Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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4-1

麻布3


ふと振り向けば、いつしか、すでに爆撃され、焼き払われ、あるいは一瞬の閃光ととも
に消滅したはずの、あの運命の神殿幼稚園の中庭へと到来した鮮やかなオリ-ブの実が静
かに語りかけている。
 
 『――一度はそこへとたどり着くことが、あるいは送り込まれることが、どうしてもお
前には必要だったのだ。いや、一度ではなく、絶えず、繰り返して、それぞれの迷宮と廃
虚のプリズムに組み込まれた逃走=舞踏を果てもなく続けることが。たとえお前が、その
お前の手で、ようやくこの中庭へと到来したこの鮮やかなオリ-ブの実を、今ここでつか
むことができなかったとしても、〈私〉はお前を決して助けはしないだろう。そして他の時、
他の場所でもだ。オリ-ブの実はそこにはない。それはかつてお前が語った通りだ。しか
し、お前はあくまでそれを探す。あくまでそれを、表現そのものへと作り替えようとして
いる。見るからに心もとない、ほんのささやかな糧によって誰のものでもない生存をかろ
うじて支えながら。もちろんそれ以外にはあり得ないはずだ。たとえお前が誰であろうと。
だが、その時お前が、沈黙の叫びに包み込まれながらそっと浮かべたあの微笑みを、お前
は果たしてとらえたのだろうか? お前が決して気づくことのなかったその微笑みが、こ
の鮮やかなオリ-ブの実を沈黙の叫びのただなかで徐々に成熟させていったのだというこ
とを。〈私〉はお前の微笑みだけを、掛け替えのないお前の秘密、そして約束として受け取
った。そしてこのオリ-ブの実こそ、そこでお前が果てのない逃走=舞踏を続けるそれぞ
れの迷宮と廃虚のプリズムがはらんでいるものなのだ。そこでお前の運命と意志が出逢い、
一つになる。これがお前に贈り与える〈私〉の秘密であり、約束だ。そこでお前の運命と
意志が出逢い、一つになるということ。もはや消すことも、押しとどめることもできない
もの。お前はそれを〈残酷〉と呼ぶのか? そしてこの残酷さとあくまでも戦い、その戦
いの輝きの絶頂で一思いに消滅することを願うのか? だがこの残酷さなしに、あの偶像
の黄昏は決してやっては来ないだろう。沈黙の叫びと微笑みとが呼び寄せる《運命=意志》
の、このオリ-ブの実の鮮やかな輝きの到来なしには……。』

ふと気づくと、あのオリ-ブの実は、園児たちの必須携帯品であった『《旅行=ちょっと
した遠足》用手提げ鞄』を残して去っていった。蓋を開けると、そこに魅惑的にセットさ
れた輝ける便器。いつしか、沈黙の叫びのただなかで銀微笑。驚くべきことに、一人の極
小化したチェス・プレ-ヤ-が、便器のプチ・ポケット窓から園児たちに愛くるしくめく
ばせしている。ロ-ズ・セ・ラ・ヴィ氏が、《旅行=ちょっとした遠足》先の白鳥座=Xか
ら、手提げ鞄専用バスル-ム『やっぱりパス・ワ-ド無し』にダイブして泳ぎながら到来
したのだ。
『――絶えず偶像の黄昏を生成させながら疾走する園児たち、すなわち最も幼い者たち
の逃走=舞踏。その黄昏の迫る街路で、彼らの《ちょっとした遠足》は、火花と炎のダン
スとなって、無限に反復されるのです。一例として、かつてこの運命の神殿幼稚園の超-
高速度体験レッスンを通過したあの伝説の古代詩人萩原 朔太郎の過剰に健康な血塗れの
奇跡/軌跡をアンチ・ファイリング発射準備完了。
―――――発射!!

