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バス停地名学のすすめ

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2007.06.02
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カテゴリ:文京区
(前回からのつづき)

岩槻街道は、本郷追分から駒込、王子、川口、岩槻を経て、幸手で日光街道に合流していました。江戸時代の日光東照宮への将軍社参の道で、日光御成道の別名があります。日光街道の混雑回避と警備上の問題から、諸大名は日光街道、将軍は岩槻街道と区別されていたといいます。

追分の交差点角には、高崎屋という酒屋がありますが、店の看板に「SINCE1751」とあるように、創業宝暦元年という老舗で、江戸時代には両替商も兼ねて繁昌していたと伝えられます。近隣の武家屋敷や町人を相手に「現金安売」の手法で得意先を次々と獲得し、中山道の板橋宿や岩槻街道の川口方面に販路を拡大していったといいます。

追分の交差点から狭い裏通りへと入ってみました。本郷には今も下宿や旅館の類が多いですが、今回は今のうちにどうしても見ておきたい建物がありました。それは本郷6丁目の本郷館です。明治38年築という巨大な木造3階建ての下宿屋で、本郷の名物でもありました。近く取壊しの予定があると聞きますが、実際に間近でこの建物を見ると、まるで要塞のような重量感溢れる佇まいに、しばし圧倒されてしまいます。既に住人は退去済みのようで、建物は抜け殻のような静けさと寂しさに包まれています。入口にはロープが張られ、立入禁止の札が小さく風に揺れている様子が、妙に印象的でした。

本郷通りへ戻る途中、こちらも本郷名物のひとつ、大正3年創業という万定フルーツパーラーへ立ち寄りました。建物は昭和3年築で、昭和レトロの真髄をたっぷりと味わえる外観は、是非ともカメラに収めておきたいものです。

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最終更新日  2007.06.02 21:22:08
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