第326回 境川(さかいがわ) 後編
(前回からのつづき)境川交差点から清洲橋通りを東へ少し歩くと、通りの南側に現在は回転寿司チェーンの店舗が建つ敷地が、かつての境川操車場の跡地です。この地は、もとは都電の車庫の跡地であり、古い都電の資料などを見ると、まるで飛行機の格納庫のような、路面電車の車庫にしては恐ろしく巨大な建物の中に小さな電車が無数にひしめいていた様子を知ることができます。境川は錦糸堀と日本橋を結んだ38系統(前身は第293回「水神森」の項でご紹介した城東電気軌道の路線)と、須田町から葛西橋を結んだ29系統との分岐点でした。境川とかつての電車との関係でいうと、私の場合は、戦前の荒川周辺に幾度となく足を運んだ永井荷風の随筆をまず思い浮かべます。例えば昭和11年の『放水路』では、葛西橋へ足を伸ばした際の帰路として、こんな記述があります。「その夜は空しく帰路を求めて、城東電車の境川停留場に辿りついた」今は何の変哲もない境川交差点周辺の街並みですが、かつては荷風がここから電車に乗っていたかと思えば、その街並みはどこか感慨に包まれたノズタルジックな景観として私の目に映るようになってきます。そんな目で交差点をよく見ると、その北西角に、江戸期から現在までの地図を並べた「境川周辺の移り変り」と題する掲示がひっそりと置かれていることに気が付きます。交通量の激しさだけが目立つ無機質な交差点も、この地の歩んできた歴史を重ね合わせて見てみることで、その景観にも少しずつ深みと味わいが出てくるような気がするのは、私だけでしょうか。↑↑↑ブログランキング参加中です