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バス停地名学のすすめ

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2007.04.07
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カテゴリ:品川区
(前回からのつづき)

大森の地名は、文字どおり大きな森があったことに因むとされますが、東海道に面した大森海岸一帯は野鳥の多く飛来した場所でもあり、江戸時代には将軍の鷹狩が頻繁に行われていたと伝えられます。遠浅の海岸は浅草海苔の産地としても知られ、もともと大森海岸の漁民は浅草から移住してきたものともいわれます。

鈴ヶ森の地名は、大森海岸の磐井神社が鈴ヶ森八幡宮と称したことに因みますが、その磐井神社は第一京浜を更に200メートルほど歩いた右手にあります。この神社は『延喜式』に記載のあるいわゆる式内社で、貞観年間(859~77)に国ごとの八幡宮の総社を決めた際に、武蔵国総社と定められたと伝えられますが、関東に八幡宮が広まるのは鎌倉の鶴岡八幡宮が創建されて以降といわれるため、天正年間(1573~92)に八幡宮鎮座とする説の方が有力のようです。古くは大森海岸沖にも鳥居があったといわれ、社中には叩くと鈴の音がするという鈴石(これがそもそもの地名由来)や、カラスの墨絵のような模様がくっきりと浮かび上がる烏石などが保存されています。

境内前の歩道上には、磐井の名の由来ともいわれる井戸が残ります。植え込みに隠れて見えにくいですが、かつての境内地が第一京浜の道路拡張により削られたことを物語る物証でもあります。古くは東海道を行き来する人々に利用され、万病に効く薬水として知られたといわれます。

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最終更新日  2007.04.07 00:18:45
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