Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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築地3



2004.5
ケースワークとグループワークの歴史的発達過程の比較
ーー援助技術の異文化導入に関わる「文化的障害」への視点
 
1.ケースワークの歴史的発達
1834年イギリスでは、ワークハウスへの収容主義と劣等処遇の原則を基盤とし
た新救貧法が施行されたが、制度の利用により過酷な生活を強いることで見せし
めとし、制度の利用が恥であるというスティグマを植え付けることになった。援
助を必要とする多くの者は実際には救済から排除され、生活困難のまま放置され
た。資本主義の展開過程において生じた深刻な社会問題、とりわけイギリス産業革
命の進展により生じた賃金労働者の窮乏問題に対応するため、19世紀なかばから
主として宗教的な実践として私的慈善活動が盛んに行われたが、19世紀後半には
かえって依存的な人々を生み出すといった問題が批判を浴びることになり、活動
は行き詰まりを見せていた。
こうした批判に対応して、1869年ロンドンにおいて「慈善組織協会」(Charity
Organization Society=COS)が誕生した。これまでは慈善による「施し」であっ
たため、救済が偏り、援助を要する者に公平に行き渡らないなどの事態が生じて
いた。COSは、こうした事態に対応するために、無差別、無計画な施与に秩序を
与え、救済の合理化と組織化を図った。COSは貧困者を「救済に値する貧困者」
と「救済に値しない貧困者」に分け、道徳的に改善の見込みのある前者のみを救
済の対象とした。前者に対しては、友愛訪問員が家庭を訪問し、貧困の原因とさ
れた道徳的欠陥の発見に努め、友情に基づく適切な助言を与え、貧困者が貧困か
ら抜け出せるように援助した。   
COSのこうした活動は、貧困に陥るのは怠惰や飲酒癖など「個人の道徳的な欠
陥」(今日の用語でいえば、少なくても「依存症」や「精神障害」全般が該当する
と推測される)によるという当時の考え方からまだ抜け出してはいなかった。し
かし、貧困者の調査や面接相談、家庭訪問という現在の社会福祉援助の原型とな
った点で、社会福祉の近代化と職業化の歴史にとって極めて重要なものであった。
 COSがアメリカに輸入されると、今日にいたるケースワーク発展の土台が築か
れることとなった。友愛訪問員と対象者との接触が増えるにしたがい、貧困が個
人の道徳的欠陥によるというそれまでの考え方に疑問が生じた。特に、アメリカ
COSの参加者・指導者であったメアリー・リッチモンドがケースワークの実践的
概念を創造・提案し、ケースワークを中心とした社会福祉は「ソーシャルワーク」
と名づけられ、実践的に体系化された専門技術としてアメリカから世界へと広が
っていくことになった。友愛訪問員も利用者からの報酬に対して責任を持って応
える有給職員になるなど、専門的職業としてのケースワークの構築へとつながっ
ていった。リッチモンドの「慈善(ケースワーク)とは、貧困家庭(クライエン
ト)が持っている力を回復させることによって、貧困(生活問題)から抜け出せ
るように援助することであり、ケースワークの最終目標は人格の発達(自立)に
おかれなければならない」という理念は、現在「エンパワメント」と呼ばれる、
ソーシャルワークの重要な実践的原理へと発展している。リッチモンドは1922
年に『ソーシャル・ケースワークとは何か』を著し、ケースワークを「人とその
社会的環境との間の個別的な効果を意識して行う調整によって、その人のパーソ
ナリティーを発達させる諸過程からなる」と定義した。社会関係のなかで、可能
な限り個々の利用者・事例に合わせた援助を実践していくものとしてのケースワ
ークの基礎はここに確立したといえる。
 1920年代から1940年代にかけてのケースワークの発展期において、フロイト
の精神分析の流れをくむ診断派とランクの意志心理学の流れをくむ機能派が登場
した。前者は、利用者がどのような問題を抱えているのかを利用者の生育過程の
分析によって診断し、利用者を治療しようとした。ケースワークは「援助者が利
用者に働きかける過程」として捉えられる。後者は、利用者が安全で落ち着いた
状態で援助者や援助機関のサービス(機能)を利用できるように援助しようとした。
ケースワークは「利用者が援助者に働きかける過程」として捉えられる。
1960年代までに診断派と機能派との統合が試みられた。1950年代から1960
年代初頭にかけては、黒人の公民権獲得をめぐる熾烈な社会的闘争や、第一次世界
大戦時以来の大規模な「戦争(外傷)神経症」患者を生み出したベトナム戦争とい
った深刻な社会問題がアメリカ社会を揺るがし始めた。統合期においては、地域
のなかで孤立しながら例えば父親のアルコール依存と妻子への家庭内暴力、貧困、
子どもの不登校などの多くの問題を同時に抱え、援助者が容易には接近できない
家族が「接近困難事例」として発見された。それをきっかけにして、ミルトン・
エリクソンなどによる家族を中心としたケースワークなど、さまざまなアプロー
チが試みられた。
統合に先駆的な役割を果たした試みの一例として、パールマンの問題解決アプ
ローチは、個別援助を、援助者と利用者とがそれぞれの役割を演じる問題解決過
程としてとらえた。問題解決アプローチでは、4つのP、1.Person(利用者)、2.
