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テーマ:祭り・伝統行事(999)
カテゴリ:お祭
今日は流鏑馬を見てきました
といっても、いつもの競技の流鏑馬ではなく、 近くの櫛引八幡宮の秋祭りの中で行われる 神事武芸の流鏑馬です。 櫛引八幡宮での流鏑馬は、岩手県の遠野市から 遠野南部流鏑馬保存会の方々がいらして奉納します。 なぜ遠野から来て奉納するのかというと、 櫛引八幡宮の流鏑馬は八戸根城南部4代師行が 南部氏の氏神の櫛引八幡宮に奉納したのが始まりといわれています。 その後根城南部氏は本家の盛岡南部の命で南の伊達領との藩境を固めるため、 根城から遠野への移封を命ぜられました。 その際、盛岡南部藩主利直より 「櫛引八幡の流鏑馬は、従前通り貴家において行うように・・・」 と命じられ、その後も幕末まで八戸まで来て奉納していたのだそうです。 明治期になり流鏑馬の奉納は1度途絶えましたが、 これを惜しむ有志によって遠野南部流鏑馬保存会が結成され、 昭和59年に社前の新馬場で復興され、毎年秋の例大祭で行われています。 それでは流鏑馬の奉納の様子を まずは馬場清めの儀として、櫛引八幡宮の神職が馬場を祓い清め、 更に、一の的、二の的、三の的が祓い清め馬場入りとなり、 太鼓役を先頭に記録所役2名、総奉行、乗出役、乗止役、 そして射手奉行、介添奉行、的持役が3組その後に続き、 矢拾役と、各々従者を従え列を作って入場、行列が馬場を一周します。 そしていよいよ3名の射手奉行による流鏑馬の奉納「本儀」が始まります。 また、それぞれの射手奉行が3つの的を射終わるとその度に、 介添奉行が日の丸の扇を開いて両手を上げ、 「よう射たりや、よう射たりや」と連呼しながらその後を追います。 こうして神事武芸の流鏑馬が行われました。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ここからはちょっと辛口です。 神事の流鏑馬を生で見るのは実は初めてだったのですが、 ここ2年ちょっとの間、流鏑馬競技を何度も見てきていたので、 今回は神事武芸ということで、競技とは違った良いモノが見れるのではと 色々と期待をして見に行ったのです。 しかし、正直に言って期待していたものとは違ったという感じでした。 流鏑馬競技の選手達の多くは、この遠野の流鏑馬保存会とは違いますが 同じ旧南部藩の流鏑馬の流れをくむ、盛岡八幡宮で流鏑馬を奉納している 南部流鏑馬保存会の副会長と師範から、指導を受けて行われています。 僕自身は流鏑馬に取り組んではいませんが、 これまで、流鏑馬の講習会にも参加させて頂いたり、 副会長や師範のお話を何度となく聞かせて頂いてきて、 南部流鏑馬の『型』というものをある程度理解しているつもりです。 ちょっと生意気な事を言うようですが、 今回の射手奉行は3人とも自分の感覚でやっているような感じで 『型』はバラバラで、見ていてもなんだか美しくありませんでした。 もしかしたら『型』という概念がないのかとも思うほどでした。 これまで流鏑馬競技を見てきた経験から、 『型』しっかりしている選手の所作は見ていて美しいものですし、 また『型』がしっかりしていると的中の確実性も高いと感じていました。 今回の射手奉行では3人のうちのお1人は、 僕が見聞きしてきた『型』に近いものでしたが、 あとのお2人は“流鏑馬”というよりは “ホースバックアーチェリー”という感じでした。 保存会で流鏑馬の伝統を大切にしようとされているなら、 もうちょっと『型』も大事にして頂けたらと思いました。 なんだか型を二の次にして当てることを重視して、 神事武芸の流鏑馬の方が競技の様になっている様な印象を持ちました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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