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カテゴリ:金沢散歩
金沢散歩(14) 寺町寺院群 妙立寺(忍者寺) 願念寺 本長寺 妙慶寺
2015年2月7日更新 寺町は、名前が示す通り寺院が多く集まった町です。藩政期に一向一揆に対する防衛策としてここに寺院が集められたそうです。その数70寺あまり。現在、周辺は国の重要伝統的建造物群保存地区として、また、「寺町寺院群の鐘」は日本の音風景100選に選定されています。忍者寺(日蓮宗妙立寺)が特に有名ですが、その他の寺院もそれぞれに風情が有って、一つ一つ訪ねてみるのもまた素敵です。ここでは、門構えの他に、内部や彫像、仏像の表情などに焦点を当てて幾つか、数回にわたってご紹介します。近辺の駐車場は少なく高いので、金沢駅周辺の駐車場一時間100円程度を利用してバスで来られるといいと思います。 金沢駅から北鉄バスに乗り 広小路バス停で下車。繁華街片町から近く徒歩10分くらいです。 [日蓮宗妙立寺(忍者寺)門] 寛永20年(1643年)、三代藩主前田利常が金沢城の近くから移築したもの。当時前田家は力が有り、幕府が警戒し監視していました。利常は徳川幕府により力を削がれるのを避けるため、徳川家から嫁を迎え、母親を人質に出し、自ら鼻毛を伸ばして馬鹿殿を演じることで幕府を欺き安心させようとしました。そして密かに寺院群を建造し、多くの兵士を隠せるようにしたのです。その中心に要塞としての機能を備えた妙立寺を建て、隠し階段、隠し部屋、落とし穴、見張り台、金沢城へ続く地下通路など外敵を欺く種々な仕掛けを備えました。忍者寺と称されるのは、忍者が居たわけではなく、このような様々な仕掛けが有るからです。内部は撮影禁止ですので、外まわりと浄行菩薩像だけでお許し願います。 [日蓮宗妙立寺(忍者寺)本堂] [本堂前の浄行菩薩像] 「法華経」によると、お釈迦様が説法をしていた時、大地が割れ、そこから無数の菩薩が現れ、その筆頭が上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩であったそうです。これらの菩薩はお釈迦様亡き後の末法の世において仏法を護持するものとされています。 [本堂前の浄行菩薩像] お顔が有りません。長い間にすり減ったのでしょうか。 [顕本法華宗 本長寺] お庭はなかなか風情が有りました。前庭には、芭蕉の「春もややけしきととのふ月と梅」の句碑が建っています。紅葉に時期には美しいモミジを楽しめます。 [本長寺のカエルさん] 一円玉がエサでしょうか。 [真宗大谷派 願念寺] 小さいお寺ですが、ここには元禄期の加賀藩を代表する俳人。小杉一笑のお墓が有ります。句集は上方で注目され、芭蕉の目に止まりました。芭蕉は小杉一笑に会うため金沢入りし、一笑へ使いを出しましたが、時すでに遅し、一笑は36歳の若さで亡くなっていたのです。芭蕉はひどく悲しみ詠んだ句が「つかも動け我泣く声は秋の風」。小杉一笑の辞世の句は「心から雪うつくしや西の雲」 [願念寺 一笑塚] [願念寺 一笑塚 案内] [浄土宗 妙慶寺] 天狗の寺と言われています。その由来の昔話が有りますのでご紹介します→天狗のお守り [妙慶寺 水子供養] 境内を散策していましたら、水子の子供たちを見つけました。 [妙慶寺 水子供養] 赤ちゃんで亡くなったのでしょうね。 [妙慶寺 水子供養] 安らかな笑みで、あの世でも幸せそうです。 [妙慶寺 水子供養] どうしたのでしょう? 泣いていてはいけませんよ。 [妙慶寺 水子供養] かなり古びていますね。ご冥福をお祈りします。 ☆☆☆ 金沢の旅館 ホテル ご紹介☆☆☆ [金沢駅周辺] [金沢繁華街]・[中心街]・[中心をやや離れた宿] ☆ホームでは、石川県全域のお宿をご紹介しています。 どうぞきまっし石川→ホームへ戻る お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2015.02.07 22:37:14
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