「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
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2019.02.27
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全9件 (9件中 1-9件目) 1 子育て
カテゴリ:子育て
感染拡大が盛んに報道される昨今、先日、子どもたちが、小学校から「本校における感染防止対策の強化について」と題する一斉配布のお便りを持ち帰ってきました。
内容としては、感染拡大を受けて、①これまで毎朝提出していた健康観察票に、新たに家族の健康状態を記入する欄を設けたので記入をお願いしたい、②同居家族に発熱などの風邪症状が風邪症状が見られる場合にはできるだけ登校を控えてほしい、③子ども本人や家族に風邪症状がある場合は、他の家庭との行き来も控えて欲しい、④登下校中もマスク着用させてほしい、⑤校舎が開く以前に登校すると玄関で待っていなければならずその間に「密」が発生するかもしれないので、家を出る時間を考慮して欲しい、の5点。 お便りの最後は、「お子様の不安を和らげるために、『きちんとマスクをし、手洗い・うがいをしていれば感染は防げるよ』等、ご家庭でのお声掛けをお願いします」」と結ばれています。 小学校では、一人でも感染者が出れば、学級閉鎖にとどまらず、学校閉鎖になってしまう可能性が高いので、念には念を入れての感染対策ということなのでしょう。ここまで・・・という思いは正直ありつつも、この①~⑤までの対応自体は、私は理解できるし、受け入れられます。 ただ、非常に気になるのが、感染防止対策を取りましょう、と強いメッセージはあっても、「もし疑わしい症状が出たら、このように行動しましょう」等の「万が一」を想定したメッセージが何もないことです。 「感染症」である以上、文字通り、どんなに気をつけていたとしても「感染」することはあり得るのであって、その時に、ここに連絡したら良いよ、ここで検査をまずは受けましょう、等の情報は何ら発信されないまま、ひたすらに、いわば、「絶対に感染するな」という凄まじいプレッシャーを数ヶ月間もの間、子どもたちにまでかけ続ける社会は、息苦しく不健全だと私は思います。 子どもたちは、素直に、感染=悪と考えるでしょうし、風邪症状が出ただけでも不安と恐怖に襲われてしまうでしょう。この土壌の中で、感染者を差別してはいけません、と言われても響かないように思われます。 これは、友人から教えて頂いたイリノイ州の保健当局がTwitterで流しているデータですが、たとえば、このように、「風邪とインフルエンザとコロナはこんな風に症状が違うよ。だから鼻詰まりや鼻水があまりないのに匂いや味を感じないとか、息切れがひどい、とかであれば、ココで検査を受けてね」というようなメッセージがセットで発信されてほしかったと私は思うのです。 https://twitter.com/IDPH/status/1334582357026873346 このお便りに顕著に現れているような、「万が一」の想定は共有せず、ひたすらに「絶対に万が一を起こさないようにしましょう」という呼びかけは、日本のあらゆる場所で、また過去を振り返ってもあらゆる時代で、繰り返されてきた現象だと思うので、一朝一夕でどうにかなる問題ではないのかもしれません。 それでも、この時代を生きる大人の一人として、この異常事態に感性豊かな時代に遭遇してしまった子どもたちに、どのようなメッセージを送るべきなのか、私は考え続けたいし、自分の思ったことは発信していきたいと思います。
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2020.12.05 07:42:17
2011.11.07
カテゴリ:子育て
3歳の息子は、おしゃべり盛り。
