789824 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

バス停地名学のすすめ

バス停地名学のすすめ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

カテゴリ

バックナンバー

2024.03
2024.02
2024.01
2023.12
2023.11
2023.10
2023.09
2023.08
2023.07
2023.06

コメント新着

路線バスで通りすがりました@ Re:第244回 【幻の橋編(10)】 日曹橋(にっそうばし) 後編(08/20) 日本曹達の工場があったと書かれているブ…
秋庭伶香@ Re:第75回 棒茅場(ぼうしば) 前編(07/11) 竹下明希 田中日奈子
荒川自然公園@ Re:第75回 棒茅場(ぼうしば) 前編(07/11) 岩田陽菜 横田亜美
旗岡八幡神社@ Re:第75回 棒茅場(ぼうしば) 前編(07/11) 大工原里美 吉沢愛
2010.04.03
XML
カテゴリ:板橋区
(前回からのつづき)

志村の地は、荒川南岸の低地と武蔵野台地の接点にあたり、起伏の多い地形が特長となっています。地名は、篠竹が生い茂った場所を意味する「しの村」が変化したものという説がありますが、定かではないようです。国道が台地上から荒川に向けて一気に下るのが志村坂で、昭和30年に開通した都電志村線の延長部(41系統)は、この坂を下って新河岸川を渡す志村橋まで通じていました。

志村坂上交差点のすぐ先にある坂上交番の手前で国道から分岐し、左手に入っていく細い通りが、旧中山道の道筋にあたります。特に旧道の案内表示はありませんが、歩道がタイル敷きになっているのが目印です。

旧道をしばらく進むと、左手へ別れる道との角に、庚申塔と道標が並んで立っている場所があり、道標の方は現在でも「大山道ねりま川こへみち」と刻まれた文字をはっきりと読み取ることができます。この場所は中山道から相模国(現神奈川県)大山、及び富士山方面へ向かう道との分岐点にあたるようで、道標は寛政4年(1792)、庚申塔は万延元年(1860)のものとされています。武蔵国岩槻(現埼玉県岩槻市)から武蔵府中を経て大山へ至る大山道の一部が、この地を通過していたものとも推測されています。

(次回へつづく)

にほんブログ村 地域生活ブログ 東京情報へ
↑↑↑ブログランキング参加中です。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.04.03 22:24:35
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.