ゲニウス・ロキ

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May 25, 2009
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カテゴリ:政治




この春”流行”の新型インフルエンザのことなんですが、世界保健機関(WHO)の見解によると、感染者のマスクの着用は「必要」非感染者は「必要なし」だそうです。

どうも日本人は「マスク」というものに対して、誤った”信仰”を持っているのではあるまいか?そのへんのところを、今日は検証してみたい感じがします。

ところで歴史上、日本で最初にマスクをした人は誰だか皆さんご存知でしょうか?言うまでもありません。伊達直人こと”タイガーマスク”その人です。

おいっ、何だ!?そりゃ梶尾一騎の漫画の主人公じゃねーか!このインチキ野郎!
(`э´*)/


この種の罵声とともに、飲みさしのコロナの瓶が飛んできそうですが、話は最後まで聞くものです。ここは場末のキャバレーではありません。
宜しいでしょうか?

ところで「タイガーマスク」と言えば、今の若い人は知らない方が多いかもしれませんが、「明日のジョー」「巨人の星」に並ぶ、梶尾一騎さんの代表作の一つに数え挙げられます。

しかしこの漫画。漫画と侮るなかれ、その内容は大変に示唆に富んだ、複雑なテーマが含まれており、主人公である伊達直人その人は、紛れもなく子供たち(孤児たち)のヒーローでありながら、自らも大人社会の矛盾の中に身を置き、葛藤の中で戦うという非常にリアルな世界設定の中で話しが進んでいきます。

そしてこの漫画には、日本人の持つ「マスク信仰」の原像が、ありありと描き出されており、その「タイガーマスク」の”ラストシーン”には、日本の社会が持っているある種の”悲劇性”を余すところなく表現するものとして、特筆に値するものとして記憶されるわけです。

かなり話が理屈っぽくなってしまいましたが、あからさまなネタバレを含むといけないので、このへんにしておきましょう。

ところでぼくはこの論考で、日本人がなぜかくもだらしなく”マスク・フェチ”になってしまったのか?いや。もっと論旨を明確にするとですね。

今回の新型インフルエンザ流行と、マスク騒動の関係は、非科学的な行動に基くものであり。その下敷きには、日本人の原像にある「マスク信仰」を図らずも浮き彫りにしたというこの事実によって、暴き出されてくるわけです。

そうして今日もぼくらは”いつものように”マスクを離せないでいる日本人の悲しい素面を見つめながら、ノッチな一日を今日も過ごしてきた、というわけなのです。
(´ー`*)y-゜






Last updated  May 26, 2009 12:29:57 AM


May 23, 2009
カテゴリ:川柳
黛まどかさんの「おしゃれ吟行会」というのが、読売新聞の主催で毎年あるんですね。今年の5月は、京都の嵐山がその舞台だったようです。
後で新聞を見て、「しまった!←о(><;)о」と思ったんですが、こと遅かりしです。今年は応募の記事を完全にスルーしてました。

ぼくは第3回の、兵庫県の西宮で催された会に、実は参加していて、むろん。一句詠みましてね。入賞は間違いない!と固く信じていたわけですが、かすりもしなかったようです。
(><;)

しかしナンです。黛まどかさんと言えば、ぼくのように俳句や短歌を趣味とするひとじゃなくても、割りと知られた人ですよね。才色兼備と申しましょうか。天は(その自然界の法則に反して)二物を与えたと申しましょうか。

要はですね。実際のところは、あわよくば、ぼくもサインとかもらえるんじゃないか!とかっ。非常に小汚い下心と、ミーハー趣味で参加したわけですが。

驚いたのは参加者の年齢層が高め、ということもあるんでしょうが、すっごい勉強家の方が多かったですね。

あっちこっちで「薀蓄合戦」みたいな様相を呈していて、下手に会話に絡むと、「いやね、それはそうじゃないんだよ」などという、俳優の中尾彬さんみたいな物知り博士がドンっと出てきて、パチンっとたしなめられるというケースもあります。(><)

桑原武夫さんという学者さんがかつて「第二芸術論」をぶち、俳句を断罪しておられましたが、ぼくはむしろ日本人の知的好奇心を大衆レベルで支える「芸術」の一つとして、むしろ積極的に評価すべきもので、例えばぼくらは旅先でカメラをパシャリとやる代わりに、胸の中に宿った景色を、パチンと一句に刻む。