この世の不思議をすべて両親に聞きたいお年頃。 道路を横切る車、スーパーで陳列されている商品、すべてが「これなあに?」の対象。 最近は、「これなあに?」の対象が、抽象概念も含まれるようになって、面白い。 この間なんて、どこで聞いてきたのか「プライドってなあに?」と言われてびっくり。 「〇〇(息子の名前)は、はじめてのことがいっぱいだもんね、不思議がいっぱいだもんね」と見上げるつぶらな瞳に笑顔を向けると、今度は「はじめてってなあに?」と来た。 「はじめてはねえ、今まで見たことないこと、聞いたことがないこと、食べたことがないもの、会ったことがない人、感じたことがない感情、に出会ってわくわくすること」ととりあえず答えたけど、伝わったかな。にこにこして「うん!」って言っていたけど。 それにしても、「はじめて」が一杯って本当に素敵だなあと思った。 大人になればなるほど、「はじめて」は少なくなっちゃうから。 ・・・と思いつつ、周りのいくつになってもキラキラしている人って、いつもいろんなことに驚いたり感激したり、いくつになっても「はじめて」が一杯という生き方をしているなあとふと気付いた。 「はじめて」を子どもの専売特許にしておくのは勿体ない。 大人も、いつまでも「はじめて」を見つける感受性、「はじめて」に感激できるしなやかな心、「はじめて」を受け入れる柔軟性を持っていたいなあ、なんて思ったのでした。 沢山の「はじめて」に明日も出会えますように。
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2011.11.08 02:25:18
2011.10.09
カテゴリ:子育て
歌い継がれる童謡、どんぐりころころ。
親しみやすく情景が浮かぶ歌詞と優しいメロディーは、息子も大好きだ。 ところが、原曲には、下記2番までの歌詞しかない。 どんぐりころころ どんぶりこ お池にはまって さあ大変 どじょうが出て来て 今日は ぼっちゃん一緒に 遊びましょう どんぐりころころ よろこんで しばらく一緒に 遊んだが やっぱりお山が 恋しいと 泣いてはどじょうを 困らせた これでは、どんぐりは、お山に帰れないままだ。 子どもの頃から、ずっと気になっていた。 でも嬉しいニュース。10月6日付朝日新聞によると、作曲家の岩河三郎さんがつけた3番目の歌詞があるそうだ。 どんぐりころころ 泣いてたら 仲良しこりすが とんできて 落ち葉にくるんで おんぶして 急いでお山に 連れてった こりすが落ち葉にくるんでおんぶしてお山に連れていくなんて、なんてかわいらしくほっとする歌詞。 息子にも早速歌ってあげたら、にこにこと何度でもせがむ。 一般には知られていない歌詞なのに、いつもの調子で保育園でも大声で歌うんじゃないかしら。保育士さんに変に思われないように連絡帳に書いておかなくては。 折しも、本日付の朝日新聞で、原発事故による避難住民への聞き取り調査結果が報じられていた。「震災前に住んでいた地域に戻りたいですか」という質問に対し、「戻りたい」と回答した人が前回6月調査時の62%から42%に減ったのだという。 ・・・「戻りたいけど戻れない」というのが本当のところだろうと思う。本音では戻りたいけれど、現実的には戻ることが難しい。そんな厳しい現実が避難住民に突き付けられているのが実態だ。 泣いてるどんぐりを今すぐお山に帰せないまでも、せめて、落ち葉にくるんであげたい、おんぶしてあげたい。 そんな想いを心にくゆらせつつ、ふんわりとあたたかい息子をいろいろな歌を歌いながら寝かし付けた日曜日の夜でした。
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2011.10.10 00:12:12
2011.09.23
カテゴリ:子育て
3歳の息子は電車が大好き。お風呂に入るときも、いつも小さな電車の玩具を持ち込み、浴槽の縁を走らせて喜んでいる。
