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バス停地名学のすすめ

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2009.06.17
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カテゴリ:中央区
(前回からのつづき)

バス停から新大橋通りの蛎殻町交差点に出ます。ここから箱崎方面に向かう通りを「とうかん堀通り」と呼びますが、ここは大正初年頃には埋め立てられたといわれる運河の跡で、近くに稲荷社があったことから「稲荷堀」の音読みでその名があるといいます。蛎殻町交差点北方の日本橋小学校は、旧称を東華小学校といいますが、これは「とうかん堀」の「とうか」から命名されたとのこと。

水運全盛の時代、隅田川、箱崎川から様々な物資を積んだ荷船がこの堀に横付けされ、小網町から蛎殻町の周辺は一大問屋街が形成されていたといわれますが、箱崎川への出入口には行徳塩の受け入れ地でもあった行徳河岸が置かれ、下総方面への物流の中心地として賑っていました。そんな歴史の下敷きがあるせいか、蛎殻町の名所といえば東京穀物商品取引所であり、蛎殻町の名は先物相場の代名詞としても使われるようです。

とうかん堀通りを歩いていて目を惹いたのは、醤油会館です。振り返ればキッコーマンのビルがあり、ヒゲタやヤマサといった醤油メーカーの事務所も近いといいます。醤油の生産といえば千葉県野田市や銚子市ですが、利根川から江戸川という水運の終着点にこの街があった歴史に目を向けながら、こうした施設や企業の存在を見ていくと、「なぜここに?」といった疑問も難なく解け、街歩きの楽しみ方にも深みが出てくるようです。

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最終更新日  2009.06.17 12:38:38
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