Problem(問題)、3.Place(援助過程の具体的な場としての施設・機関)、4.
Process(援助過程)やワーカビリティー(利用者がサービスや援助を自分にとって
どれだけ役立てられるか)といった概念が重視される。
ケースワークの批判期と呼ばれる1970年代を経て、再編期の1980年代には、
ケースワークの機能の強化や、グループワーク、コミュニティーワークなどの方
法論や技能との統合がなされた。ケースワークの新しい機能として、さまざまな
社会資源を連携させ結びつけるネットワーク機能や、社会のなかで孤立し埋もれ
た人々の「声なき声」を発掘しそれら人々の権利を擁護するアドボカシー(代弁)
機能が重視されはじめた。また、ベルタランフィの社会システム論を基盤とした
多様なアプローチ、一例として利用者を家族・近隣・地域といった集団の一員とし
て捉え利用者を援助するエコロジカルアプローチ等が実践されるようになった。
一般的に、ケースワークは、かつての診断派に代表される医学モデル(精神分
析・精神療法モデル)から、人と環境との関係や利用者の生活実態に合わせた生
活モデルへと変化してきている。その特色は、(1)利用者の生活問題に援助の焦点
をあてる、(2)短期間の介入で援助を終結させる、(3)さまざまな介入の方法を利
用者個々の生活実態に合わせて活用する、などである。また近年では、マトゥラ
ーナ・ヴァレラの「オートポイエーシス理論」を基盤とした新たなシステム論の
活用が期待されている。
今後は、高度なシステム論的アプローチと精神分析的アプローチが、次世代の援
助技術の構築に向けて新たな統合を図る必要があると考えられる。援助者と利用
者を取り巻く社会関係が極めて多様化するなかで、効果的な援助を実践するため
には、援助者が援助過程における自分自身の感情(転移)の動きをよく認識しコ
ントロールすること(自己覚知)、そしてさまざまな他者との相互作用から絶えず
学びとるためのシステマティックな訓練が一層不可欠となってくるからである。
2.グループワークの歴史的発達
ケースワークと同様に、グループワークは、19世紀の急激な産業化によって産
み出された新たな人間のニーズに応えようとする社会的努力に源流を持つといわ
れる。19世紀後半に慈善事業の近代化と社会化が本格的に始まった。それがCOS
とセツルメント活動、貧困調査活動である。COSが順調に活動を始めた頃、ロン
ドンのスラム街の教会に赴任した牧師が、地域の人々への友愛の精神の実践を出
身大学のオックスフォード大学の学生たちに訴えた。この友愛の精神は、学生た
ちのリーダーとなったアーノルド・トインビーを通じて多くの学生たちへと受け
継がれ、後に、スラム街に住み込み、その地域の人々の友人となって社会福祉の
実践を行う「セツルメント活動」となった。その人類史的な意義は、「ボランタリ
ズム」としてのグループワークの源流となったということである。
ここで「ボランティア」という言葉の原義をたどるなら、「ボランティア」とは、
本来は17世紀イギリス内乱の時代に、自らの手で村を守ろうとした若者たちの
呼称であった。さらに、その後19世紀の近代国家成立時に、各国の傭兵(職業
軍人)制度に志願した者たちが軍隊内で「ボランティア」と呼ばれた。しかし、
これら「ボランティア」たちの活動は、衣食住確保が主目的であったため、この
「ボランティア」という呼称には軽蔑的な意味合いも込められていた。しかし、
セツルメント活動に参加した学生たちは、自発的なグループを形成して実践活動
(社会救済)を行う人々という極めて新しい意味で「ボランティア」と呼ばれた。
 セツルメント活動は、貧困を社会問題として分析する視点を確立させた。貧困
は社会環境の劣悪さ、とりわけ教育的環境の欠如により自立が損なわれているた
めに生まれるとした。セツルメント活動は、こうした社会的要因を浮き彫りにし
て、社会改良の必要性を社会に認識させようとした。
COSやセツルメントの活動が展開されるなかで、19世紀末から20世紀初頭に
かけて、ラウントリーらが初めて実証的な貧困調査活動を行った。イギリスヨー
ク市においてラウントリーが1899年に行った調査によれば、「怠惰である」とい
