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石川県 旅館 ホテル 心に残る旅の宿

お宿奇談11[蛍の宿]

[怖い話 不思議な話 幽霊話]

[関東 某民宿]
 20代のカップル

 私は7月中旬、有給休暇を取り、婚約者の美奈子と一緒に山あいの民宿で一泊しました。宿の条件は田舎っぽく、蛍が見られるところ。民宿へ着いた時、その条件にまさにぴったりの場所で喜びました。建物は普通の農家を改造したような感じ、近辺は小高い山々が連なり、平坦な部分は青々とした田んぼです。

 私も美奈子も都会育ち、若い時は受験競争に明け暮れ、成人してもマニュアル通りの仕事、騒音、無表情な人々の群れ。こんな生活に慣れているはずでしたが、この頃どうしても仕事が空虚な感じがして身が入らなくなりました。これではいけないと気付き、同じ思いで苦しんでいた美奈子を誘い、思いっきり自然の空気を吸って来ようと考えたんです。

 部屋へ案内されると60前後の女将さんがお茶を持って現れ、正座し、丁寧なお辞儀をします。
「今日は、ようこそ。山と田んぼしか無いところですけど、どうぞ思いっきりゆっくりなさってください。」
「有難うございます。蛍は今どうですか。」
「今がちょうど見ごろですよ。夜8時ごろがいいですね。ここ数日天気が良かったので、きっと蛍だらけになりますよ。」
「そうですか。良かった。」
「あの、今夜のお布団はどのように敷きましょうかね。こちらのお部屋に一緒にしますか。それとも一つはこちらで、もう一つはあちらの部屋にしますか。」
 部屋は中央にふすまが有って二つに分けられるようになっています。
 そう言われて私はあわててしまいました。
「あっ、あの、二つ別々にしてください。あの、僕らまだ夫婦じゃないんです。」
 女将さんはにっこりしました。
「はい、分かりました。ではごゆっくりと。」
 そう言って女将さんは出て行かれました。
「ふふ、宿帳の二人の名字が違うものね。」と美奈子。
「ああ、でもそんなことまで気を使ってくれるんだね。」
「ねえ、おさんぽ行ってこようか。ここ、静かでいいわあ。都会の喧騒が別世界みたい。」

 僕たちは田んぼの農道、小川のふちを歩き回りました。風が吹くごとに青い稲の葉がうねるように風に合わせます。小川ではたくさんの小魚を見ました。すばしこく元気いっぱいに泳ぎます。大げさに言うようですが、地面って本当に生きているんですね。生き物だけじゃなく葉っぱも樹木も水も。私の腕にすがる美奈子の喜びも伝わってきます。私は今まであんな幸せそうな美奈子の表情を見たことが有りません。

 さて宿の夕食がすんでお風呂に入り、7時半頃蛍を見に外へ出ました。すると、すぐ玄関向かいのナツメの木に大きい蛍がいるんです。私たちを待っていたかのように飛び立ちました。
「うわあ。」
 数秒の点滅を繰り返しながら、すいっ、すいっと私たちの前を横切り、入り口の方へ消えていきます。私たちはそれを追いかけるように入り口へ向かいました。入り口から前の道路へ出て歩くと蛍だらけ。暗闇も、田んぼも、道脇でさえ点滅しています。私たちは、うおーきゃーと両手をあげ、蛍を捕まえようと騒いでいました。

 その時、後ろから、「お客さん、お客さん。」と呼ぶ声がします。見ると自転車に乗った年配の方のようです。その方は私たちの近くで自転車を降り、こう言いました。
「私、宿の健二と言います。遠いところへ行っていたのでご挨拶が遅れて申し訳有りません。私、この地区の蛍保存会の代表をやっておりまして、少しは蛍のご案内ができます。なあに、お二人の邪魔は決してしませんよ。少々案内させて頂いたらすぐ消えますから。」
「ええ、ぜひ。」
 健二さんは自転車を道脇に置くと、幅2mほどの農道へ入っていきます。懐中電灯で道脇を照らしながら話してくれました。
「ここをもう少し行くと小川が有ります。蛍は幼虫時、小川の中で育ちます。食べ物はタニシやカワニナ、蛍を守るには、この貝を育てることが最も重要になります。この貝が死滅したら、次の年から蛍がほとんどいなくなってしまうんです。
 昔一時期、蛍がいなくなったことが有りました。その時、住民はずいぶん寂しがりましてね。私も残念に思い、いろいろ調べてみました。やはり田んぼに撒く農薬の影響です。それと、上流地区の大規模な開発の影響も有ります。私はみんなに呼びかけて、極力農薬を使わない方法、水質を浄化する方法を模索しました。蛍が戻ってきたのは、それから5年後だったでしょうか。その夏の夜、地区住民総出で蛍鑑賞をしました。その時はうれしかったですよ。涙を流す人もいたくらいですから。」
 