「次は終点静岡駅です」「本日はご乗車いただきまして誠にありがとうございます」等とイントネーションもそっくりに車内アナウンスをしたり、踏切を通過したり、自分なりのストーリー作りに没頭している。 今日は、各駅停車の設定で、「次は三島に停まります」「次は小田原に停まります」とか、忙しい様子。 次第に、息子の知っている駅名は言い尽くしてしまって「お母さん、次は、何駅?」と私に駅名をいうように求めてきた。 突然振られても、静岡にいるとどこでも車で移動してしまってそんなに電車に乗らないので、よく分からない。 そこで、なんとなく「次は相馬駅」と言ってみた。息子は喜んで「次は相馬駅」と繰り返し、「つぎは?」「つぎは?」と目を輝かせて聞いてくる。 そこで、相馬から先の懐かしい常磐線の駅名を次々と口に出した。 原ノ町駅、小高駅、浪江駅、双葉駅、夜ノ森駅、富岡駅、広野駅・・・・ 小高駅以降は、口に出しながら溢れるような懐かしさと一緒にほろ苦い想いが込み上げてきた。 いずれも、原発30キロ圏内の駅、復旧することは、もう二度とないかもしれない。 のんびりしたローカル線で、ちょっと雨が強くなれば、すぐに止まったり遅れたりする常磐線だったけど、お年寄りが杖をつきながら乗ってきたり、子供たちがきゃっきゃと騒いだりと地域に愛された路線で、車窓からの田園風景が心を穏やかにしてくれて、私は、乗るの好きだったんだけどなあ。 息子は何にも知らない。もうなくなってしまうかもしれない駅だということも、電車に乗り込んでいた息子と同年代の子供たちが全国に散り散りになってしまっていることも。 ・・・何にも知らないで無邪気に、もう二度と停まらないかもしれない駅に「次停まります」と繰り返していた。 いつか息子が分かるようになったら、教えてあげよう。 この駅を愛していた人たちのこと、車窓から見えた美しい風景のこと。 失われた美しい駅のこと、もう二度と見られないかもしれない駅のこと、私は、忘れない。
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2011.09.24 16:13:57
2011.09.12
カテゴリ:子育て
すやすや寝入ったはずの息子が、あはは、と笑い声をたてるので、あれ?起きちゃった?と見に行ったら、やっぱり寝ていた。
大の字になってお腹を出して、口元にふんわりと笑みの跡を残して。 どんな楽しい夢をみたのかな、と頬をそっとなでた。すべすべのまあるい柔らかいほっぺだ。額に寝汗で張り付いた髪を静かにかきあげ、濡れタオルで汗をふく。 親が子をどんなに愛しいと思っているか、子には分からないだろう。 この子が大きくなるときにどんな世の中になっているだろうか。 自分より大切な存在がいることで真剣に考えるようになった将来の社会。 君の未来が平和で穏やかな光に満ちたものであるように、おかあさん、がんばるからね。 見飽きない寝顔につぶやく時間、身体も心もほどけていくような気がする。
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2011.09.12 22:30:54
2011.07.13
カテゴリ:子育て
今朝、息子の大好きなとうもろこしを茹でてあげたら、甘くて美味しかったらしく、1本まるまる食べてしまった。
そういえば、先週、水族館に行ったときのこと。 ピラニアが泳ぐ水槽を見て「あ、このお魚、はーは(歯)ある!」と叫び、その後続けた言葉が、 「このお魚、はーはあるから、とうもろこし食べられるねえ!」 めちゃくちゃ嬉しそうな満面の笑みの息子につられて、「そうだねえ」と笑ってしまった。 そっかあ、この子の頭には、美味しそうにとうもろこしを食べるピラニアの絵が浮かんでいるんだなあ。 もうすぐ3歳になる息子のおしゃべりは、名言揃いだ。 今朝、スカートをはいていた私には、「おかあさん、白雪姫みたい!」と声をかけてきたので、「そ~お?」と本気で照れてしまった。 絵本に出てくる白雪姫を見て以来、スカートを履いている人にはもれなくお年に関係なく「白雪姫みたい」と声をかけるので、困ってしまう。 でも、「白雪姫みたい」といわれた女性は、驚きつつも、嬉しそうに笑ってくれることがほとんどなので、ちょっと安心?!