 明治三十七年(1904) 十八歳   三月、五年進級に失敗、原級にとどまる。
   三十九年(1906) 二十歳   七月、前橋中学校補修科退学。
   四十年 (1907) 二十一歳  九月、早稲田中学校補修科退学。
   四十一年(1908) 二十二歳  七月、五高二年進級に失敗、原級にとどまる。
九月、志                    望変更により退学。
   四十二年(1909) 二十三歳  七月、六高を一年で落第。二、三月期の試験
を欠席した                    ため。
   四十三年(1910) 二十四歳  四月、慶応義塾大学予科一年(J組)入学。
同月退学。                    進学問題で親とも争い、自分でも
悩む。七月ごろ、岡山                    でチフスにかかり、(…
…)病後を養うため帰省し、そ                    のまま六高退
学。
   四十四年(1911) 二十五歳  五月、慶応義塾大学予科(B組)一年に再入
学。十一月、                    同校退学。(……)
音楽家になろうとする。

 もうお分かりでしょう。「運命の神殿」幼稚園、それは最も幼い者たち、あるいは《来る
べき者たち》が繰り広げる《運命=意志》なのです。』


光景.・:振り向けば、やがて到来することになる《運命=意志》の手前で、〈私〉が不可避のプロセス
として通過しなければならなかった、やがて〈あり得なくなるもの〉についての啓示がすぐそこに……。
『(〈外〉からの声。忘却の彼方から。)――それでは、時空の《隙間/裂け目》をお前に贈り与えよ
う。この時空の《隙間/裂け目》は、規則化の装置による時空連結の強制的な配置/コントロ-ルが生
成するとともに、そしてそれと同時に〈我々〉の生存が不断の問いかけに関わるものへといやおうなく
変換され、場合によっては分裂-崩壊へと到るプロセスのただなかで現実化するものなのだ。さて、こ
の辺でお別れだ。よい航海を……』
 
こうして〈私〉は、やがて〈あり得なくなるもの〉についての啓示へと回帰するべく旅立ったのだっ
た。



……そういえば、もうずっと昔、ある晴れた日に友達と陽気にキャッチ・ボ-ルをしていた時、なぜ
か突然ボ-ルを投げることができなくなってしまったのを思い出す。その時〈私〉は、友達に向かって
(でなければ一体誰に向かってだろうか)いつものようにボ-ルを投げようとしたはずだ。投げる。(=
体を動かす。) だが、体がどうしても思うように動かないことになぜか気づいてしまい、ボ-ルは〈私〉
の手を離れ(落ちる)と目の前を空しく転がっていった。それはその時だけのことで終わったはずなの
だが、今思えばあの出来事がすでに十分すぎるほどの(そして思い出せる限りでは最初の)徴候だった
のだ。

『――奇妙なほど白い部屋の窓辺に立ちながら、永遠に近い時が流れていった。午後のめまいと、黄
昏の中のまどろみ。そして、時は音もなく消えていく。部屋の外の(やはり白い)廊下では、幾つもの
扉が繰り返し現れては消えた。どこにもたどりつかない迷宮。暗い曲がり角には、微かに水銀灯の輝き
が漂っていた。中庭では、ビリジアンの溶液が夜の冷たさに紛れ、陶酔のさなかでの溺死を誘っていた。
この部屋のすぐ隣では、記憶の病を治療するアトリエがあり、背後では、〈私〉の傍らにいたはずの人々
が次々と消え去っていった。……テラスから星を眺めてみた。光が瞬き、それも消えていく。それは、
やがて〈あり得なくなるもの〉についての圧倒的な啓示だった。途方もない没落の予感。すべてが崩れ
去っていくのが鮮烈な映像の連関としてあらわになる。その時、消滅するものの記憶とともに、〈私〉
の終わりのない変貌が始まった。』

