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カテゴリ:石川県の民話 伝説
石川県の昔話29 倶利伽羅峠の猿ヶ堂
[倶利伽羅峠の猿ヶ堂(さるがどう)] [参考:津幡町ホームページより] むかしむかし、津幡町の原というところに甚兵衛という炭焼き夫婦がおりました。もう何年も子供ができないので寂しく思って暮らしていました。 ある日、甚兵衛が山の小道を歩いていると、一匹の生まれて間もない子猿が幹にしがみついてキーキー泣いています。 「おまえさん、どうした。母ちゃんにはぐれてしもうたか。」 甚兵衛は頭を撫ぜて抱いてやると小猿も甚兵衛の胸に頭を押し付けて甘えてきます。甚兵衛は可愛くなってその小猿をうちへ連れて帰り、大切に育てることにしました。 その猿はとても頭がよい猿でした。数年後にはまるで言葉が分かるように仕事を手伝えるようになりました。甚兵衛が、 「さてと、マキ割りをするか。」 と立ち上がると、猿も、さてと、と鉢巻をしてマキ割り場へ走ってマキを立てます。奥さんがお米をといでいると、さっそくかまどの火をつけます。 その後甚兵衛に子供が出来ると家はさらに賑やかになりました。猿は赤ちゃんを弟のようにかわいがってくれました。赤ちゃんの機嫌が悪い時は、前でころんころんと転がってあやしてくれます。赤ちゃんがおいたした時は、おしりをぺんぺんして叱ってくれます。 そうして秋も暮れようとしているある日、甚兵衛夫婦は、冬用のマキと炭焼きの木を切りに近くの山へ出かけました。留守の間は猿に頼んだぞとよく言い聞かせておきました。 猿はいつものように赤ちゃんにつきっきりです。どんぐりを赤ちゃんの前で転がしたり、抱っこしたりで赤ちゃんを守っていました。ところが途中で赤ちゃんが突然泣きだしてしまい、抱いてもあやしても泣き止みません。おしめかな、と匂いをかいでみても違うようです。猿はほとほと困って赤ちゃんの前に座って悩んでいた時、甚兵衛夫婦が赤ちゃんにお湯浴びをさせていたことを思い出しました。その時の赤ちゃんの気持ちの良い笑顔も思い出します。さっそく猿はたらいにグツグツとお湯を沸かしました。そして赤ちゃんをそっと抱きかかえ、甚兵衛夫婦のようにやさしくその中へつけました。ところが赤ちゃんはぎゃーと一声叫んだあと動かなくなってしまったのです。 山から帰ってきた甚兵衛夫婦はこれを見て、狂ったように叫び出しました。 「おお、お前はなんてことをした。わしの子を殺してしまった・・・」 甚兵衛はナタをつかみ、猿をぶち殺そうと振り上げました。 猿は動かない赤ちゃんの前にちょこんと座り、甚兵衛の目をみつめて涙を流しています。 甚兵衛はそれをみつめてどうしても手を下ろせません。 「ちくしょう。おまえなんかに頼んだわしらも悪かったのかもしれん。くそう、どこかへ行け、野たれ死んでしまえ。」 甚兵衛は猿を足でけり転がして家の外へたたき出してしまいました。 そうしてそれから数年後のこと、乱暴な猿集団があちこちの村を荒らしてゆくようになりました。大切に育てた作物を根こそぎ食い散らかしてゆくのです。村人たちはさまざまな工夫をしましたが、猿たちは常にそれの裏をかいて、人がかなわないほど悪賢いのです。村人たちは悲鳴をあげ、これでは村が生きていけないと役人に訴えました。 役人はこの訴えを聞き入れ、戸田影切という剣の達人に猿退治を頼みました。しかし、この戸田影切、普通の剣ばかりうまい殺人鬼ではありません。今から退治するものが、どんな思いを持っているのか確かめずにはおれない男でした。様々な人に聞きまわり、ついにそのボスが、以前甚兵衛夫婦が飼っていた猿だと突き止めたのです。甚兵衛夫婦から詳しく話を聞き、影切はあわれに思い、涙を流しながら退治に向かいました。 山の中腹を歩くと猿たちがだんだん増えてきます。猿たちは道の両脇で影切を見張るようについてきます。やがて峠に至ると、影切はまわりを全て囲まれてしまいました。見回すと一匹のボス猿らしき大きい猿が木の下でこちらを見つめています。影切はその猿に向かって言いました。 「お前にはもうわかっておろう。わしは今日お前を退治に来た。人にこれだけ害を与えては、もう許されぬこと。退治されても仕方があるまい。だがお前は甚兵衛にあれだけ世話になったのを忘れたのか。子を殺してしまったことはお前に罪はない。わしもお前の心と一緒に涙を流そう。お前亡きあと、わしはお堂を作ってお前を長く供養してやりたい。どうじゃ。」 猿のボスは、影切をみつめておりましたが、やがて影切の前に進み出て、ひとしきり涙を流し、首を差し出しました。影切は苦しまぬよう、一刀のもとに首を切り落としたのです。 影切はその後、約束通り倶利伽羅山にお堂を立てて長い間供養したとのことです。このお堂は現在「猿ヶ堂」と呼ばれ今でも大切にされています。猿ヶ堂のある地は、その後源平合戦の時平家本陣跡となり「猿ヶ馬場」と呼ばれていますが、この猿ヶ堂が地名の由来になっています。 (文責:津幡町 吉田恵一) [石川県昔話 目次] 倶利伽羅峠の猿ヶ堂 倶利伽羅公園で大事に保存されています。すぐ前には芭蕉の句碑、付近には源平合戦の碑や、火牛の計でたくさんの平家の武士が亡くなったという地獄谷が有ります。 お堂内部には不動明王 □□倶利伽羅峠周辺宿泊施設□□ 倶利伽羅峠に近いお宿をご紹介します。黒字のお宿は楽天トラベルと契約が無く詳細は不明です。電話にてお確かめください。 上埜別館-------------3km 0766-67-0168 富山県小矢部市 (株)大沼商店---------4km 0766-67-1236 富山県小矢部市 クロスランドホテル--5km 富山県小矢部市 上埜本館--------------6km 0766-67-0350 富山県小矢部市 道の駅 倶利伽羅源平の郷 倶利伽羅塾---8km 安価な公共宿 勝崎館----------------10km 076-289-2161 料理旅館 大正楼-------10km 076-288-3221 ホテルフォーシーズン-12km 0766-64-6162 富山県高岡市 ☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆ [金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市] どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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こんばんは。
悪気が無くてやってしまったことで責められた猿の気持を思うとあわれですね。 猿のボスとなってやったことは悪い事ですが、最後に影切の説得に応じたことは、悪い猿では無かったのですね。 お堂を建ててもらい長く供養されてよかったと思います。 (2011.10.03 19:02:28)
悲しいですね・・・猿は悪気なかったのに・・・。
どちらの気持ちもツライです「泣」 最後に影切に出会えてヨカッタのかな・・・。 考えさせられますね。 (2011.10.03 22:45:25)
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