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バス停地名学のすすめ

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2008.06.06
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カテゴリ:青梅市
(前回からのつづき)

旧吉野家住宅から、青梅街道を西へ歩きます。街道両側の歩道を行ったり来たりしながら、歩道の植え込みに隠れるように立っている中井戸跡、榎戸家山下家井戸跡、鈴法寺井戸跡などの碑を見つけます。いずれも小さいので、よほど注意して見ていないと見落としてしまいます。

鈴法寺跡バス停に戻ると、すぐ目の前が鈴法寺公園です。この地は明治4年に廃寺となった廓嶺山鈴法寺の跡地です。慶長18年(1613)からこの地に伽藍を構え、下総一月寺とともに、全国に2ヶ寺しかなかった普化宗の本山のひとつとして栄えた寺院です。普化宗の徒は虚無僧と呼ばれ、尺八を吹きながら諸国を廻る姿は時代劇などでもお馴染みですが、顔をすっぽり隠せる虚無僧姿は幕末の勤王志士らの格好の変装姿となったようで、鈴法寺も志士や浪人らの隠れ場とされるようになり、明治4年の廃宗へとつながりました。残された伽藍も同28年の火災で消滅し、現在では児童公園となった跡地の片隅に、歴代住持の墓が数基保存されているのみとなっています。

歴代侍従の墓碑が並ぶ場所に、「鈴法寺歴代諸霊供養碑」と刻まれた石碑が立っていますが、裏を見ると、道路拡張で鈴法寺井戸を埋めるにあたっての記念碑としての文言も入っています。まさに「一石二鳥」といった造りが、興味を惹きます。

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最終更新日  2008.06.06 22:15:55
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