『――プラネタリウムの陰で、〈私〉はコントロ-ルされていった。閉ざされ、不在の内側へと折り
畳まれた[生]の始まり。沈黙の予感が〈私〉に教えた。やがて〈私〉は寸断され、ありとあらゆる内
密な準-生体実験(例えばナイル熱ウィルスの培養プラントに組み込まれる)の汎用性サンプルにされ
た後、あの《変換跡地界わい》の置き去りにされた核燃料貯蔵プ-ルに沈められてしまうのだというこ
とを。あの白い部屋のスクリ-ンが、〈私〉が出逢った最後の光景を描き出す。(テラスに広がる黒い砂
浜に立ち、失われた天体の観測を続ける。きらめく星座と大理石のテ-ブルに亀裂が走る。そこで廃虚
の幾何学を学ぶ。永い眠りの中で、やがて到来する運命の神殿の断片がこの浜辺にまで流れ着く。だが、
それはまだ到来しない。「なぜ静寂が支配しているのか? お前にはあの叫びが聞こえないのか? そ
こは余りにも危険だ。早く逃げるんだ。もはやお前はそこで生存し続けることはできないのだ!」 夜
の輝きの中で、エメラルド・グリ-ンの雫に濡れた巨大なコントロ-ル・タワ-が今はっきりと浮かび
上がる。やはり、〈それ〉はあった。いや、〈それ〉は今そこに生まれたのだ。〈私〉の〈体内〉、あるい
は〈私〉の[脳裏]に。とめどもない誘惑の雫。無数の映像の断片が、はるか彼方の裂け目から降り注
いできた―――。)

 〈私〉はビリジアンの溶液に浸され、互いに連結された無数の培養プラントの一つ一つへと組み込ま
れる。〈私〉の組織は徐々に汚染され、破壊された。陶酔のただなかの絶叫。二つの星が激突し、狂気
のヴェ-ルが〈私〉をくまなく包み込んでいった。夜空とともに[脳裏]を切り裂く永遠の交響曲の中
で、〈私〉の爪ははぎ取られる。流れ続ける血液。

透明なド-ムが、街を包み込む。
 子供たちは、内に反復される震えを保っていた。 無限の反復を、そして無限の震えを。
(永遠の徴)

(プラネタリウムの陰で)』



 『かつての銀色の氷河の群れが
  暗緑色の溶液の大海へと押し流されていく時
  一つの領域の没落が始まる
  無数の錯誤と、降り注ぐ残酷さの中で人々は巨大なカタストロフを見上げ―――
  完成された転換、そして完成される回帰が人々の頭上にそれ自らを回帰させる

 (刻印と生成と)
 (病理学的転移)
 (夕暮れの汚物の堆積の中で)

 こうしてあらゆる位置の逆転が始まる
 黒い波間に漂う領域に
 破壊された頭脳に
 スクリ-ンの内部に揺れ、
 再び見られることはない
 流れゆく夜明けの破片に
    …………………………………………………………………………………………

 秋の墓標に
 破壊/廃棄された[生]の歴史が刻まれる
 束の間の
 薄明の閃光が[脳裏]を貫く

 呼び戻す声。
 廃虚の中から
 呼び戻す声
 没落の中から
 二度と開かない
 透明な扉の中から』



『焼け焦げた廃棄物の背後で
  錯乱する弾丸が幼い子供たちの頭を砕く
  流れ続ける血液
  未来は断ち切られる
  恐怖と殺戮を偶像とする信徒たちの群れによって

  彼らは絶えず回帰する
  彼らは地蚤のように根絶し難い
  だが
  その日は近い
  すぐ[そこ]に

  (始まりと)
  (終わり)
  (やがてこれらは一掃される)
  (なぜなら)
      ………………………………………………………………………………………』