この「勇気」が、ぼくらの旅情を、更にかき立てるものへと変えていくではないでしょうか。


ダリの絵に 隠された秘密を語る 君の唇をしばし奪う







Last updated  May 23, 2009 06:37:57 PM
May 17, 2009
カテゴリ:政治
民主党の代表が鳩山さんに決まりましたね。まぁー、色んなことを言われておりますが、仮初めにも日本の”2大政党”の(与党・自民党に代わりうる)もう一方の政党です。
やってもらわなければ困りますね。

ぼくは割りに鳩山さんって言うのは、この時代の水に合った政治家として、その業績が後世に語り継がれるくらい、立派な仕事をされるんじゃないかと踏んでるんですが、世間の評価はあまり高くないようですね。不思議な感じがします。

ところで最近、ぼくは編み物に凝っておりまして、今、マフラーに挑戦しているところなんですが、こうなんていうんですかね。

編の目の中へ、片っぽの糸をキュッ、キュッと送り込んでいく作業は、なんだかスパイ小説か、はたまた、映画の中のカーチェイスだかを見ているようなスリルがあって、ひと編みごとにプチ・カタルシスが訪れるんですね。

それでもってその体内浄化が終わると、邪まなモノが消え去りますよね。
そしたらば次は無の境地が訪れるという順番になっていて、ぼくの感じだと、例えばお経を唱えるだとか、座禅を組むなどとかよりもずっとなんですかね。
仏教的な行為のような気がしてくるんですよ。編み物がですよ。

そうするとですね。今度は情操教育の一環として、例えば子供に編み物を教えるとか。そういうことも案外良いんじゃないかなどという発想が出てきたりするわけです。

最近、家庭菜園が流行ったりしていますけれど、”外注化された”衣・食・住を、もういっぺん自分の手に取り戻し、生活の基本に立ち返ろう!という。
そこにはなんとなく、こういう雰囲気が時代の空気に流れているような気がするんですね。

”ギフト経済”という概念がありますね。昨今叫ばれている共同体の力を取り戻す鍵が、ここにはあるような気がしますね。

つまり。手作りのトマトと、手作りのカバンを、物々交換することで生活が成り立つシステムです。そこでは時間と役目の交換という原則だけが働き。

貨幣。つまり、これまでお金というものが媒介してきた経済活動一般。富の蓄積や、権力の形成、価値の画一化に寄与してきた(アダム・スミス流の)市場というものも必要なくなります。これは近い将来可能だと思いますね。

こういう社会が実現すればむやみな競争はなくなりますし、競争がなくなれば格差がなくなります。人々は自分の役目を果たすことに生き甲斐を覚え、より多様性に満ちた、豊かな社会の実現に夢と希望を持つことでしょう。

鳩山さんがボンヤリとビジョンされている「友愛」というキャッチの未来図は、こういったところに端緒を持つ、今、非常に真っ当に響く思想の一つじゃないでしょうか。

そこに人々の多くの想いや行為が集れば。それはもう、手の届く向こう側にある未来なんですよ。






Last updated  May 17, 2009 08:17:54 PM
May 12, 2009
カテゴリ:世相

大阪の新御堂で、赤信号の歩道前で立ち止まっていたときのことです。見知らぬオッちゃんがこう声を掛けてきたわけです。

「赤信号やから止まらんとアカンな!」

まぁね。車がくる気配は微塵もなかったわけですから、この街の大抵の人は渡ります。大阪の”特別ルール”では、赤信号とは。

「気を付けながら進め。但し!命に関わりのある場合に限ってのみ。立ち止まって良し!」。これです。非常にポジティブな法律の解釈です。(><;)

しかしぼくも折角オッちゃんが話し掛けてくれてれわけですから、無視するわけにもいきません。

「おー!止まらんとアキマセンな!せやないと車が通れへん!」

この後、気脈を通わせたぼくらは、赤信号の間、しばし世間話に興じたわけですが、他の街ではありえなことが、しばしば起こります。

また街でぼくはタバコを吸っていたわけです(喫煙可の場所で)。右手に缶コーヒーを、左手にマルボロを挟み込み、紫煙をくゆらせると同時に、午後からの仕事の段取りをしばしシュミレーションしていたわけです。

