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バス停地名学のすすめ

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2009.11.22
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カテゴリ:中央区
(前回からのつづき)

戦後の築地付近の地図を見ると、築地4丁目交差点から南へ延びる新大橋通りに、都電の線路が築地市場へ向けて記されている様子がわかります。市場から都電の路線網を使って都内各所へ配給物資の輸送を行うための引込み線で、荷物を載せる無蓋車に簡単な運転台を付けただけの電車が使われていたといいます。実際に新大橋通りを歩いてみると、地下鉄築地市場駅入口の先に市場の正門が現れ、その南側が青果部の入口となっていますが、都電の線路が市場内へ入ったのはその手前あたりからでしょうか。すぐ先には、汐留貨物駅に通じた旧国鉄の貨物引込み線が市場内に入っていましたが、都電もそれに並行して、市場の奥へと入り込んでいました。

都電の線路は道路上であるが故に、廃止となればすぐに撤去されその痕跡はあっさりと消えてしまいますが、国鉄の貨物線の方は、廃線跡の一部が狭い道路として現在も残っているため、私のような散歩者はついつい歩いてみたくなります。

朝日新聞社の南側を西へ伸びる貨物線跡を辿っていくと、やがて首都高速を跨ぐ新尾張橋に出ますが、首都高速はかつての築地川の跡で、橋が鉄道橋を道路橋に架け替えたものであることを記した説明板が、橋に設置されています。橋を越えてさらに進むと、汐留の高層ビルの手前で海岸通りにぶつかりますが、ここには貨物線当時の踏切信号器が、往時のままの姿で残され、ひと際目を惹く存在になっています。踏切の保存というのは珍しい事例かと思いますが、貨物線廃止から既に20年以上が経ている現在も、こうした遺構のひとつが街の歴史を語り継ぐきっかけとして大切に守られている姿は、喜ばしい限りといえるでしょう。

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最終更新日  2009.11.23 00:08:18
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