なるほど「大本営+参謀本部+調査部・・・」なのか。
そういうリアルな側面を捨象しまくっているのが日本の主要なメディア報道か。たしかに10月に千鳥が淵を訪ねて安倍の靖国論を封じ込めたワシントンを見れば安全保障会議の目論見は日本国民に名目上は日米安保体制の強化と触れ込みつつ政府の超然化を図ろうという点しか見当たらない。まるで戦前の近衛政権時代と瓜二つだ。あの当時も何となく感覚的に外交が動いていた。その結果として日本は余計な代償を支払う羽目になった。それでも同じ系譜の人間にとっては同じ価値感を再現することが保守政治の保守たる所以であると信じ込まれている。だから実にやっかいな話だ。そういう過去の失敗を再び現在に再現させようとするとは一体何を考えているのか。いわば一種の自己顕示に駆られる衝動をそのまま政治行動に載せただけだ。それは余りにも身勝手すぎないか。そういう政治家の振る舞いが政権や与党だけではなくて野党にも蔓延をしているのが非常に辛い。こうしたリアルさを著しく欠いたハリボテの政治が崩れ去った暁に私たちに突きつけられる現実を大いに憂う。それは余りに惨い姿だ。いったい何時から好き勝手な振る舞いが許される様になったのか。その問いから実は問いかけ直す必要がある。そうやって忘れかけた感覚を呼び覚ますのだ。この歪な発想が今後も積み重ねられていく事のおぞましさ。それは日本だけでなく近隣でも起こる理不尽さと重なって醜さを増すだろう。そういう一種の憎悪が折り重なっていくことを通じて確実に人々の内心に燻っている感情が炊きつけられる。そういう危機を何とか回避できないかと願う。