2017.04.22

【ご報告】薬害C型肝炎訴訟和解について

カテゴリ:弁護士業務
毎日、飛ぶように時間が流れていきます。
時間の速度と仕事の速度が比例したら良いのですが、現実は厳しいですね・・・(苦笑)。

さて、私が担当した薬害C型肝炎訴訟で、今年2月に和解が成立した件につき、事務所に多数のお問い合わせを頂いているという事情もあり、私の視点、私の言葉で、きちんと発信したいと思い、久々のブログ更新です。

どういう言葉でブログに載せるかとても迷ったのですが、当たり障りのない事案の説明を掲載するよりも、私の葛藤やこの事件から学んだことを率直に残したいと思い、元々所属していた東京パブリック法律事務所のMLに流した報告メールを、以下、ほぼそのままの形でご紹介する形で、私のご報告に代えたいと思います。

冒頭で、和解が成立した際に、私が依頼者の方に書いたお手紙をご紹介しておきます。
何故、このようなお手紙をお送りしたかは、報告メールをご覧頂ければ、理解頂けるのではないかと思います。
Xさん、本当に本当にありがとうございました。


 先日は、大変お疲れ様でした。
 長く苦しい闘いが最高の結果で終わったのは、ひとえに、X様の執念ともいえる熱意の賜だと思います。
 私は、X様からご依頼を頂いた当時、ひたすら逃げ腰で、絶対に勝てる筈がないということばかり申し上げておりました。
 浅はかな私のアドバイスを鵜呑みにせず、希望がある限り頑張りたいと粘ったX様が引きずって下さったお陰で、私も弁護士冥利に尽きる体験をさせて頂きました。
 X様から学ばせて頂いたことを、今後の弁護士人生でもずっと大事に、私なりの努力を重ねていきたいと思います。本当に心から感謝申し上げます。


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皆様

いつもお世話になっております。
今日は、ちょっと真面目モードで、数年越しで取り組んでいた事件で、大変嬉しい結果が出たことをご報告します。

地元紙の報道を貼り付けておきますね。

静岡新聞
http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/331115.html


事案は、「特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固剤因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関する特別措置法」に基づく給付金請求で、被告は国です。
40年前の出産後、出血が止まらず再入院した際に、特定フィブリノゲン製剤を投与された結果、慢性肝炎になってしまったという前提事実の下、給付金2000万円を請求しました。

特措法に基づく救済を受けるためには、「40年前の出産時にフィブリノゲン製剤を投与された」という事実を証明しなければならないのですが、出産・再入院した産婦人科は、昭和55年火災で全焼、主治医だった担当医師が焼死し、同時にカルテ等の医療記録も焼失している状態で、当初から立証資料が存在しない状態でした。

しかし、当時、研修医として、当該産婦人科に在籍していた医師(担当医師ではない)が、浜松市内で開業していることが調査の結果、分かったため、お話をお聞きすると、「担当医師ではないため記憶はないが、その臨床経過であれば、当時の医院では、フィブリノゲン製剤を投与していた可能性がある」ということを言って頂きました。

そこで、この医師の証言を柱に、また、原告の供述する臨床経過を裏付ける資料(再入院時に、薬を投与しているから、という理由で、母乳をあげることを禁止されたため、再入院からの退院後、すぐに乳腺炎を発症し、駆け込んだという病院の診察券くらいか)、そして何より、原告の一貫した証言を陳述書にまとめ、提訴しました。

国側の抵抗は凄まじい、の一言で、紙爆弾のような主張書面や証拠を山ほど出されましたが、最終的に、昨年12月に裁判所が因果関係を認める所見を出し、2月に和解が成立したという経過です。

それだけのご報告であれば良かった、良かった、なのですが、わざわざMLにご報告した真意は、この訴訟に至るまでの私の逡巡をお伝えした上で、この結果に至ったことを受けて私が学んだことは、私の弁護士人生を変える位の大きな出来事だったということをお伝えしたかったからです。

この事件は、日頃から大変お世話になっている弁護士のご紹介という流れだったため、断り切れず受任したという経緯があるのですが、率直に正直に白状すると、私自身は、あまりの証拠のなさに、提訴してもまず無理だと考えていました。
何しろ、本当に何もないのです。思いつく証拠が全部焼失しています。ご本人に非はないけれど、それでも常識的に、難しすぎるのです。

どう考えても勝てない訴訟なのに、依頼者は、「負けても良いからやりたい」の一点張りで、でも、実際のところ、依頼者が「負けてもいい」等とは微塵も考えていらっしゃらないこと、「勝つ」ことしか考えていらっしゃらないことは明らかでした。

これは、負けた時に確実に大問題になると思った私は、「訴訟をしても勝てないことが確実なのにそれでもやるのか」ということを再三再四、依頼者に問い詰めて、説得しました。
当時の打合せメモには、「現状においては、特措法に基づく賠償金を得られる可能性は限りなくゼロに近い」という言葉が何度も出てきます。