 『(大理石のテ-ブルの背後で、寸断された[脳裏]の切れ端がささやく。)――やがてお前は旅に出
る。始まりも終わりもない旅に。』

















光景.・-2:振り向けば、始まりも終わりもない旧暦の旅から切り取られた実にささやかな断片がす
ぐそこに……。
『……それは始まりも終わりもない旅から切り取られた実にささやかな断片だったのだが、たとえ実
にささやかな断片であっても、いやそれだからこそ、そこには新鮮な贈り物がしばしば転がっているも
のだ。それは、「日本人だ」というごく低い調子での微かな叫びとささやきと、それに伴う「日本人で
あること」への特異な眼差しだった。そうした出逢いの経験が最も強く印象づけられたのは、カフカが
その生涯のほとんどを過ごしたあのプラハだった。過去の(だがその《触発ファクタ-》を〈過去〉と
よんでしまうことは実は誰にもできないはずだ)様々な建築様式が、どこまでも微細なプリズムのきら
めきとともに稠密に重なり合って残存し、持続する《民族の伝統》が記憶の奥深く封じ込められている
奇跡/軌跡の街。はるか彼方からの、多様な《アジア》の波が深くうがたれた情念となって豊かに流れ
込むもう一つの大いなるプリズムのきらめきとしてのモスクワとは違って、《ヨ-ロッパ》という生き
た観念が今再び力強く横溢し始めたとしてもなんの不思議もない街……。[旧暦1990]二月の半ば
に、このプラハで〈私〉に次の様な問いかけが生まれた。(〈私〉はその問いかけの最初の素描を、二
月十五日の夜にプラハ郊外のあるアパ-トの寝室で書き留めた。) 今思えば、この問いかけは、あの
カフカの『城』と深く反響し合っていたのだ。
 ……〈私〉は実にささやかな問題に促されてここへやって来た。カフカは不眠症で死ぬ思いをしたら
しいが、なぜかそこだけはどうしてもスペアが利かない〈私〉の体内の神経細胞のごく一部が、もう永
いこと不眠症にかかってしまっているのだ。ところで、たとえ実にささやかなものであっても、《問題
を移動させること》は《民主主義》と呼ばれるものにとってとりわけ大切なものだろう。だが、ここで
この《民主主義》についてさらに問わなければならない。試みにこう問いかけてみよう。(この実験的
な問いかけの作業が、〈我々〉によってこれまで《民主主義》と呼ばれてきたものとどう関わるのかは、
それ自体一つの問題となるだろう。)
 
 ―――《民主主義》と《支配を誰かが、あるいは何かが代理すること》はどう違うのか?
 
  ところで〈我々〉とは、さしあたり〈我々〉によって〈我々〉と呼ばれる何か(あるいは誰か)で
あり、こうした無意味な(しかし不可避な)自己言及を別にすれば、〈我々〉はそれが一体誰なのかを
必ずしもはっきりとつかんでいない。ここで、試みにあのなつかしの超-年代物《国家哲学》を振り返
ってみよう。今や一見地球上をおおいつくしてしまったかに見える《国家》(そしてその仕組みとして
の《国民であること》)は、常に、〈我々〉すべてがそれによって《我々=国民》(が同時
に妥当する限りでの〈私〉)として再生産される《規則化=コントロ-ルの装置》に連結することを要
求する。この装置においては、たいていの場合暗黙の内に選択されたある特異な自己形成/訓練プロセ
スが恒常的に再生産されることが目指される。さて、この装置は、それがその都度出逢う〈組織化ファ
クタ-〉にくまなく浸透して、この〈組織化ファクタ-〉が常に《支配を誰かが、あるいは何かが代理
すること》の是認というスタイルにおいて自己形成/訓練するように仕向け、こうしたプロセスに連結
しない、あるいはそれに応じてコントロ-ルされない一切の《生存の表現/実践》を挫折させることを
目指す。
 
 《国家》とは、恒常的な連続性を目指すこうした《規則化=コントロ-ルの装置》において〈自己〉
の支配を代理されるすべての〈組織化ファクタ-〉が、常に同時に〈代理する誰か、あるいは何か〉で
もあるという二重の自己言及を行い得るための根拠である。
 
