Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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2001,2002,2003.10/09-2004(short version:2004.11.6-).
「汎優生主義」のリミット

はじめに
本論は、我々が「汎優生主義(Pan-eugenics)」と呼ぶ新たな社会的過程を論じる。その際、「汎優生主義」は、後述する「ユビキタス社会」に内在的な過程としてテーマ化される。
本論では、「優生主義(Eugenics)」を、正/負の価値軸に応じて構築された社会集団の選別を目指す思想と実践の総体としてとらえる。ある思想と実践の総体が、その効果として、正/負の価値軸に応じて構築された社会集団を選別する。この場合、「優生主義」という思想と「優生主義」の実践は不可分なものとして「優生主義」という社会的過程を形成する。この社会的過程において、何らかの正/負の価値軸が構築され、その価値軸に応じて一定の社会集団が構築される。一方では、正/負の価値軸に応じて「負の価値」を持つ社会集団が選別され、他方では、「正の価値」を持つ社会集団が構築される。このとき「正の価値」を持つ社会集団は、必ずしも積極的な目印を持たない。むしろそれは、<我々自身の無意識>のレベルで、「負の価値」を持つ社会集団と同時に構築される。
遺伝性疾患の診断、治療、予防を可能にするテクノロジー的基盤が成立して以降、「新優生主義(Neo-eugenics)」が「汎優生主義」へと深化していく社会的過程が生まれている。ここで「新優生主義」は、個人、カップルの選択(自己決定)による遺伝性疾患の診断、治療、予防を推進する思想と実践の総体と定義される。言い換えれば、「新優生主義」とは、個人、カップルの選択(自己決定)による遺伝性疾患の診断、治療、予防を推進する過程を通じて、正/負の価値を持つ社会集団を構築し選別する思想と実践の総体である。「新優生主義」は、現に遺伝性疾患を有する者にとどまらず、一般に遺伝性疾患発症のリスクを持つ者の総体を「負の価値」を持つ社会集団として構築し選別する。その際、何らの遺伝性疾患のリスクも持たない者は存在しないという認識が広がっていく。そのとき正/負の価値の選別は、それぞれの遺伝的リスクの確率分布に従った無際限の階層序列化という過程になる。この場合、正/負の明確な境界線は絶えず変動するグラデーションに取って代わられる。だが、原則として確率分布は数値化されるため、正/負の階層序列(リスクを持つかどうか。どちらがより大きなリスクを持つのか)が消滅することはない。
本論では、「汎優生主義」というテーマは、「より生存に値する/値しない」(正/負)という価値軸に沿って無際限に階層序列化する思想と実践の総体として、仮説的な問題提起の形で論じられる。そこでは、我々が、我々自身の生存におけるあらゆる場面について、「より生存に値する/値しない」という階層序列に従った自己言及を繰り返すことになる。この「汎優生主義」への移行を媒介するのが、「新優生主義」を基礎づけるものとしての、遺伝性疾患の診断、治療、予防を可能にするテクノロジー的基盤である。「ユビキタス社会」とは、このテクノロジー的基盤がネットワーク化することによって我々の生存を覆い尽くす社会である。この意味において、「ユビキタス社会」を構成するテクノロジーは、「汎優生主義」にとって内在的な条件である。
本論では、「より生存に値する/値しない」という価値軸は、偏在する/どこにでも存在する<我々自身の無意識>として構築され機能すると仮説的に想定している。偏在的なネットワークとなって我々の生存に浸透する「ユビキタス社会」の機能は、我々がそれを意識化することをほとんど不可能にするからである。この<我々自身の無意識>の構築過程は、「ユビキタス社会」に内在的な過程として「汎優生主義」が生成してくる過程である。
最後に、本論の最終章において、古谷実のコミック作品『ヒミズ』の読解を通して、この「汎優生主義」の限界(limit)が抽出される。

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