隙間を埋めた世界は・・・
真夜中 在米の旧友とLINEで生存確認昼夜が逆転する時差での連絡だが 私の生活サイクルもいい加減なもんだから無理せず適度に繋がる彼女とはザックリいうと中国語繋がり でもお互い人生の半分以上は繋がっているある時期同じ東京の空の下にいたが もし中国語を学んでいなかったら絶対知り逢えない環境にいた別の選択肢を選んでいたら その隙間を埋めた世界はどんなものだったのだろう?日本時間3月30日の彼女のLINE単純な疑問だが 答えは永久に見つからないそんなことを考えられる程度の余裕はある環境に お互いがいるからふと 答えのない問いを思いつくのか彼女なら 私と繋がりのない世界でも 問題なくいい一生を送れるいや むしろ私と知り合ってしまったから 大変だったのか?少し責任を感じるが まあ大目に見て下さい古来希なる年齢に近づいて それでもいろいろ語り合える友達がいるというのは幸せだ 少し前なら「彼岸」にいてもおかしくない年齢何を語り合うという訳でもなく 誰かが声をかければ集まり 特に何をするわけでもなく 何となく幸せな場と気分に浸り 「それじゃ またね」と別れる「会って話す」という生存確認方法が 絶対安心条件偉大なるマンネリです今回の彼女の帰国ではその偉大なるマンネリを実現できなかったごめんなさい 全ては私の 自業自得 次回を乞うご期待あ~? 「自損」じゃないんだ 「自得」と書くと得した気分になる 四字熟語の意味も深長