そこで、何気に空になった缶コーヒーでタバコをもみ消しつつ、吸い殻を中にねじ込み。そのまま空き缶をダストボックスに捨てようとした瞬間のことです。

向こうの方からパンプスのOL風の淑女が、ガッガッガッと近づいてきて、チョー至近距離で一言。

「お兄ーさん!アホちゃうか!(`Э´*)/」などと!怒鳴られてしまったわけです。

要は、吸い殻と空き缶はちゃんと区別して捨てなさい!と言うことを、50メートルほど先から、わざわざ出張して、言いにきてくれはったわけですが。

お姉さまの言うことは正しい。ぼくが間違ってる。しかしこのシチュエーションはチャップリンの映画でもアリエナイ!о(><;)о

というわけで、今日の一言。


マッチする つかの間の休息に 業深し 怒鳴り込まれる程の 罪はありや






Last updated  May 13, 2009 01:25:21 AM
May 11, 2009
カテゴリ:川柳




この5、6年でガツンっと、路上喫煙を禁止している自治体が増えて、うっかりできないですね。先日もプラっと入った街で、タバコを吸っていると、通行人の冷たい視線をパリッと浴びました。

「なんだ!」と思ってまわり見ると。”路上喫煙は禁止されています”などと言った表示が目に飛び込んでくるわけです。
もう、あわてて揉み消しましたが、時、遅かりしですね。

ぼくはこの罪を、まるでキリストの十字架のように一生背負っていかなければならないのです。(><;)

だけど、これって愛煙家にとってはアレですよね。「路上喫煙禁止区域マップ」なんてものでも持ち歩かない限り、始めて訪れる出張先や旅行先で、タバコの先っぽに火を点ける時、ためらいをおぼえますよね。

「ここって割りと、オッケーなのかよ?」みたいな。

これはアレですね。ちょうど片思いの女の子に、告白するのを一瞬ためらう、野郎の心境に似ています。

「コクっちゃても、割りとオッケーなのかよ?」みたいな。

ただここに一つ大きな違いがあるとするならば、タバコの一服はしばしばウマいものですが、片恋のトキメキは、常に苦しいものだということですよ。(´ー`;)y-゜


かき鳴らす ギターのように 恋を抱く







Last updated  May 11, 2009 11:04:49 PM
May 9, 2009
カテゴリ:書評

リディア・フレム(著)友重山桃(訳)「ふたりが遺したラブレター」出版社はヴィレッジブックスです。

この本の著者リディア・フレムさんは、フロイト研究で知られる精神分析学者だそうですが、その内容は、母の死後、両親の「遺品」を整理しながら、親の死を受容していく過程を縦糸として紡がれていくノンフィクションです。

とりわけモチィーフとしてクローズアップされているのがタイトルにもある「ラブレター」です。これは著者であるフレムさんがこの世に生を受ける以前、つまり両親がまだ結婚する前の恋愛期に交わされた往復書簡を、著者はそれをまるでパンドラの箱でも開けるような調子で、描き出していくわけです。

どうなんでしょう?ぼくなんかは両親の馴れ初めから、どんな恋愛ドラマがあって、結婚するに至ったのか。もう、それこそ嫌という程に口伝えで聴かされているのですが、一般的にはどうなんでしょうか。

この著者も本の中で語っているいるように、手紙というのはしばしば美化されやすいですから、もっと恋愛の奥深い部分。逡巡やトラブルや行き違い。言葉ではこう言っていたけれど、本心はこうだったとか。実は別の候補も何人かいたんだけれど-笑。とか。

この人に決めた最後の決め手はここだったとか、いや違うよあれは誤解だとか。生きているうちに直接訊いておかないと、なかなか出てこない本音や事実というものもある筈です。一筋縄ではピリッといきませんからね。大概ややこしいんですよ。ふたりとも、若い頃めっちゃモテたとか言い張りだすとね。(´ー`;)y-゜

なので、普段から嫌がらせのように、ご両親が存命の内にですよ。そのへんのストライクゾーンにビシバシと直球と変化球を随所に織り交ぜて投げ入れておくべきですよ。

だけどぼくは思ったんですけれど、この本を読んで、この種のラブレターを子供のために残しておくのも悪くはないな。などと思ったりしたものです。

フレムさんは言っています。

「手紙の束はタイムマシーンだ」


なるほど。手紙の束があれば、当分の間ドラえもんも必要ないわけです。(><:)

また、こういう含蓄のある言葉も随所に出てきます。曰く。

「人生は、まっさらな紙に書かれるわけではない」

つまり子供は親の考え方や生い立ち(遺伝子レベルだけの話ではなく)や、さらには先祖の因業からも逃れて存在することはできないのだと、著者は述べるわけです。

大体ぼくらの感覚からすると「オギャー!」と生まれた瞬間、何も色の着いていない、純白の染み一つ無い、洗い立てのぱんちーのような、新品の状態で生まれてくるもんだと考えがちですが、フレムさんから言わせるとそうじゃないらしいです。

