舳倉島探検
舳倉島探検 2015年2月1日更新お盆8月16日に子供たち2人と舳倉島(へぐらじま)へ行きましたのでご紹介します。舳倉島は能登半島先端、輪島からおよそ50km。周囲およそ5km。1時間もあれば歩いて一周できます。以前は無人島で、夏季のみ海女さんが移住しておりましたが、近年100名以上の定住者がいらっしゃるようです。漁業は主に海女さんによるアワビやサザエ海藻類採取。自然保護に重きを置き、観光地として売り出しておりませんので開発は最低限。お店無し。自販機無し。車無し。人々は漁港近くに住み、あとは自然ばかり。見どころは鳥達です。渡り鳥の格好の休息地であるため、全国から野鳥観察の人々が訪れます。確認されている野鳥は300種以上、ただ不思議なことに国内で年間を通じて見る鳥はほとんどいません。スズメはいません。カラスも一羽も見かけませんでした。島へ渡るには、1日一往復の定期船(ニューへぐら)に乗ります。片道1時間30分、午前9時輪島港出発→午前10時30分舳倉島着、午後3時舳倉島出発→午後4時30分輪島港着。往復運賃4520円。昔懐かしい電車の切符のようなものを購入し、乗船ごとに係員がポチンと切れ目を入れます。ただ、海が荒れている時には出港しませんので、お天気に注意する必要が有ります。朝7時までに決定されるとのこと。当日はやや雨風が強かったのでやきもきしました。[定期船ニューへぐら]旅客定員119名。座席と窓がある客室の下に座敷のような客室があります。下の客室では外は見えませんが、寝転ぶことができるようです。[客室入口]ここに自販機、トイレがあります。客室は禁煙ですが、中に喫煙室があります。ただし、そこでたばこを吸うと客室内へ匂いが漏れてくるので吸わないほうが無難です。[ニューへぐら客室]輪島港出発時のお客さんは定員半分くらいでしょうか。隣席の方にお聞きすると、ほとんどが島民とのこと。お盆のお墓参りの帰りなのでしょう。帰りは私達貸し切り、申し訳なくて小さくなっていました。[客室]当日は雨でしたので、外はあまり見えませんでした。残念。[午前10時30分舳倉島着]わびしい漁港という感じです。[早速あちこち歩きまわる息子の1人30歳] [漁港繁華街]昭和初期の田舎の面影ですね。お店は有りません。[漁港繁華街][舳倉島民宿つかさ]舳倉島の民宿は2軒、そのうちの一軒です。ベテランの海女さんが経営していらっしゃいます。もう一軒は「つき」。ご姉妹だそうです。予約はかなり前にしないとなかなか取れません。[島の道]繁華街の端っこ(漁港から数百メートルほど)から、このような舗装道が島を巡っています。一周しても1時間くらい。重い荷物もありましたが、釣り場探しを兼ねて歩いてみることにしました。[島の道]山は有りません。平地ばかり。なにしろ島の一番高いところでも標高12mほど。津波が来たらどうするのだろうと子供たちと話し合いました。灯台に逃げ込めば100人ほどは大丈夫かな。道の両側はご覧のとおり草地です。道が草で覆われないように島の方が頑張っていらっしゃるのでしょうね。[左巻きのかたつむり]日本のかたつむりは右巻きがほとんど。舳倉島では左巻きです。[ケルン]島のあちこちにこのような石を積んだものがあります。これは、海女さんが潜る場所の目印にしたものだそうで「ケルン」と呼ばれています。[恵比須神社]恵比須様は七福神のひとり。漁業繁栄の神様です。[無他神社 観音堂]藩政末期のこと。一旭上人(いっきしょうにん)という僧が島にきて、毎晩観音堂に島民を集めて説教をしていました。いつも若い女が訪れ、末座で熱心に聞き入っているので、一旭上人がたずねると、女は「私はこの池に棲む竜なのです。難破船の錨の毒にあたって死んだのですが、未だに成仏できずにいます。どうか助けて下さい。」と涙を流して頼むのでした。そこで翌朝、島民が池の水をくみ上げてみたら、池の底から大小二体の骨が見つかりました。骨は樽四杯分にもなったそうです。人々は父親の竜が現在も近くの海に生息していると考え、神として祭って無他神社としました。(輪島市観光情報より)[竜神池]龍神の骨が見つかった池です。観音堂のそばに有ります。 [竜神池礼拝所][海岸]島の周りは溶岩のような岩場がほとんど。砂浜は有りません。水がとてもきれいです。[灯台]以前は海上保安庁の職員が常駐していたそうですが、今は無人。上まで上がれば島全体が見渡せます。[七つ島]帰りの定期船から写した七つ島です。写真では見えませんが、海岸に鳥達が群れていました。☆輪島市の旅館、ホテルご紹介⇒[輪島市 (1)] [輪島市(2)]☆ホームでは、石川県全域のお宿をご紹介しています。どうぞきまっし石川→ホームへ戻る