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バス停地名学のすすめ

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2008.10.05
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カテゴリ:品川区
(前回からのつづき)

塚の跡地は、平塚橋交差点から中原街道を南へ少し下った場所で、昭和初期の頃には姿を消していたといいますが、戦後になって跡地から鎧や兜、刀剣類が多数発掘され、昭和27年に地元有志によりその由来を伝える「平塚の碑」が建てられるに至ったとのこと。平塚は品川区の町名にもなりましたが、平塚橋の名も、バス停のみならず、この付近の俗称として広く知られるようになっています。

交差点からバス停方向に再び戻ると、左手に分岐する通りに「旧中原街道」の表示があり、ここから五反田方面に向けて、中原街道の旧道跡が残されている様子を見ることができます。この旧道を少し歩いてみると、やがて右手に旧中原街道供養塔群と呼ばれる六基の供養塔や地蔵菩薩像を収めたお堂があります。これらのうち右手前の2メートルを超す石造地蔵菩薩像は、戸越地蔵と呼ばれて親しまれてきたもので、江戸時代中期の頃のものとされています。また左手奥には、明治11年開校の京陽学校(現在の京陽小学校)付近を描いた絵が掲示されていますが、そこには旧中原街道と茶店、品川用水と平塚橋、そして戸越地蔵がユーモラスなタッチで描かれ、この付近の明治期の光景を偲ぶことができます。

帰り道は、交差点から武蔵小山駅へ伸びるアーケードの商店街「武蔵小山パルム」を歩いてみます。昔ながらの活気溢れる商店街で、人通りも相当なものです。賑やかなアーケードから少し脇道へ入ると、プープーとどこかで聞いたようなラッパの音が聞こえてきました。見ればリヤカーを引いた豆腐屋さんです。なんとも懐かしいその姿にしばらく見入っていると、あちこちから「お豆腐屋さーん」と呼びながら駆け寄る近所の人々に、リヤカーはあっという間に取り囲まれていきました。

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最終更新日  2008.10.05 22:45:23
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