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バス停地名学のすすめ

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北区

2007.10.09
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カテゴリ:北区
(前回からのつづき)

バスを降り、改めて地図で位置関係を確認すると、ふと疑問が生じました。というのは、放水路の呼称は岩淵水門から下流で使われました、と前回ご紹介したばかりですが、このバス停は水門より600メートルほど上流の、それも厳密には荒川ではなく、その右岸に並行する新河岸川に面して立っているということに気付いたからです。仔細に詮索すべきことではないのかもしれませんが・・・。

放水路を訪ねた以上は、やはり岩淵水門を見ておくべきでしょう。新荒川大橋へ戻り、さらに下流方向に土手沿いを歩くと、前方に鮮やかな朱色の水門が見えてきますが、これが通称「赤水門」こと、初代の岩淵水門です。完成は大正13年で、既に現役を退いて久しいですが、最近になって東京都の歴史的建造物に指定されるなど、産業遺産としての評価が高まっています。土手からは水門上を通り抜けて、小さな中ノ島へ通じる遊歩道もあり、間近から心ゆくまで水門の構造美を鑑賞することも可能です。

赤水門の奥に見える水色の水門が、現在の岩淵水門であり、こちらは通称「青水門」と呼ばれて親しまれています。昭和57年の完成で、平常時は3枚の扉を全て開け放し、船の通行も可能な状態になっていますが、増水時にはこの扉が下ろされ、東京都心を水害から守る重要な壁として機能しています。

赤水門へ渡る手前に、荒川水系に関することや放水路開削の歴史に係る資料などが展示された荒川知水資料館があるので、こちらも立ち寄っておくといいでしょう。

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最終更新日  2007.10.09 23:16:02
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2007.10.07
カテゴリ:北区
バス停データ
◆所在地:北区 ◆路線:国際興業バス[赤06]系統

みなさん、こんにちは。

今回は、足立区にある都営バス[草41]系統の放水路土手下バス停を訪ねるつもりでいましたが、出掛ける前に地図を眺めていたところ、北区にその名もズバリ「放水路」というバス停があるのを発見し、急遽行き先を変更した次第です。早速赤羽駅に向かい、国際興業バス[赤06]系統に乗り込みました。

それにしても、「放水路」と聞いてすぐに荒川をイメージする人も、現在の東京では少なくなったのではないでしょうか。少なくとも私が子供の頃までは、東京で放水路といえば荒川、すなわち荒川放水路を指していたと思います。

明治43年、東京は長雨による荒川(現隅田川)の氾濫で甚大な被害に見舞われましたが、その対策として大正2年に着手されたのが、荒川放水路の開削です。その後約17年の歳月を経た昭和5年、幅約500メートル、全長約22キロという長大な人工河川が完成しました。永井荷風が随筆『放水路』を発表したのは昭和11年ですが、旧本流との分岐点となった岩淵水門から下流にかけては、荒川放水路、または単に放水路の名が長らく使われていました。放水路が行政区分上も荒川本流とされたのは昭和40年のことで、同時に旧本流も岩淵水門から下流が全て隅田川の呼称で固まりました。従って、このときを境に放水路の名は地図上から消滅していきましたが、それから40年以上を経た現在に至っても、放水路バス停はその名を変えることなく立ち続けていたということになります。

バスは新荒川大橋南詰を左に曲ると、間もなく放水路バス停に到着しました。

(次回へつづく)

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最終更新日  2007.10.07 20:38:09
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2007.08.03
カテゴリ:北区
みなさん、こんにちは。
「1984年の路線図から」第2回は、「一里塚」です。

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バス停データ
◆所在地:北区 ◆路線:都営バス[茶51甲]系統他

ひと昔前の都営バスには、系統番号に甲乙のついたものが多く見られたように思いますが、最近あまり目にしなくなりました。ひとつの系統を運行区間として分断したときに、甲乙(ときには丙も)で区別したわけですが、[茶51]系統は、もともとは東京駅と王子駅を結んだ[東51]系統が前身で、その後分断による甲乙系統となり、何度かの区間変更を経て、地下鉄南北線開業後の平成12年に、駒込駅から北が廃止されました。1984年当時は、王子駅~御茶ノ水駅間が「甲」、駒込駅~東京駅間が「乙」系統でした。

