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カテゴリ:お宿奇談(お宿の怖い話・不思議な話)
[お宿の 怖い話 不思議な話 幽霊話] 2011年10月20日更新
[東北 某旅館] 60代男性の話 私の父の兄の娘きよ子が亡くなった時の話です。もう80近くでしたから、まあ大往生ですね。彼女が亡くなった瞬間、親戚連中10人の目の前で不思議なことがあったんです。 きよ子は旅館の娘。女学校を出て、そのまま旅館の若女将になりました。しかし、いつまで経っても結婚しようとしません。両親が持ってきたお見合い話をどれも頑として受け付けず、そのまま独身のまま生涯を閉じました。 そんなきよ子が息を引き取ってすぐ、60前後の1人の男が訪ねてきたんです。 「このたびはご愁傷様です。お線香を一本あげさせてくださいませんか。」 私たちは不審に思いました。この方はいつ、きよ子の最後を知ったのか。しかし、立派な紳士。口元もきりっとしてこの頃に無い凛とした風格を感じました。私たちは上がってもらうことにしたんです。 男はきよ子の横へ座り、顔の布をとり、静かに合掌しました。私はちょっとあれっと思いましたよ。きよ子がかすかに微笑んだ気がしたんです。それから男は、仏壇へ向かい、線香をあげ、再び合掌しました。 とその時、私たちは大騒ぎになりました。その男が次第に薄くなっていくんです。合掌の姿のまま。やがてそこには人の姿がなくなったんです。 私たちが騒いでいると、養子の雅夫さんがつと立ち上がり、額縁に入った一枚の写真を持ってきました。 「私はこの方ではないかと思います。」 戦時中の若い士官の写真だ。年齢が合わないが確かに似ている。 「母がとても大事にしていたものです。仏壇に置いて、毎日線香をあげていましたから。」 そのあと雅夫さんは養母きよ子から聞いた話をしてくれました。 『昭和20年4月、日本の敗戦の色が濃くなってきた頃、きよ子は17の女学生だった。土曜の昼過ぎ、下校時の友達の誘いを断り家へと急いだ。今日は敏英と、近辺を案内する大事な約束があったのだ。 敏英は陸軍士官、年は22。東京生まれだったが、一か月前、東京大空襲で家が焼け、きよ子の母親のつてで、一家を数ヶ月預かることになった。敏英は軍から二週間の休暇を与えられ、5日前この旅館へやってきたばかりである。 きよ子は急いでご飯を頂くと、敏英の妹15になる理恵子と3人で小高い丘に上がった。そこからは町並みを一望できた。遠くの山並みも見え、山々の間に青々とした小さい湖もある。敏英はその景色をとても喜んでくれた。 敏英は温和でやさしかった。それに、まるでずうっと前から一緒にいたように安心感があった。当然きよ子は恋に落ちていってしまった。朝も授業中も寝る時も敏英のことを考えた。敏英とたまに二人きりになった時は胸が高鳴った。このまま敏英の胸に飛び込んでいきたい衝動に駆られて仕方がなかった。 だが、きよ子には二つ心配があった。このような人を、他の女性は放って置くはずが無い。きっとお付き合いしている人がいるに違いないのだ。もう一つは、あと数日後に敏英は軍へ帰ってゆく。その時のことを思うと息ができないほど狂おしかった。 ある朝、いつものように敏英の部屋へ朝の食事を知らせにいった。 「敏英さん、お食事よ。」 「ああ、有難う。すぐ起きます。」 「あら、まだお布団の中なの。朝寝坊さんね。」 「はは、ちょっと夜更かししたもんですから。すみません。」 「あの・・・開けてもいいかしら。」 「いいですよ。どうぞ。」 敏英は服を着がえ終わり、布団を上げているところだった。 「あら、寝ぼけ眼の敏英さん、はじめて見たわ。」 「あまり見ないでください。恥ずかしいですから。」 「はい、しゃきっとしてお食事しましょうね。」 まだ17のきよ子のどこにこんな勇気があったのか。きよ子は敏英の前に立ち、敏英の襟を直し始める。ボタンを締めシワを伸ばす。敏英の顔が額のそばにあった。きよ子の胸が波打った。 「はい・・・すっきりした・・・」 きよ子は緊張で真っ赤な顔をあげ、敏英の目を見つめる。 ところが、敏英はそんなきよ子のひとみを見つめて、ふと目をそらすのだ。 その時きよ子は悟った。やはり他に好きな人がいる! 私って、本当に馬鹿、とてもこっけいだわ。きよ子はにじみ出る涙を隠すように入り口をみつめた。 「敏英さん、早くいらしてね。