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カテゴリ:金沢散歩
金沢散歩(15) 寺町寺院群 その2 西方寺、瑞泉寺、極楽寺、伏見寺
2015年2月13日更新 金沢散歩(14)、寺町寺院群、妙立寺(忍者寺)、願念寺、本長寺、妙慶寺に続けて、西方寺、瑞泉寺、極楽寺、伏見寺をご紹介します。70寺あまりのたくさんのお寺が有りますが、ご紹介できるのはごく一部となりますこと、ご了承お願いします。 [天台宗 西方寺] 加賀藩主 前田利家の六女、菊姫の菩提寺です。菊姫は天正12年(1584年)にわずか7歳で亡くなってしまいました。利家は金沢入城の時、菊姫の供養を願い、親交のあった比叡山の僧 盛尊和尚を金沢に招き金沢城付近に西方寺を建て、菊姫の位牌と肖像画を奉納しました。西方寺は藩政時代から金沢に伝わる全ての霊場に指定され、パワースポットとして現在も信仰を集めています。 ![]() [西方寺 本堂] 私が訪れた時は誰一人いなくて静かでした。左手には動物霊苑が有ります。 ![]() [西方寺 良縁結実稲荷神] お参りすれば、良縁 縁結び 恋願い 恋愛成就にご利益が有るそうです。 ![]() [西方寺 右の稲荷神] 確かに、しっかりと願いを聞いて下さりそうな姿です。 ![]() [西方寺 左の稲荷神] 口にくわえているのはお経の巻物でしょうか。 ![]() [真宗大谷派 瑞泉寺] 寛永年間(1624〜44)建築。越中井波の瑞泉寺の親戚寺です。親鸞聖人御真影、蓮如上人御真筆名号および触頭文書を含む数多くの古文書が残されています。 ![]() [瑞泉寺 本堂] なんとなく心が落ち着きます。 ![]() [瑞泉寺 彫刻] 軒先の彫刻が怖いです。魔から守っているのでしょうね。 ![]() [浄土宗 極楽寺] 現在、京都総本山知恩院の直轄寺院だそうです。後醍醐天皇の皇子、明心仏眼法親王による創建。明心仏眼法親王は幼い頃から仏教に興味を示し、8歳で出家。比叡山の厳しい修行に耐え第百二十三代天台座主の地位にまで登りつめました。しかし、後醍醐天皇が足利尊氏に敗れると同時に、親王も地位を追われ各地を転々と逃げまわっていました。越中(現富山県)に身を隠していた頃、目竜上人という浄土宗の僧と出会い、その教えに感銘し寺を作るきっかけとなったそうです。皇室ゆかりの寺院として朱塗りの欄干は格調の高さを表しています。また、本堂や瓦には菊のご紋が使われています。 ![]() [極楽寺 本堂] ![]() [曹洞宗 松月寺の大桜] 国指定天然記念物。樹齢400年、東西20m、南北15mに広がる大桜です。土塀を破って巨大な幹が歩道に飛び出しています。この桜は、同寺中興の至岸和尚が、三代加賀藩主前田利常から拝領したと伝えられています。花の時期の写真では無くて申し訳ありません。 ![]() [松月寺の大桜 幹] 年月を感じさせます。お世話も大変でしょうね。 ![]() [松月寺の大桜 幹] 上の写真の反対側です。幹が土塀を乗り越え、必死に這い出ようとしてもがいているようです。 ![]() [高野山真言宗 伏見寺] 「金沢」という地名由来にまつわる芋掘り藤五郎が建立したと言われています。芋掘りをして暮らしていた藤五郎は、観音様のお告げにより、美しい和子(わご)という娘を妻にしました。ある日、2人は砂金を見つけ、沢の水で洗います。この時の沢は、のちに「金洗いの沢」と呼ばれました。前田利家がこれにちなんでこの地を「金沢」と名付けたそうです。現在「金洗いの沢」は「金城霊沢」と改名され、今でもこんこんと水が湧き出ています。芋掘り藤五郎のお話をご紹介します⇒芋掘り籐五郎物語 ![]() [伏見寺 芋掘り藤五郎像] 和子さんも一緒に作ったら良かったのに。 ![]() [伏見寺 芋掘り藤五郎のお墓] ![]() [金城霊沢(金洗いの沢)] 兼六園の近く、金沢神社の横にあります。 ![]() [金城霊沢(金洗いの沢)の湧き出る水] ![]() ☆☆☆ 金沢の旅館 ホテル ご紹介☆☆☆ [金沢駅周辺] [金沢繁華街]・[中心街]・[中心をやや離れた宿] ☆ホームでは、石川県全域のお宿をご紹介しています。 どうぞきまっし石川→ホームへ戻る お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2015.02.13 16:07:51
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