ったその当時道徳的欠陥と思われていた要因がなく、その収入がいかにつつまし
く使われても、賃金収入だけでは肉体的に必要なものすら充足できない世帯が総
人口の19.9%、労働階級人口の15.5%を占めることが明らかにされた。こうした
貧困調査活動は、不規則・不安定就労や低賃金などの雇用条件や劣悪な生活環境
といった、貧困の社会的要因の発見に寄与することになった。
このような活動のなかで、貧困についての考え方に変化が生じ、貧困問題の解
決には、国家による社会政策の一層の充実と、貧困者に対する科学的な援助技術
の方法が必要であることが認識された。したがって、COS、セツルメント活動お
よび貧困調査活動の意義は、国家による社会保障政策の必要性を認識させるとと
もに、専門的職業実践としてのグループワーク・ケースワーク・コミュニティー
ワークへの道筋をつけたことにあるといえる。
以後の歴史の展開において、集団場面または集団関係を活用して社会福祉援助
を行う方法=専門技術としての集団援助技術(グループワーク)が確立していっ
た。そこでは、グループワークは以下のように捉えられる。
対面的な関係を取り結ぶことのできる小集団は、人間が社会的行動を体験の中
で学んでいく極めて重要な場である。人が社会化されていく過程で、どのような
集団に属しているかが、人格形成に及ぼす力には大きなものがある。また、集団
の中で学ばれたことの再学習も、やはり集団の中で行われるといえる。人は集団
場面での他者とのさまざまな相互作用の経験を通じて、自らのあり方を他者にと
ってお互いに望ましいものへと変容することを学ぶのである。
 社会福祉援助サービスの従事者たちは、しだいに人間生活における小集団の大
きな力に着目し、それを援助目標に意識的に活用するようになった。それらさま
ざまな実践を統合し、当時の教育学や心理学等の知識を取り入れながら1930年代
のアメリカを舞台に発展したのが、ソーシャルグループワークという実践的な知
識と技術の体系である。コノプカは、ソーシャルグループワークを、「ソーシャル
ワークの一つの方法であり、意図的なグループ経験を通じて、個人の社会的に機
能する力を高め、また個人、集団、地域社会の諸問題に、より効果的に対処し得
るよう、人々を援助するものである」と定義している。また、シュワルツは、グ
ループワーカーはソーシャルワークの目的を果たすためにグループの状況を用い
るという立場から、社会と個人の相互依存性に着目して、ワーカーは社会と個人
を媒介する機能を果たすとした。シュワルツによれば、「相互作用モデル(the
reciprocal model)」とは、「メンバーたちが自分たちの目的を確立し、グループの
多様性を体験できる相互扶助システムがニーズを見定め明らかにしていくという
グループプロセスを強調するものであり、これらは広い分野に派生し、同時に社会
的、教育的、臨床的ゴールもしばしば含み得る」とされる。
 ソーシャルワーカーは、以上のようなさまざまな集団関係の可能性を、個別援
助の課題と結びつけて活用しようとする。とくに1950年代から盛んになった心理
療法的グループワークはこの側面を洗練して、その体系の中に取り入れている。
現在、各種障害者のための援助技術は、グループワークが主流となっている。また、
近年では、犯罪加害者と犯罪被害者との間を調停する「修復的(restorative)司法
プログラム」での応用や、少年院・少年刑務所などでのロールレタリングを活用し
たグループワーク等が効果的な試みとして注目されている。なお、パペル
(C.P.Pappell)とロスマン(B.Rothmon)が1988年にウィーン社会福祉教育会議で
発表した「相互作用モデル」は、今日、自立生活訓練や自助グループ活動などに
おける身体障害児・者のノーマライゼーションを促進する技法や、精神障害者の
ためにグループホームを運営する技術として、地域ケアプログラムへの活用が期
待されている。
3.援助技術の異文化導入に関わる「文化的障害」への視点
 まず、我が国へのセツルメント活動の導入初期に絞って論じる。大正7年の米
騒動の発生時に、貧困者救済を目的として国や自治体が米の廉売を行った際、逆
