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バス停地名学のすすめ

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2009.03.24
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カテゴリ:足立区
(前回からのつづき)

橋戸神社のすぐ先が隅田川ですが、高いコンクリート護岸に遮られ、水の流れを見ることはできません。その代わり、下流方向に歩くとすぐに千住大橋であり、芭蕉の「奥の細道」ゆかりの史跡公園として、護岸を越えて川面近くのテラスへ下りることができます。千住大橋については触れておきたいことも多いですが、それはまたの機会に譲ることとし、今回はここから旧日光街道の道筋を少し歩いておきます。

千住大橋を背に、足立市場入口交差点から現在の国道と分岐して、まっすぐに北へ進む通りが旧日光街道にあたります。歩きはじめるとすぐ左手に「此処は元やっちゃ場南詰」と書かれた大きな看板が目につきますが、このあたりは、江戸時代に青物市場として賑わった「やっちゃ場」の跡地です。主に青物と穀物、川魚などの問屋が街道両側に軒を連ねていたようで、「やっちゃ」の意味は不詳ですが、市場内での掛け声とする説や、やっさもっさと野菜を運ぶ様とする説などがあります。江戸時代半ば頃にはかなりの問屋組織が整備されていたと思われ、幕府へ野菜を上納する御用市場の役割も果たしていました。現在、南詰の大きな看板を始め、かつての各問屋の跡地となる住宅や商店の前に、当時の屋号やその由来などを書き止めた看板が多数立てられ、往時の面影を演出しています。

京成線の高架をくぐると、左手には天保元年(1830)築という蔵を再生した千住宿歴史プチテラスが、右手には地元有志により設置された「千寿絵図」が掲示されています。絵図はかなり損傷が激しいですが、よく見ると「やっちゃ場」の表記と併せて北組、中組、南組の文字が見えます。バス停以外に「中組」の名を残すものは皆無と思っていただけに、こうした発見は私のような散歩者にはささやかな喜びでもあります。

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最終更新日  2009.03.25 00:36:10
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