駒込駅から王子駅にかけての本郷通りは、かつての岩槻街道の道筋です。江戸時代の日光東照宮への将軍社参の道であり、日光御成道とも呼ばれました。駒込駅から西ヶ原を過ぎ、飛鳥山の南側へ下る六石坂の手前に、一里塚バス停はありました。

この場所には現在も一里塚交差点があり、何よりも国指定文化財「西ヶ原一里塚」の大榎が道路の中央にどっしりと鎮座し、目を惹きます。中山道と岩槻街道の分岐点である本郷追分の一里塚が日本橋から一里目、この西ヶ原が二里目ということになり、道の左右の塚が旧来の位置のまま保存されているという点で、都区内では唯一の一里塚跡といわれます。すなわち、通りの中心に残された塚と東側の塚との間が、かつての岩槻街道の道幅ということになるのでしょう。

現地を訪れると、道路中央部の塚の手前に一里塚保存のいきさつを刻んだ碑があるのが見えますが、横断歩道も無く、容易には近づき難いのが悔しい限りです。

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最終更新日  2007.08.03 23:41:49
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2007.03.24
カテゴリ:北区
(前回からのつづき)

商店街から細い路地を抜けると、白山堀公園に出ます。東側に隣接する巨大な建物は、キリンビールの工場跡地に近年できた読売新聞社の工場です。公園はその名の通り、隅田川に通じた堀割の跡地にあたり、公園を入っていくとすぐ左手に、梶原堀之内村の鎮守であった白山神社があります。創建年代などは不詳のようですが、源義家が奥州平定に向かう際にここで戦勝祈願をしたといったことが伝えられているそうです。

白山神社の裏手が、福性寺です。かつては、梶原政景を葬ったといわれる梶原塚が付近にあったと伝えられ、この寺には塚にあった石造物などが移されているとのことです。境内には「地名発祥梶原塚」という標石もあるそうですが、私が訪ねた際は山門も閉じられ、目にすることはできませんでした。

福性寺脇から白山堀公園を抜けると、隅田川右岸に突きあたる少し手前に「梶原の渡船場跡」の説明板があります。対岸の宮城と梶原を結んだ渡船で、明治期後半から昭和36年まで、周辺工場への通勤客や駒込の市場へ野菜を出した荷車などを渡していたそうです。

このあたりの隅田川右岸は、読売新聞工場の建設とあわせて再整備されたものか、テラス状の心地よい空間が川下方向へ続いています。緩やかな水の流れにしばし目を落とした後、バス停へと引き返しました。






最終更新日  2007.03.28 23:48:24
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2007.03.23
カテゴリ:北区
バス停データ
◆所在地:北区  ◆路線:都営バス[草64]系統

みなさん、こんにちは。

JR王子駅から明治通りを三ノ輪・浅草方面へ向かう都営バスに乗ると、2つ目が梶原バス停です。梶原は周辺の北区堀船に古くからある地名で、目の前には都電荒川線の梶原電停もあります。

梶原の地名は、大田道灌の孫にあたる大田資正(おおたすけまさ)の子、梶原政景(かじわらまさかげ)に因むもので、『小田原記』によれば「弓矢打物達者にて、鬼にも神にも逢ふべき器量」と表現されるほどの人物だったとされています。この梶原氏の居館が、石神井川の河口に近い下水道局王子ポンプ場(堀船3丁目)にあったと伝えられることから梶原の地名が起こり、近世以降、明治22年までは梶原堀之内村と称していました。その後、行政上は王子村の大字となりますが、既に「梶原」の二文字を外した堀之内村の通称が定着していたせいか、地名は大字堀之内となり、王子区が誕生する昭和7年からは、隣接した大字船方と合併し、堀船町となりました。

都電の踏切を渡り、すぐ先の交差点を左へ入ると、下町情緒たっぷりの梶原商店街です。「ショッピングロードかじわら」と掲げられたアーチをくぐると、すぐ左手に「都電もなか」でお馴染みの和菓子店「明美」があります。雑誌等で紹介されることも多く、都電沿線のお土産物としてはすっかり定番となっていますが、私も車庫型のパッケージが面白い10輌入り(10個ではなく、あくまでも10輌)を、少し並んで購入しました。

商店街を少し歩くと、右手に愛宕地蔵の小さな祠があります。毎月3のつく日が縁日のようで、近所の子供たちが集まって賑う様子は、戦前から変ることなく続けられる商店街の風物詩として、現在も受け継がれているようです。

(次回へつづく)






最終更新日  2007.03.26 23:22:29
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