あきれす的☆空と馬日記

2010/09/18(土)02:27

盛岡八幡宮神事南部流鏑馬

お祭(8)

というわけで、 盛岡八幡宮神事南部流鏑馬の様子をお伝えしたいと思います。 まず、盛岡八幡宮例大祭は13日の宵宮祭からはじまり、14日の神輿渡御、15日の例大祭・崇敬者大祭、 そして最終日の16日には神事流鏑馬が行われます。 この神事流鏑馬は、南部藩第13代守行公が 応永25年(1418)、櫛引八幡宮(八戸)にて 天下泰平・国家安穏・南部保全・子孫繁栄を祈願して行ったのがはじまりで、 その後、南部氏が盛岡城に本拠地を移し、 盛岡八幡宮でも延宝9年(1681)から流鏑馬がおこなわれるようになり、 明治40年頃まで続いたものの、1度その伝統は途切れ、 昭和25年(1950)に再び復活したそうです。 神事流鏑馬は、 まず流鏑馬の当日早朝、神社そばの中津川の川原で 射手奉行や介添奉行弓などの奉仕員と馬を祓い清める 「川原祓儀」がおこなわれます。 その後、神前で八幡大神様へ流鏑馬をおこなう事を報告する 「流鏑馬神前の儀」が行われます。 「流鏑馬神前の儀」のあと、関係者のみなさんの記念撮影を脇から撮影 そして、場所を鉄砲馬場に移し、 馬場と一の的、二の的、三の的も念入りに祓い清める 「馬場清めの儀」 次に、「馬場入れの儀」 太鼓役に続いて、馬に悠然とまたがる総奉行が登場。 射手奉行3名、介添奉行3名も馬場を確認します。 総奉行は、流鏑馬の総指揮官のような役割で、 もともと石高千石以上の格式の高い武士が務めていたそうです。 (現在の価値にすると1石=約150kg、米10kg=約3000円として年俸4500万円ほどでしょうか?) また射手奉行、介添奉行は石高三百石以上の藩士が務めていたそうです。 そして、いよいよ「本儀」が始まりました。 まずは、1人目の射手奉行、南部流鏑馬師範の大森氏 見事に命中!的は真っ二つ!! 2人目の射手奉行(スミマセン、お名前を確認できませんでした) もともと射手奉行を務める予定だった方の急病により、 急遽射手奉行を務めたのだそうですが、 立派にお役目を全うされました。 3人目の射手奉行、南部流鏑馬会副会長の菊池氏 大森師範とともに競技流鏑馬の選手の育成にも尽力されています。 その弟子達も見守るなか、見事な騎射を披露されました。 次に南部流鏑馬独特という「介添え奉行」を紹介 射手奉行が矢を射たあとに馬場に駈けだし、 馬上で扇を開き両手を上げて、射手奉行を賞賛して 「よう射たりや~!」と高らかに声を上げて馬場を駆け抜けます。 ちなみに今回は世が世なら南部藩のお殿様 南部家の現当主第46代の南部利文さんも流鏑馬を見守られていました。 今回は、競技流鏑馬とはひと味違った神事の流鏑馬を楽しむ事が出来ました。

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