に富裕階級に買い占められるという矛盾が発生した。こうした矛盾の解決を目指
す動きの中で、広く社会的連帯の意識が芽生え、1918年「方面委員制度」が生ま
れた。市民が参加する方面委員制度は、日本における自発的なソーシャルワーク
の出発点であり、戦後の社会福祉行政への協力機関としての民生委員へと継承さ
れることになった。その後大正期後半にはセツルメント活動が発生し、ボランテ
ィアという言葉も流入した。しかし、昭和に入り第二次世界大戦が始まると上述
のような思想と実践は戦後までその力を失った。
 戦後GHQによる民主化政策下のYMCA運動から、我が国におけるグループワ
ークの本格的導入が始まった。以後、1970年代以降の老人福祉・保健施設、保健
所や地域ケア施設におけるグループワークから、現在のさまざまなセルフヘルプ
グループ(NPO法人も多い)まで、活発な活動の展開が見られる。そこで、以下の
論述においては、セルフヘルプグループを事例としたグループワークの異文化導
入に関わる文化的障害というテーマで問題提起を行いたい。
 現代では、各々の文化集団がそこに根をもつ生活世界が失われ、集団自身の目
的や安定した機能も失われつつある。集まっていることの意味も目的ももたず、
しかし一定のルールによって一緒にいる、または一緒になにかを行うこと自体を
楽しむような集団が構成される傾向がある。ここでは、生活世界が消失している
代わりに、ただ一緒にいる、またはそのつど一緒になにかを行うことが人工的で
代替的な生活世界の構成となっている。こうした集団が、メンバーの匿名性やメ
ンバーの発言に対する批判の排除といった一定のルールによって人工的で代替的
な生活世界を構成する場合、それを「セルフヘルプグループ」と呼ぶことができ
る。セルフヘルプグループのメンバーは、成育過程のごく初期における他者関係
(おもに養育者との関係)において外傷を抱えていることが多い。グローバル化
の潮流において、この意味でのグループワークにとって極めて現代的な課題とな
るのは、外傷的な感情のコントロールがなされうる場の構築が、各々の文化間の障
壁あるいは「文化的障害」をどのように超えられるのか、ということである。
一例として、米国オハイオ州アクロンから始まり世界的に伝播したセルフヘル
プグループである「アルコホーリクス・アノニマス(AA:Alcoholics Anonymous)」
の受容を挙げることができる。ここには、AAにおける「自分で理解した神(ハイ
ヤー・パワー)」を、ユダヤ・キリスト教の文化的伝統を欠く文化集団(例えば「日
本社会」のメンバー)がどのように自分のものにしていくのか、というグローバ
ル化に固有な課題が存在する。この問題に関して、葛西賢太は、「「自分で理解し
た神」は、AAの諸文化の翻訳をもって移植されたのではなく、メンバー個人が
そのたびごとに獲得しわがものとすることが必要」であり、「個々のメンバー自身
が対話の努力を重ねて対話の力を鍛えるのが、セルフヘルプの長所と短所を踏ま
えた最善の道ということになろう」と述べている。現代における「文化的障害」
は、以上のような問題設定において捉えられよう。(注1) このような視点を踏ま
えて、最後に、グループワークの現代的な意義を論じてみたい。
 現代においては、感情がコントロールされるレベルが社会から個人へと移動し
ていく傾向があるため、人々は「自分の感情」についてかつてなく意識的で操作
的になる。そのため、人々は自分自身の問題解決の場を、人工的で代替的な生活
世界としての集団場面に求めることになる。そのような場でのグループワークに
おいて、人は自分が思う通りには自分自身や他者を支配したりコントロールでき
ないということを学ぶことになる。多様で相互的な他者関係としてのグループワ
ークの現代的な意義は、そこにおいて他者の支配やコントロールへの欲望を断念
することを学び、他者に依存している自身のあり方を認識し受容することにある。
【注】
(注1) 援助技術の異文化導入(グローバル化)にともなう「文化的障害」に関わ
る他の事例として、「遺伝子レベルの障害」に関わる問題が挙げられる。着床前受
精卵の遺伝子診断や母体血清マーカーの遺伝子検査は、ハンチントン舞踏病やレ
