バス停地名学のすすめ

2008/04/29(火)23:03

第196回 【梅70編(30)】 萩の尾薬師堂前(はぎのおやくしどうまえ) 後編

武蔵村山市(8)

(前回からのつづき) 新薬師橋を渡ると、すぐ右手に見える赤い銅板葺屋根の建物が萩の尾薬師堂です。いつ頃の創建か定かでないといいますが、祀られている薬師如来は、八王子の滝山城にあった北条氏家臣石川土佐守の娘の持仏だったと伝えられます。青梅街道から石段を上ると、左の隅には小さな祠があり、中には延文元年(1356)と銘の入った宝篋印塔の基礎部分と笠部分が保存されています。 薬師堂の脇から住宅地の小道を歩いてみます。住居表示は中央3丁目となっていますが、「中央」の名にふさわしいような市街化された新興住宅地といった様子はなく、昔ながらの農家を中心に、ゆったりとした街並みが続いています。 やがて南へ突き出してきた狭山丘陵の先端部分に、緑に包まれた日吉神社があります。小ぶりな社殿の前には、山王宮と刻まれた2本の燈籠が立ち、江戸期には山王様としても親しまれてきた様子がわかります。こちらも創建年代が不詳とされますが、市の設置した説明には、元禄4年(1691)に作られた御神体が三ヶ島の照明院から遷宮されたとあります。三ヶ島とはどこでしょうか。狭山丘陵を挟んで反対側に、埼玉県所沢市三ヶ島の地名がありますが、照明院という寺院は地図上からは見つけられませんでした。 境内には、「重松(じゅうまつ)囃子」の説明板もあります。所沢市出身の古谷重松が、江戸囃子を元に独自の節回しをつけてこの地方に広めたものといわれ、日吉神社では明治から昭和初期にかけて、奉納の行事と農民の娯楽を兼ねて演じられてきたといいます。現在も「萩赤(萩の尾・赤堀地区)重松囃子保存会」により伝承されています。 人気blogランキングへ

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