バス停地名学のすすめ

2007/11/20(火)09:56

第134回 【坂道編(10)】 仙台坂(せんだいざか) 後編

品川区(16)

(前回からのつづき) 第一京浜を渡り、京浜急行の高架下を抜けると、旧東海道の道筋が南北に伸びています。青物横丁商店街となっているその道筋を品川方向に少し歩くと、左手に昔ながらの姿を残す海雲寺の山門が現れます。品川の荒神さまとして知られる海雲寺は、毎年3月、11月の大祭には青物横丁駅周辺まで露店が林立し、現在でも大変な賑わいを見せています。本堂左手の千躰荒神堂に祀られる荒神様は、仏法僧を守護する三宝の神であり、江戸期の頃からは竈(かまど)の神様、台所の神様として庶民の信仰を集めていました。 *今年の秋季大祭は11月27~28日です。 海雲寺の北隣り、大きな地蔵菩薩坐像が旧東海道を見下ろしているところが、品川寺(ほんせんじ)の入口です。像は銅造りで、宝永5年(1708)に設置された江戸六地蔵のうちの第1番にあたり、震災で頭の笠を失った姿のまま、現在に至っています。境内へ入ると、右手の樹齢600年という大きなイチョウがまず目に入ります。左手奥の鐘楼の鐘は、慶応3年(1867)のパリ万国博に出品されたもので、その帰途に行方知れずとなり、昭和5年になってジュネーブの博物館から返還されてきたことから、洋行帰りの鐘と呼ばれて親しまれています。 再び仙台坂下へ戻り、最後に坂下北側の海晏寺を訪ねます。海晏寺は建長年間(1249~56)の創建と伝えられ、その頃品川の漁師の網に鮫の死体がかかり、その腹中から出た観音像を祀ったのが始まりとされます。海晏とは、それ以来品川の海が平穏になったことを意味し、観音像を鮫頭観音と称したことが鮫洲地名の由来のひとつともなっています。江戸時代には紅葉の名所とされた裏手の高台は、現在は墓所となっていますが、石段を上れば旧東海道沿いの街並みを眼下に俯瞰するロケーションが、散歩の締めくくりにふさわしい爽快感を与えてくれます。 人気blogランキングへ

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る