学者さんは考えることが違いますね。

しかしどうなんでしょう?考えてみれば確かにそれも一理あるような気がしてきます。だとしたら人の親になる責任というのは、ぼくらが普段考えるレベルよりも遥かに深い、もっと神秘的な真実をパチンっと秘めているような気もしてきます。

これは結婚というものが、ある種の人たちにとって、インスタントラーメンにお湯を注いで3分待つこととほぼ同義になってしまった時代に於ける、啓蒙の書としても読めるわけです。






Last updated  May 10, 2009 12:09:39 AM
カテゴリ:NOVEL

彼の名は、ポリスコララママンダロルッコジナミシシッピーポンチョポンチョ・・・・。
・・・とにかく。この上もなく長ったらしい名前なのだ。

なので、頭の3文字を取って、ポリスと呼ぶことにする。

ポリスの職業は”密告屋”だ。
彼に密告されたくなければ、とにかく、規則正しい模範的な生活をおくることだ。

もし君がどこかの街角で、タバコの吸い殻をポイ捨てしたとする。
するとポリスがどこからともなく、ロールスロイスでキュッと乗りつけ、パシン!っとドアを叩きつけると、黄ばんだ歯をニヤリと見せて君にこう告げるだろう。

「見たぜ」

一度ポリスに睨まれたら君の一生は台無しになってしまう。
何故なら”コクられて”しまうからだ。
誰に?
あまりナイーブな質問をしてはいけない。

しかるべき公的機関の当局のお偉いさんと、ポリスがツーツーだということを、知らぬものはいるまい。
新聞の社会面の一番目立つところに、3段抜きで彼の記事が毎日載っていることくらい、マトモな社会人なら常識だ。

例えば今日の彼の言葉を拾ってみよう。

記 者「ポリスさん。今日は何をコクられましたか?」
ポリス「今日は一日、植物の世話をしておった」
記 者「またご冗談を、オフレコです、喋って下さいよ。ポリスさん!」

などと食い下がる記者にポリスはこう言った。

ポリス「今日は世界中の誰もが正しく生きた。この上もなく平和な一日だったよ」
記 者「マジですか!ポリスさん!」

気色ばんだ記者が大声を張り上げると、ポリスは上着の内ポケットからケータイ電話を素早く取り出しこう言った。

「報道の自由をはき違えた新聞記者が今わたしの目の前に一人いる。すぐに収監してくれ給え」






Last updated  May 10, 2009 12:33:57 AM
May 8, 2009
カテゴリ:世相



今晩は皆さん、如何お過ごしでしょうか?
いやね、世の中イロイロとございますね。

パチンっと話題を拾っていくと。やれ豚インフルエンザだ、マクロ経済が以前のように機能しなくなっているだとか、この5月に導入される裁判員制度であるとか、年金制度の今後はどーのだとか、介護の問題だとか、少子化だとか、地方と中央の行政の在り方云々であるとか、どうも今一つパッチリとしない。先行き不透明な話ばかりが先行し、夢がありません。
(´ー`*)y-゜

夢(希望)がないとどういう反応が起こるというと、人たちの心が内向きになりますね。だけども、しかしですよ。ぼくの周囲の人たちの反応を見ていると。

「人と人との絆が大事だよな」

こういう思いが、図らずも世情に醸成されいて、人が以前に比べずっと、優しくなっているような気がしますね。そういうことを、なんとなくであれヒシヒシと肌で感じるわけですよ。

明らかに現状の制度にいろいろな問題が出てきているのに、その問題を解決する代替案を提案できる知恵のある人物がどこを見渡していない上、強力なリーダーシップを発揮できる、勇気と行動力を持った人格者もこの日本という国から絶滅してしまったかのようにすら見えます。

ぼくはこのブログで以前、「イヌの力」という本を紹介させて頂いたのですが。その一節に、こういうくだりがあります。かなり端折って”引用”することをお許し下さい。

ある民族の間では、イヌを狩猟や愛玩や番犬として(役に立つ存在)ではなく、人間に「ぬくもり」を与える動物として、人間の生活圏に(放し飼いにして)置くことを。”なんとなく許して”いるそんな民族文化も地球上には存在するのかもしれない。という仮説です。