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2011.07.13 16:20:43
2011.06.15
カテゴリ:子育て
大学の恩師である後藤昭先生は、分かりやすい講義をされることで学生の評判がとても良かった。講義でちょっと引っかかった部分を後で個人的に質問に行くと、かみ砕いて説明してくださるので、疑問が残らず、すっきりと整理できた。
そんな後藤先生が常々仰っていたのが、「自分が理解していないことは説明できない」という言葉。 そのときは、そうか、そんなものか・・・と思っていたが、弁護士業務についてからは、その言葉の意味を思い知らされることになる。 年齢、学歴、これまでの人生経験等が全然違う一期一会の出会いに対し、どこまで、「その人」に理解・納得できる言葉で話せるか、毎日、試されている気がする。 単に語彙が豊富であれば良いという問題ではなくて、「その人」が悩んでいること、「その人」が一番ほしい情報を、想像力を駆使して辿り着くということがまずは前提になるし、それを適切な言葉を選んで、言い回しも工夫して伝えなければ、結局、ニーズに応えたことにならない。 法律相談は、本当に奥が深くて、interestingだ。 ただ、私が今一番、「自分が理解できないことは説明できない」ことを痛感させられている相手は、法律相談の依頼者ではなく2歳の息子である。 ここ数ヶ月、息子は、急激に言葉が増え、分からないこと、聞きたいことを、言葉で表現できるようになってきた。 世界は、不思議なことに溢れており、息子は聞きたいことが一杯だ。 「お箸は食べるために使うの。振り回すのはお行儀悪いよ!」 「お行儀ってなあに?」 「お行儀?うーん、守らないといけないルールのこと」 「ルールってなあに?」 「ルールはねえ、皆が一緒に楽しく気持ちよく暮らしていくために、やっていいことと、やってはいけないことを決めること」 「ふうん」 「わんわんってどうして、お手手がないの?」 「4本とも足だからじゃない?」 「どうして、4本とも足なの?」 「2本足では立てないからじゃない?」 「なんで、2本で立てないの?」 「・・・。何でだろう・・・」 もう、しょっちゅう言葉に詰まってしまう。なんで、なんで、なんで-?どこまでも質問する息子にどこまでも答えてあげたいのだけど、ホントに難しい。 息子の語彙が少ないから、適切な言い方が見つからないという問題以上に、結局のところ、私も分からないから答えられないのだ。 誰か、わんわんがどうしてお手手がないのか、息子に分かるように説明していただける方はいませんか?
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2011.06.15 10:03:45
2011.05.30
カテゴリ:子育て
金曜日の夜から、2歳の息子が高熱を出し、土日は、看病に追われていました。 看病といっても、敵は2歳。おとなしく布団に寝ているはずはなく、少しでも熱が下がると、全速力で家中を走り回ったり、ソファからジャンプしたりするので、少し下がった熱もどんどんあがっていきます。止めてもいうこと聞かないどころか「お外に遊びにいく」との主張をなだめるのに必死。 幸い、医者に出してもらった抗生物質は、眠気を催す副作用があるのか、いつも2時間くらいの昼寝が4時間くらいになり、少しは休めているのかなと、寝顔を見ながら、時々額に手をあてて熱を確かめていました。 ただ、昼寝が異様に長くなったせいで、今度は夜が寝られません。 ・ 前に動物園に行ったときにチンパンジーがぶらぶらしていた、上手だった ・ 赤信号で、ダンプカーが止まっていた、ざざっと土を落とすだろうか ・ 新幹線のひかりはゆっくりだがのぞみはびゅーんと速い、 ・ 保育園で飛行船を見たがとっても大きかった、飛行機より大きい 等々、何の脈絡もない話をぺちゃぺちゃと延々として、寝付くまでものすごく時間がかかりました。 それどころか、今朝は、午前3時に「朝だよ、おかあさん、おちて(起きて)」と揺すられ、それで起きないとなると胸の上に馬乗りになり、「おちて!」と懇願。「まだ朝じゃないよ。外は真っ暗でしょ」ともう一度寝かしつける等、大騒ぎ。 母にとっては非常に大変な二日間を終え、今朝の息子はすっかり熱も下がり、ぴかぴか笑顔。 後には、息子の風邪を完全に移され、鼻ずるずる、のど痛い、でも、朝からお仕事があるじゃん、なので、マスクかけて出勤の母が残されたのでした。 息子の病気は、いつも台風のように周りを巻き込み、過ぎ去っていくのでした。
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2011.05.30 17:35:20
2011.02.22
カテゴリ:子育て
2歳の息子に、夜寝る前に本を読んであげるのが日課です。
私が小さい頃好きだった本と再会できる幸せな時間。 でも、何より、お腹がぽこんと出たふくふくした息子とほっぺをくっつけ合っっていると、心身共に暖かくなります。 あっという間に大きくなっちゃうよ、と皆にいわれるので、この時間を大切にしなければ。
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2011.05.20 13:06:18
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