 そう話しているうちに小川へ着きました。確かにここは凄いです。小川の暗闇に何百の小さな明かりが舞い立ち、向かいの杉林、川そば、また月明かりの木々のシルエットを無数の点滅が行き来し、虚空に次々と消えていきます。私たちはその美しさを声も無く眺めておりました。
 そのうち、健二さんは、道に落ちている杉枝を高く上げ、蛍をすくうと私たちの前にそっと降ろしました。枝に数匹の蛍が瞬いています。それを美奈子の手のひらに移すと今度は美奈子の手で瞬きます。その光にかすかに照らされた美奈子の顔も蛍と一緒に瞬きます。やがて再びすうっと飛び立ち、ほかの蛍たちに紛れていきました。
「それはヘイケボタルですね。ほら、あそこで強く光って飛んでいるのがゲンジボタル。あれはオス。メスはほらあそこの杉の葉にとまって弱く光っています。オスはメスを見つけると近づいていって、一段と強く明かりを点滅させます。これが二匹の出会いなんですよ。そうして結婚して一週間ほどで生涯を閉じます。」
 健二さんの情熱的話しぶりに、私たちはすっかり魅了されてしまいました。蛍も健二さんが分かるのでしょうね。健二さんへ寄ってきて体の回りを明るく照らし、服や髪の毛にとまります。
「さあ、そろそろ私も消えましょうかね。道まで送っていきます。」
 健二さんはそう言って微笑んで農道を戻り始めました。
 道まで出ると健二さんは再び自転車に乗り、
「今夜は私もとっても楽しかったですよ。有難うございました。お二人ともお幸せにね。」
 そう言って宿の方角へ去っていきました。何と健二さんの背中にたくさんの蛍がくっついています。不思議なことに健二さんが走ってゆくと、暗闇の蛍も一緒に追いかけてゆくような感じに見えました。

 私たちはそれからしばらくして宿に戻り、ゆかたに着替え、一休みしていました。女将さんが床をとりに来られたので、私が、
「今夜は有難うございました。ご主人にお礼を仰ってくださいね。おかげで素敵な夜が過ごせました。」と言うと、
「えっ、うちの主人にですか・・・」
 女将さんは怪訝な顔をするんです。
「主人は2年前に亡くなっていますけど。」
「えっ!」
 私の頭は一瞬混乱しました。だって、先ほど別れたばっかりなのに・・・
「確か健二さんと仰いましたよ。服はどこか役場の制服のようでした。この地区の蛍保存会の代表をなさっているとか。小川まで案内して頂いて、蛍についてとても情熱的に話してくださいました。」
 そして私はその時に聞いた内容、蛍が健二さんを追っていった様子まで話していると、女将さんは両手で顔を覆い、顔を赤くし涙を流し始めました。
「間違いなくうちの主人です。今日は主人の命日、今朝お参りを済ませたところです。それをお聞きして安心致しました。あちらへ行っても幸せにしているんですね。これで私もこれから懸命に生きてゆくことができます。本当に有難うございました。」

 私たちは次の朝、お宿の人たち総出の見送りを後に宿を出ました。都会へ帰っても、昨夜のことは私たち二人の秘密の思い出です。この旅をきっかけに人の心の神秘に出会うことができて本当に幸運でした。私はアパートへ帰って美奈子を思いっきり抱きしめていました。もっと幸せにしたい、守ってやりたいとの気持ちが高まりました。今までの格好ばかり気にしてすねた態度は許してください。明日からの仕事は懸命に頑張るつもりです。あの昨夜の蛍のように、私はもっと強く光らなくてはならないのですから。
 
 

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