです。
何の解決策も申し上げられなくて申し訳なかったけれど、でも、お電話でもお話しした通り、私は、Xさんの気持ちを「そのまま」受け止めます。それだけはお約束します。

誰かを守ろうとすると、他の誰かを確実に傷つけてしまうのが、原発事故です。
寄り添うべき誰かを特定できないのが原発事故です。

でも、言葉を飲み込みすぎると、誰も救えません。
私は、苦しくても自分の言葉から逃げないと決めました。
もどかしいけど、難しいけど、それでも、私は逃げないで、発信を続けようと思います。

Xさんが仰っていた通り、一人一人違うことを正面から受け止めて、一緒に悩み続けたいと思います。
Xさん、お電話下さって、本当にありがとうございました。
また、いつでも、本当にいつでも、お電話下さいね。









Last updated  2017.03.08 20:50:47
このブログでよく読まれている記事

全122件 (122件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 13 >


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.