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テーマ:路線バスで小旅行(249)
カテゴリ:板橋区
(前回からのつづき)
志村の地は、荒川南岸の低地と武蔵野台地の接点にあたり、起伏の多い地形が特長となっています。地名は、篠竹が生い茂った場所を意味する「しの村」が変化したものという説がありますが、定かではないようです。国道が台地上から荒川に向けて一気に下るのが志村坂で、昭和30年に開通した都電志村線の延長部(41系統)は、この坂を下って新河岸川を渡す志村橋まで通じていました。 志村坂上交差点のすぐ先にある坂上交番の手前で国道から分岐し、左手に入っていく細い通りが、旧中山道の道筋にあたります。特に旧道の案内表示はありませんが、歩道がタイル敷きになっているのが目印です。 旧道をしばらく進むと、左手へ別れる道との角に、庚申塔と道標が並んで立っている場所があり、道標の方は現在でも「大山道ねりま川こへみち」と刻まれた文字をはっきりと読み取ることができます。この場所は中山道から相模国(現神奈川県)大山、及び富士山方面へ向かう道との分岐点にあたるようで、道標は寛政4年(1792)、庚申塔は万延元年(1860)のものとされています。武蔵国岩槻(現埼玉県岩槻市)から武蔵府中を経て大山へ至る大山道の一部が、この地を通過していたものとも推測されています。 (次回へつづく) ↑↑↑ブログランキング参加中です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.04.03 22:24:35
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