 つまり、「(自分で自分を支配することを代理=肩代わりされる)〈私〉は、(その同じ自分自身の支
配の代理を引き受ける)《我々=国民》である」ということだ。もちろん、ここでの二つの括弧は、た
いてい内密な沈黙の内に隠されている。
 一方、《生存の表現/実践》は、その本性上自由を目指す。例えば、それは《規則化=コントロ-ル
の装置》による捕獲や封鎖や矯正を嫌い、自己=生存の空白状態にあってあくまでもそれらに抵抗する。
逆に自由は、その本性上《生存の表現/実践》として現実化する。そしてこの《生存の表現/実践》は、
どんな《同じであること》という仕組みにも還元され得ない……。
 
 さて、何らかの《(準-)組織化ファクタ-》が、《組織化ファクタ-=X》として自己形成/訓練す
るということ、すなわち《同じ(=X)であること》という仕組みに連結されるということと、その何
らかの《(準-)組織化ファクタ-》が、《規則化=コントロ-ルの装置》の標的としてそれに連結され
るということがそこにおいて連結(=超連結)し得るプロセスは、そのプロセスへと連結される《組織
化ファクタ-=X》(すなわち〈我々=X〉)によって常に、そしてたとえ常にではないにしても、そこ
へと連結されることへの抵抗プロセスとしてのその都度の《生存の表現/実践》によって、《国家-状
態》と呼ばれ(得)る。

 ところで、(このことはつい一月前あのなつかしのG-区画付近の『ハラスの楽々健康窓口』建設予
定地裏手界わいで耳にしたあいもかわらず見え透いた噂話なのだが)幸運にも今ではようやく治療され
た〈わけの分からなかった者〉[「〈私〉は超人であり、かつ……」(以下ほとんど無限に続く)]が、そ
の治療プロセスと同時に、かつて結局は〈狂人〉であったことが〈我々〉によってなぜかいつしか明ら
かになっていて、にも拘らず奇跡/軌跡的にも今や〈我々〉でもある彼=《組織化ファクタ-=X》と
して微笑み親切回収され得た、すなわち彼自身もそのような者(=〈彼〉)として自己形成/訓練のプ
ロトタイプ治療蝿リハビリ・プロセスへと実に明るく連結しているとしよう。――日々治療を取り巻く
環境がなぜかいよいよ厳しいものになっている昨今の状況のもとでは確かに奇跡/軌跡的ではあるが、
同時にやはりごくありふれたことである、と今なお言っても許されるだろう(と世間ではもっぱらの噂
である)。だが、そもそもこのことはなぜ、さらにはどのようにして可能だったのか? 〈彼〉が通院
していたと今に伝えられる「『プロトタイプ治療蝿リハビリ・プチ・ポケット・イン・グランド・ハラ
ス』の絶対誠実明朗健康〈存在〉を前にして、愚問である」と、傍らのプチ・ポケット窓であのなつか
しの糸巻きマニュアル無言電話ゲ-ム・マイクロ・チップ・ウィルスのあくまでも満ち足りた叫びとさ
さやき。 (おや、おや?」)――聞くところによると、「〈彼〉はただ〈そこ〉にいただけ」である。
「いつ果てることもなく、奇妙なほど白い部屋の窓辺に立ち尽くしながら。」 そして、「むろん、現在
も〈そこ〉にいる。もはや言うまでもないが、永遠に。それが、〈彼〉自身の希望=意志なのだ……。」

「まさか!! 〈そこ〉[=〈ここ〉]は……。」

 (だが、〈私〉はあたかも何事もなかったかのように気を取り直し、旧暦通称《ギムレットとダイキ
リのクメ-ル・ル-ジュ・アンチ・ポルポト割り》をいつものようにほぼさりげなく飲み干しながら、
〈そこ〉[=〈ここ〉]でこの問いかけを続けている。)

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