マスP文庫

2019/03/03(日)16:27

お雛様へのプレゼント

「オハヨーッす」タケシはボサボサの髪を気にする風でもなく、ぶっきらぼうに職場に入って来た。金型職人が5人ばかりの小さな町工場とはいえ、この会社を経営する社長兼工場長の藤田は、この遅刻常習犯がやってくるなり怒鳴り付けた。「こら!タケシ!ちょっとこっちに来い!」いつもの説教が始まった。他の職人達は、「またか?」という風情で別段気にする風でもなく、黙々と作業に打ち込んでいた。タケシという若者は高齢化が進む職人達の中では貴重な存在ではあるが、口数は少なく、ぶっきらぼうで、手先が器用な面はあるものの、一番の問題はこの遅刻の常習犯である事だった。「何度も言うが、お前のこの遅刻が改まらない様なら辞めてもらうぞ、わかったか?」延々と続いた説教がやっと終わり、タケシはすたすた戻って行った。 「お疲れさん。今日は早いね。」藤田はタケシの次に若い、と言っても倍くらい歳が離れている遠田に声を掛けた。「社長、今日は孫のひな祭りの祝いで食事に呼ばれてんで上がらせてもらうよ。」彼はそう言うといそいそ帰って行った。 工場の戸締まりをして表に出た藤田は襟を立て、寝静まった夜道を家路に急ごうとしたが、街灯の下で人がうずくまっているのに気がついた。酔っているようだ。傍らには戻した後がある。藤田は近付くと声を掛けた。「もしもし。」彼はすっかり寝込んでいた。「大丈夫...?」よく見るとそれは遅刻常習犯のタケシだった。「しようのないやつだなあ。」藤田はこの寒い中放ってもおけず、肩を担ぎ上げると再び家に向かって歩き出した。 みそ汁の香り、魚が焼ける匂い。タケシは割れるような頭を押さえて起き上がった。知らない部屋を見回していると、やがて襖を開けて藤田が顔を出した。 タケシは藤田の自宅の食卓で久しぶりの食事らしい食事をしながら、辺りを見回していると、テレビの上にヤクルトの容器で作ったひな人形の様なものが置いてあるのにに目が留まった。そんな様子に藤田は気がつき僅かに微笑んだ。 藤田の一人娘は15年前にまだ9歳だというのに、小児癌で亡くなっていた。「あれは娘が入院していた時、病室で二人で飲んだヤクルトの空き容器で作ったんだ。毎年飾っているんだ、」タケシはまだじっと見つめていた。 自宅に寄って工場に出るタケシを送り出した後、藤田も支度を始めた。そして何気なくヤクルト容器のおひな様に目が行き驚いた。なんとおひな様の後ろに銀の屏風が立っているではないか。ガムの包み紙が丹念に折り込まれていて立派な屏風だった。 「タケシのやつ、妙に器用なんだから。そうだよな。おひな様には屏風がいるよな。」ヨシッと気合いを入れて、藤田も元気よく工場に向かった。

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