”2009年”宇宙の旅
「2001年宇宙の旅」これは有名なアーサー・C・クラークさんの本のタイトルです。この本の「まえがき」にある書き出しがこうです。「今この世にいる人間ひとりひとりの背後には、三十人の幽霊が立っている。それが生者に対する死者の割合である。時のあけぼの以来、およそ一千億の人間が、地球上に足跡を印した。」そして彼はその「まえがき」をこう締めくくっています。「真実は、それが常にそうであるように、はるかに異様なものにちがいない。」 早川書房 伊藤典夫(訳)より彼はここで広大な宇宙空間の利用についての、夢を語っているような気がします。例えば一人に付き一個ずつ惑星を所有できるとかね。もっとわかりやすく譬えるなら一人に付き一個ずつ「地球」を丸ごと所有できるようになる。そうすると、人間はどうなるんでしょうか?ぼくには大体想像が付きます。一つは近所付き合いが楽になる。例えば趣味がオペラの方。そのソプラノを思う存分に張り上げることができます。「おい!あそこのオバハンうっせーな!」などと陰口を叩かれる心配がなくなります。二つ目に戦争がなくなります。パレスチナ問題が、昨年の暮れ頃からまた大きな動きがありましたが、不動産なんていう、大変ちっぽけな事への拘りがなくなること、請け合いです。大体ミサイルがないと今は戦争にならない。ところが、隣の惑星まで届くミサイルというのは、今のところ開発されておりません。たとえ届いたとしても、着弾した際に、相手にきついダメージを与えることができるほどの、根性のあるミサイルなど存在しないわけです。戦争にならないわけです。(´-`;)yー゜三つ目に、国家というものがなくなります。つまり一部のエリートが一般大衆から税金を徴収し、あらゆる権力を好き放題に行使するという、封建的な制度がなくなりますね。一体、何を根拠にそんなことが言えるのか?なんとなくそう思うだけです。こうして未来に起こるであろう人類と宇宙の幸福な出会いについて空想してみると、日々の暮らしが、いかにちゃっちーかに、思い至りますね。しかしそれが現実です。今、地球の周りがゴミだらけだそうです。例えば宇宙飛行士が落とした工具だとか。工具といってもバカにはできなですよ。人の頭に当たったら大怪我ですからね。そう考えると、クラーク氏が夢想したような広大な宇宙空間の、夢のような利用価値というのはまだ生まれていない。「宇宙ゴミ」も地球のゴミ問題とさして変らない、いやそれ以上にやっかいな問題を孕んで文明の前に立ちはだかっているというわけです。宇宙にはリサイクル工場も埋立地もないわけですから。