ッシュナイハン症候群などの根治不可能な遺伝性疾患(単一遺伝子病)を発症す
ることが予測される子どもの出生を予防することにとどまらず、多因子遺伝病と
される生活習慣病の遺伝素因を持つ子どもを選別(スクリーニング)することを
事実上の目的としている。ことに、母体血清マーカーの遺伝子検査は、不特定多
数を対象とするマススクリーニング方式に適合する。このことは、仮にマススク
リーニングを実施しなかったとしても、検査に健康保険を適用するなら、国家政
策レベルで実施されることになり、国民全体を遺伝的リスクの確率分布に従って
スクリーニングしてしまうことを意味する。厚生労働省の「第4次保健事業計画」
と「健康日本21計画」に見られるように、生活習慣病が慢性疾患化する高齢社
会に対応して、近年の社会福祉政策は、国民全体を対象とした要介護状態への移
行の予防を目標にするようになってきた。こうした現状において、個人、カップ
ルの選択=自己決定による遺伝性疾患の診断、治療、予防という、WHO主導で
グローバル化した理念の実践が、遺伝子解析に基づき認定されたリスクグループ
の選別につながっていくのではないかという問題が浮上してくる。それとともに、
我が国においてはまだ全く未整備な「遺伝カウンセリング」を始めとする援助手
法の導入が、将来的に深刻な「文化的障害」に遭遇する可能性があるといえる。
なお、「母体血清マーカー検査」についての事例を踏まえた問題点の指摘を、
1998/10/23厚生省(当時)厚生科学審議会「先端医療技術評価部会出生前診断専
門委員会議事録」の28頁から30頁にかけて長谷川委員が行っている。
【参考文献】
『ソーシャル・ケースワーク論 社会福祉実践の基礎』 大塚達雄他編著 
ミネルヴァ書房 2000年
『グループワーク論』 大塚達雄他編著 ミネルヴァ書房 1997年
『介護支援専門員基本テキスト』第2巻(長寿社会開発センター)
「「自分で理解した神」を受け入れる Alcoholics Anonymousにおける宗教的文
化資源とアイデンティティ」葛西賢太 『グローバル化とアイデンティティ・
クライシス』 宮永国子編著 明石書店 2002 所収
「代替生活世界的コミュニケーションの展開―若者たちに見るポストモダン的共
同性」樫村愛子
『つながりの中の癒し―セラピー文化の展開』専修大学出版局 2002 所収
『はじめて学ぶグループワーク』野村武夫著 ミネルヴァ書房 1999年
『グループワークの歴史』ケニス・リード 勁草書房 1999年
「メインストリームを目指すソーシャル・グループワーク――その理論と実践技
術」「リハビリテーション研究」(財)日本障害者リハビリテーション協会 
1990.(Nr.64.)所収
「社会的なものの概念と生命―福祉国家と優生学―」市野川容孝
『思想』 2000年.No.908. 岩波書店
『現代思想』1998年.vol.26-1,26-8, 2000年. 28-3,28-4,28-10. 青土社
『現代思想』2003年.vol.31-2.青土社
『精神療法』vol.29-6,30-2, 2004年. 金剛出版
「出生前診断・選択的中絶と障害受容・治療拒否」玉野井真理子 『臨床心理学』
Jan 2004 vol.4 No.1 金剛出版
厚生労働省ホームページ資料
http://www.mhlw.go.jp/cgi-bin/ezsearch.cgi/contents/jtopic/colls/mhlwj
1997/07/10 第1回厚生科学審議会先端医療技術評価部会議事録
1998/01/29 第5回厚生科学審議会先端医療技術評価部会議事録
1998/10/23 厚生省(当時)厚生科学審議会先端医療技術評価部会出生前診断専
門委員会議事録
1999/02/04 厚生省(当時)厚生科学審議会先端医療技術評価部会生殖補助医療
技術に関する専門委員会議事録
2000/12/05 同上
『ジュリスト』2003.6.15.No.1247. 有斐閣 特集「医学研究の進歩と法」
※「遺伝子レベルの障害」関連の文献については、単著は除外した。


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