ぼくがここで言いたいことは、合理性や利便性の追求が、決して未来永劫に人類の幸せに寄与する思想ではなかったことが露呈したことが、この21世紀という時代に現れた「現象」の意味であるのだ。ということです。

いいでしょうか?非常に真面目な話になっておりますが、ガマンして下さい。(><+)

ところで、近々に長期出張が入る話がチラリと出てきまして(まだ本決まりではありませんが)、で、ピチっとネットをいじくる環境にいない場合もございますので、その際はご容赦下さい。

それから今、「まぐまぐプレミアム」で配信している「ホテル レイモンド」の発行は、なんとか穴を開けないように努力しますが、ここ6、7年。天才、鬼才の名を欲しいままにしてきたぼくの腕を信じてもらって結構です。この話はもっと面白い展開が用意されている筈ですから。
(´ー`;)y-゜






Last updated  May 9, 2009 12:19:44 AM
May 7, 2009
カテゴリ:世界平和



5月5日は京都・烏丸御池にある新風館に行ってきました。この日は「地球愛祭」というイベントがありまして、色々と「楽しませて」もらったんですが、ぼくも人類愛に目覚めるにはちょうど良い機会だと思って、色んなことを考えました。

例えば、貧困や戦争の問題。文明と環境の調和といった、ぼくらがいま直面する21世紀の課題の多くは、前世紀。いや、近代化がもたらした大きな負の遺産だと言ってよいでしょう。そして、どうしたらこれらの課題を解決することができるのか?

その第一歩は、これらの課題をぼくらの問題として、みんなで共有することから始めなければなりません。その意味で、こうしたイベントは、問題を投げかけるという意味於いて、素晴らしい試みであり、継続させていく必要があります。

そこでぼくは生業の傍ら、こういった社会の問題。世界の問題といった事柄にも目を向け、具体的な行動を起こしたいと思っています。その詳細はまたこのブログなどで報告したいと思いますが。

今、ぼくはこうして想いに耽り、考えていると。つくづく、世界は可能性に満ちているな。もっと皆がそれに気付くべきじゃないか。周りをふっと見渡して、そんなことを思ったりするわけです。

ぼくがここでこういったことを言うと、必ずこんな反論に出くわします。戦争?世界の貧困?そんなどこにあるかわからない遠い国の話より、もっと身近な事柄があるだろ。第一このご時世、他人の心配なんかしてる暇なんてないよ。

ぼくもかつてはそういった類の人間でした。でも今は違います。かつて彼のファンが不用意に放った4発の銃弾によって倒れた、米国のシンガー、ジョン・レノンがこう唄ったように。

「想像してごらん」「国境線などないことを」「いつの日にか君も仲間に加わってくれよ」そうすれば、「この世界は一つになって動くだろう」






Last updated  May 7, 2009 11:25:48 PM
May 3, 2009
カテゴリ:社会



大体あれですね。女子の持ってる財布と、野郎が持ってる財布は、どうも別々の進化の道を辿っているようですね。

今日、とある女の子のプレゼントを買うために、百貨店を訪れていたわけです。で、色々と物色していたら店員さんがスッとぼくのパーソナルスペースに入り込んで、「プレゼントをお探しですか?」こうくるわけです。

当たり前だろ!女モンの財布売り場で、自分用の財布探してる男がいたら、ゲイかホモかのいずれかだろ!ボケがっ!

そこでぼくは大いなる疑問を抱きました。
何ゆえに財布を女子用と男子用に分ける必要性があるのか?トイレでもないのに・・・。

しかし最もオソロシイのは、財布売り場に於けるオネーちゃんのセールストークです。
「どのようなものをお探しですか?」こうくるわけですよ!
お前な、どのようなものも、このようなものもあるか!ボケーーっ!о(><;)о

更に彼女はそのマニュアルトークをぼくの心の中の冷たく固まった氷山にダイナマイトをぶち込むようにこう畳み掛けてくるわけです。

「可愛いらしいものがお好みの女性でしたらそちらのアナスイとか、シックな感じだとポール・スミスもございます」などと、ブランドの説明をし始めるわけです。
つまり彼女の頭の中を解剖すると、「ブランド・イメージ=女の子のタイプ」こういう図式でことが進められているわけですよ。

まァいいでしょう。それも一つの考え方ですよ。ブランドも大いに結構だ!

しかしですね。皆さん。女子と男子の財布の形態や機能性が、別々の”進化”の道を辿った訳には、何かとてつもなく深い理由が、刻まれている様な気がしてきやしませんか。






Last updated  May 3, 2009 10:31:01 PM

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