先日、紹介しましたヘタリアのアニメ放送への抗議運動の件。
ついに最悪の結論に達してしまいました。
『ヘタリア Axis Powers』キッズステーション放送中止のお知らせ(ヘタリア ドットコム)
「ヘタリア Axis Powers」の放送について(キッズステーション)
予想よりもずっと早い中止決定でしたね。
…このタイミングで中止決定したということは、
やっぱり、韓国で問題化したことが直接の原因
ということになるんでしょうかねぇ(__;)
少なくとも、外部から見る限りは“外圧に屈した”という印象は否めないよな。
まぁ、この手の抗議をする人って、その要求が妥当かどうか否かを問わず
“自身の要求は絶対に正しい”と思ってやってる場合が殆どだから、
その相手をするのは実にめんどくさくなるから、逃げたくもなるわいな。
けど、今回こうやって一旦、放送することを広く公表したにもかかわらず
外部からの(しかもやや明後日の方向からの)圧力によって
あっさりそれを止めてしまった(ように見える判断をした)ということは、
『圧力にすぐ屈する姿勢である』と受け止められ、
自分の意に沿わない意見や表現等に噛み付いて
それらを撤回させようという動きを勢いづけてしまうから
あんまり好ましくない選択であったんじゃないかな、と。
今後、類似した作品が制作された場合も、今回の例が足枷になって
必要以上に発表の機会が損なわれる畏れが高いわけで、
前例によって表現に制限がかかってしまう禍根を残すことに。
事実、今回はこのキッズステーションの決定によって、
制作者(ヘタリア製作委員会…てことになるのかな)が制作物を発表できるはずだった機会が
自己の責に負わないところで損なわれているわけで、
今から他の放送局に売り込もうとしても、今回の決定は間違いなく
悪い方向に影響を与えるであろうことは想像に難くないですね。。。(__;)
それだけに、出来ればキッズステーションには放送を強行するくらいの
気概が欲しかったです。
こうやって抗議に屈する事例が積み重なっていくことによって、
徐々に情報の送り手側が選択しうる表現の選択肢は
制約されるようになるわけですから。
放送しないことが、自己だけでなく他者に表現活動の阻害要因となる一方で、
放送することが既存のタブー等による制限を打ち破る“蟻の一穴”となるわけで
キッズステーションには英断を期待したんですが。。。
返す返すも、今回の放送中止の決定は残念です。
憲法が、自由や権利の保持のために不断の努力を要求しているように
常に己たちの情報発信のために挑戦し続ける“攻めの心”を持ち続けないと
『あるはずのもの』がいつの間にかなくなっていたり、至極小さくなっていたりと
そんな結末になってしまうように思うのですが。
(あ。もちろんこの事は、“情報の送り手と表現手段の関係”に限定されるものではなく
他にも似たようなことが当てはまることはけっこうあるようには思います)
この手の表現に対しては賛否両論あろう事は承知しておりますが、
こういう毒っ気のあるユーモアが(CSとはいえ)公共の電波に乗るのは
少なくとも、日本における表現活動への許容の幅が拡がった証拠だと
非常に嬉しく思ったのですが、こういう結果になってしまったことは非常に残念。
日本でも、『ビーバス&バットヘッド』や『サウスパーク』まではいかなくても
ブラックなユーモアを交えた作品が送り出せるような時代がくると良いのですが。。。
様々な表現活動や、それに対する批判があることによって
諸々の物事に奥行きが生まれる糧となると思うんですが、
事なかれ主義に浸かって、挑戦的な表現が生み出されがたい状況が
日本の情報の送り手側にあるように思われるのがもどかしいんですよね…
(補記)
よくよく考えて見ると、オイラが想定している以外の理由で
放送を中止した可能性も十分あるのか。
ex)
・Web配信を前提にして作られてるの作品だから、
そのままでは技術的に電波に乗せられない(技術的理由)
・広告主が撤退した(経営的理由)
etc.
もしそうなら、今回の記事はそもそも全く的外れだよな。
真相がそうであれば。。。
こりゃ、いくら土下座してもしたりんぞ(__;)
前者ならともかく、後者の場合、まず『放送中止理由』として
公に発表されることはないだろうしなぁ。
そのあたりの真相が明らかにされれば、
今回の記事が妥当かどうかハッキリするんだけど…
局側の書き方からして、あまりその期待は出来なさそうだなぁ。
≪付記≫
この記事は、より正確に意図を伝えるために書換を行っています。
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