それでも、ご本人が、一貫してやりたい、わずかな望みにも懸けたい、それで駄目なら諦めるけど、やらずに諦めるのは嫌だと、言い募ったからこそ、今があります。
もっと弱い依頼者であれば、私の説得に負けていたことは確実です。それほど、私の説得は強かったと自覚しています。

最後は、根負けし依頼者に引きずられるような形で嫌々提訴しました。
ただ、提訴してからの国の凄まじい反論を受け、逆に、私も火がつきました。どうせ負けて当たり前の訴訟なら、最早失うものはないと思いましたので、訴訟係属中も、何かないか何かないかと探し続け、出せそうなものはどんなに薄い間接証拠でも出しました。

所見が出る前の最後の期日(昨年10月)では、私が最終準備書面を出したのですが、それに対して国が「反論したいので更に3ヶ月欲しい」などと言い出してきたときには、「今までの主張でもう十分尽きている筈だ。後は事実の評価の問題なのに、さんざんさんざん引き延ばしてきて、これ以上引き延ばすのは、絶対におかしい」というようなことを一歩も引かない覚悟で言い続けました。

対して国の代理人も、「先生は、C型肝炎訴訟がなんたるか、現場をまったくご存知ないですね。国がやってきたことを引き延ばしと決めつけるあなたは、弁護士としておかしい」等と非常に感情的に言い返してきて、険悪な雰囲気極まれりという時に、今まで何を考えているのかさっぱり分からなかった裁判長が、「裁判所は、原告代理人の仰るとおり、本件は事実を評価する事案だと考えます。当裁判体で年内に所見を出します」と言い切り、その場が収束しました。

という経過だったので、年内最後の一週間は、いつ所見が届くのかとドキドキしながら過ごしていたのですが、12月28日になっても届かず、「年内」は普通、今日までではないのだろうか、と思っていると、28日夕方5時頃、裁判所から「今、発送しました」と電話がありました。

これは何としても受け取りたいけど、翌日からは年末年始休みに突入してしまい家庭の事情もあり、そう簡単に事務所に出られないと悩んでいる私の気持ちを、いつも誰よりも先回りして私の気持ちを分かってくれる担当事務局Aさんが汲んで下さり、「私、まだ大掃除終わっていないんですよ、午前中だけ出ていいですか」と私の心の負担を減らすような言い方で言って下さいました。そこで、Aさんのご好意に甘えて、所見を受け取って頂くことにしました。

そして、29日夕方、なんとか事務所に出ると、机の上に、裁判所からの封筒が置いてありました。
早速開けようと思ったのですが、動揺してはさみを持つ手がぶるぶる震えて、とても開けられませんでした。

深呼吸をして、負けた場合、絶対に勝つと信じている依頼者に、なんて言おうか・・・と考えました。
そのとき、本当に自然に、たとえ負けても、この事件をやって本当に心から良かったと思っている、そのことだけは胸を張って笑顔で彼女に言ってあげたいと思いました。結果だけじゃない、過程で全力を尽くした一緒に頑張ったこの想いは、きっと彼女も分かってくれるだろうと思いました。私は、このとき弁護士人生で初めて、提訴前に依頼者が言った「全力を尽くしてそれでも駄目なら諦められる」という境地に達したのです。

正直なところ、今まで一度たりとも、そんなことを本気で思ったことはありません。結果を目指している以上、結果が一番大事ですからね。

私は大丈夫だ、どんな結果でも受け止められる、そう思って開けた瞬間、「原告に対し特定フィブリノゲン製剤が投与されたと認められる」との所見本文が目に飛び込んできて、号泣でした。
本当に心の底から嬉しかったです。

今回の一連の経緯を振り返って思うことは、裁判を受ける権利、司法救済を受ける権利を、弁護士が潰すようなことがあってはならない、という強烈な反省に基づく想いです。
今回は、良い裁判官が奇跡的に良い所見を書いてくれて最高の結果になりました。

でも、提訴前に私が諦めさせていたら、この結果はなかったことになります。取り返しのつかない決断をしてしまうところだった私を引きずってくれた依頼者を今は愛しく思います。

私は、今年で弁護士14年目になります。
いつも高いところを目指そうと自分で思っているつもりでも、自分で気付かないところで、変な慣れや諦めが出てきてしまっていることに今回気付きました。

闘う前にやめるのではなく、闘ってから諦める、そういう生き方を希望している人が目の前にいるのであれば、それを応援することは、私の役割で、その希望を、弁護士レベルで叩き潰すことは私の役割ではない、そう明確に思うようになりました。
大切なことを教えてくれた原告ご本人に心から感謝しています。
私の弁護士人生を変える体験をさせてくれました。

毎日本当に忙しいですが、この事件で学んだことを心に刻んで、フレッシュな気持ちでひとつひとつの事件処理にあたりたいと思います。
朝から長文で失礼しました。





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Last updated  2017.04.22 01:11:43