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バス停地名学のすすめ

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2007.06.08
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カテゴリ:江戸川区
(前回からのつづき)

バス停から今井橋へと続く道路の高架下を歩き、旧江戸川の護岸に沿った篠崎街道へと歩いてみます。少し行くと京成バスの今井バス停がありますが、その手前右手に、旧今井橋の親柱が保存されています。旧江戸川を千葉県側へ渡す今井橋は、明治45年の架橋といいますが、昭和40年代まで現役を続けた木造の旧今井橋は、現在の今井橋からやや上流側、ちょうどこの親柱の保存されているあたりに架橋されていました。現在も干潮時には、川底に残された橋脚の跡が水面に顔を出すそうです。

近くにには「史跡 今井の渡し跡」の説明板も立っています。こちらは今井橋架橋以前の渡船の歴史を伝えるもので、江戸時代は幕府による江戸防衛上の政策から、一般旅客の利用は許されず、農耕に必要な場合も代官への届出が必要だったことなどが記されています。対岸の千葉県市川市側には行徳街道が通過していることから、明治期には成田山参詣客などで渡船も賑わっていたものと思われます。

篠崎街道をもう少し歩くと、左手に香取神社があります。旧上今井村の鎮守ですが、社殿後方に富士塚があるので立ち寄ってみました。旧江戸川沿いには、対岸の千葉県側も含め、こうした富士塚が多く残されている場所で、富士講の盛んだった歴史を偲ばせますが、今井富士は上今井割菱八行講による昭和5年の築造と伝えられます。小さな「登山道」を上り、ちょっとした富士登山の気分で今井散歩を締めくくりました。

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最終更新日  2007.06.08 21:23:00
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