今日のお魚は私が焼いたのよ。」 部屋を出て廊下を走った。 そして、その日を境に敏英はよそよそしくなっていった。廊下で出会っても目を合わさず二言三言しか話さない。それに朝方1人で外出し、夜遅くに帰ってくる。きよ子を避けているのがありありと分かる。きよ子の胸は張り裂けそうだった。 ところが、敏英が出発する前日の日曜日のこと、敏英は、あの丘にもう一度行きたいと、きよ子を誘ったのだ。それも二人だけで。当時、若い男女二人だけで歩くことはとても重大なこと。きよ子の胸は複雑だった。 きよ子はその日寡黙に敏英のあとをついていく。丘の上に着くと敏英は大きい木の下に座った。きよ子もその傍らに座る。しかし、何を話していいか分からない。ただ敏英の見る方角を辿って見ているより仕方がなかった。 「ここはふるさとっていう感じでいいなあ。こんなところにいるきよ子さんは幸せものだよ。ぼくはもうすぐ軍へ戻るから、ここをしっかりと目に焼き付けて置きたかったんだ。」 「またいつでも来られるわよ。今度はお好きな方と一緒に来られると歓迎するわ。」 「好きな人?・・・」 敏英は少し間を置いた。 「他に好きな人なんていないさ。」 意外だった。でも、そうするとあの拒絶の態度は何んだろう。私が嫌われているの。だったらここへ誘ってくれることなんかないわ。きよ子の心はめまぐるしく動く。しかし何度考えてみても敏英さんの心が分からなかった。ただ、今を逃したら敏英さんは永遠に遠くへ行ってしまうような気がした。それは想像できないほどつらいことだ。いまここではっきりと敏英さんの心が知りたい。私のことをどう思っているのか知りたい。嫌われていたっていい。きよ子の胸から全身をかけた言葉がしぼり出てきた。 「敏英さん、私・・・会いに行ってもいいのかしら・・・どんなに遠くてもいいの。どこへだっていくわ・・・」 きよ子の声はほとんど泣き声だった。 だが敏英はそれを聞いて沈黙した。 敏英はやがて立ち上がると、きよ子へ手を伸ばした。きよ子も震える手をそっと伸ばす。 じつに、二人が肌を触れ合ったのは、敏英がきよ子を立ち上がらせるため伸ばした二人の手の温もり、この時だけなのである。 そして次の日、敏英は再び戦場へ行ってしまった。 それから3年後のこと。敏英の両親が旅館を訪ねてきて、きよ子に額縁に入った写真と2通の手紙を手渡した。写真は敏英の士官姿のもの、2通の手紙は敏英からの遺書だった。』 お父様 お母様 理恵子へ 喜んで下さい。敏英は此度、特別攻撃隊の任務を授かりました。日本のこの麗しい山河、そこに住む方々、また私を見守ってくれた御恩ある方々を守ることができると喜び勇んでおります。私ごとき命を日本に捧げ奉ることは、胸も張り裂けんほど名誉なこと。敏英は感謝して死んでゆきます。決して悲しみなどなさらぬようお願いいたします。そして尚皆様方のこれからのご多幸を祈っております。 お父様 お母様 理恵子へ、ただ一つだけお願いが有ります。この敏英、好きな方がおりました。数日後に死する身、どうしてもお別れの言葉を申し上げることができませんでした。いつかその方の心に私の影が薄くなった頃、どうか手紙一通お渡し願いたいと思います。 きよ子さんへ 敏英がいた二週間、とても楽しかったです。あの丘の上から見た景色の美しさ、今でも心の中に鮮明に思い出します。この思いを胸に敏英は海原に散ってゆきます。きよ子さん、良い思い出を本当に有難う。 ただ、あの時、きよ子さんへ本当のことも言えずに去ってしまうのがただ一つの心残りでした。きよ子さんの心に応えられない敏英の心が苦しく、すぐにでもきよ子さんの胸に飛び込んで行きたい気持ちに駆られました。しかし、敏英には重大な任務がありました。どうか、どうか、お察し下さい。敏英はあなたのことを胸に抱いて立派に死んでゆきます。そして又、早く私を忘れ、きよ子さんの新しい人生の一歩を踏み出してくださるよう心から祈っております。きよ子さん、月並みな言葉で申し訳有りませんが、ほんとうに、ほんとうに、有難うございました。 敏英 [お宿奇談 目次] ホームへ戻る お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2011.10.20 12:41:57
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