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バス停地名学のすすめ

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2009.01.31
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カテゴリ:世田谷区
(前回からのつづき)

蛇崩川跡の遊歩道を上流側に歩いていくと、左手は高低差の烈しい崖地であり、浸食の著しい地形らしき名残を目の当たりにすることができます。

急斜面に広がる駒繋公園を過ぎると、擬宝珠のついた鮮やかな朱塗りの橋が見えてきます。橋の先の鳥居をくぐれば、駒繋神社です。改めて地図を見ると、この神社の境内が北向きに突き出した高台の先端部にあり、その崖下をぐるっと回り込んで流れていたのが蛇崩川だったことがわかります。鬱蒼と樹々の茂る斜面を上がっていくと、間もなく木漏れ日に照らし出された社殿が現れます。

駒繋神社は大国主命を祀る古社で、平安中期の天喜4年(1056)、源頼義、義家父子が奥州へ向かう途中にここで武運を祈ったと伝えられ、後の文治5年(1189)、奥州藤原氏征伐へ向かう源頼朝が、先祖を偲び境内に愛馬を繋いで参拝したことから、駒繋の名が生じたといわれます。その頼朝はこの地で土砂崩れに遭い、「以後は馬を曳いて渡れ」と命じたことから「馬引沢」の地名が起こり、それが上馬引沢村、下馬引沢村と分かれたことが、現在の上馬、下馬の地名由来となっています。他にも、この周辺には馬にまつわる地名や伝承が多いようで、機会があれば改めて紹介したく思います。

因みに、近くの「駒沢」の町名も、明治期の町村制施行時、周囲に馬にまわつわる地名が多いことから考案された合成地名です。

ひっそりとした境内をしばらく歩いて回っているうちに、「世田谷区名木百選」の看板が付いている木を二本見つけました。木斛(もっこく)と赤四手(あかしで)です。植物の名前に疎い私には、珍しい名前です。こういうときに、携帯版の植物図鑑などがあれば、散歩の楽しみも広がるだろうと痛感しますが、なかなか実現できずにいます。

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最終更新日  2009.01.31 23:52:19
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