ゲニウス・ロキ

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アート

Sep 19, 2009
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カテゴリ:アート





先ほどまで、某・不動産会社の営業の方と話していたのですけれど、この「シルバーウィーク」と呼ばれる連休も、休みはないそうです。これが実のある忙しさなのか?といえば。噛むか噛まないか分からない歯車を、取り合えず回し続けなきゃ仕事はこないのだ、という。この”切ない事情”は察するに余りあるところです。「棚ボタ」はないんです。

ところで。

先日、山田園子さんが作られた短編アニメーション「bridge」のDVDを購入しました。

大変面白かったので、紹介しておきます。


2007年製作 監督:山田園子 音楽:菅井宏美 「bridre」

ねこが主人公の物語になってるんですが、そのパッケージから紹介文を引用しておきましょう。


「ねこは向こう側へ行きたくて橋を作った。
 自分の色の砂が湧いてくるバケツとカナヅチを持って
 ただひたすら、渡りきれると信じて・・

 叶わなかったいくつもの想いを抱えて、
 それでも僕らは橋<bridge>を作り続ける。」


「bridge」を作り続ける作業というのは、くだんの不動産会社の営業マンの仕事ぶりもそうですが、これは誰しもが日々やっていることだと思うんです。

この山田さんの作品は、この普遍的なテーマを、叙情性豊かに、しかしどこかコミカルなタッチの絵の乗せて描かれています。

ぼくは山田さんとは、全く面識はないんですが、彼女のブログで少しやり取りさせてもらっていますので、ご覧頂きたい。
とても面白い作家さんだというのが、よくわかると思います。



「ヤマダの製作日記」
http://yaplog.pudding-cocco/






Last updated  Sep 19, 2009 06:55:42 PM


Mar 30, 2009
カテゴリ:アート
先週、宮本優里佳さんの個展へ行ってきました。少々お話させて頂いた限りでは、まだ駆け出しの、アーティストの卵。年齢的にもまだ二十歳そこそこの女の子です。

で、小汚いオッサンが、個展の感想などをしたためようとしているわけですが、そこに無理っぽい感じはないのかよ?テメぇ、アンっ、コラボケ!などとか!о(><)о

そうスゴまれても、ぼくには、どっか変なヨソの国の、戦争の話ぐらいにしか聞こえないことを、まず、予め付け加えておきたい感じがしますね。(´ー`)v

宮本さんの手法は、シルクスクリーンを使った絵画。ここに特徴があったわけですが、話を聴くと、手法に対するこだわりは「あんまり」ない。割りと何でも試してみたい。ということを仰られていました。

とりわけ彼女がその創作のモティーフ、その主題としてこだわっている(本人談によると)のは「手」だということで、そしてギャラリーに展示されている作品群も、その種のもので占められていました。

しかしたいへん失礼なことにぼくは、作家である宮本さんを目の前にして、散々ダメだしをしていたような気がするんですが。

嫌な顔一つせず聴いてくださるものですから、自分が「ダメだし」していることさえ気付かないありさまで、日々の「オッサン化」に、深刻な拍車がかかっていることに、改めて気付かされた次第です。
(><;)

で、彼女の作品に出てくる「手」です。

ぼくはこれは「指の絵じゃない?」みたいなことを言ったんですが、人間の身体のどこか一部にフレームインし、それに何か語らせるとしたら、「手」というパーツは本来、饒舌なモティーフではあるはずです。

女性などはよく、男性の手や指の形や表情に現れる、セクシャリティーに言及することがありますよね。
「この手はよく働きそうだ」とか-笑。「指の形がセクシーだわ」などとか!о(><)о

ところが!
「2次元」の”キャンバス”上に、それを表現しようとするとき。

例えばその手が持つ、表情や質感、人間にとっての手の役割や、機能性に着目し、尚且つそこから派生する感覚やトピックスを、現代アートの地平に立たせ。

そしてそこから生まれる思想やメッセージに、何かしらの可能性を見出そうとする行為は、実は至難の技なのではあるまいか?
などと思ったわけです。

彼女の作品に表れる主題は、手を通した(ツール化した)人間同士の関わりと、その未来を巡る形であって、例えばケータイでメールを打ち込む作業なんていうのは典型で、オッサンと女子高生では打ち込む速度も正確さも、指の使い方もまるで違うわけです。

またホワイトカラーとブルーカラーといった職業の違いにも、手の表情に、大きな違いが見られます。つまり、よく言われることですが、手には人生が現れるのです。

つまりぼくが言いたいのは、「手」を巡る主題を表現するならば、平面より立体。つまり彫刻や焼き物といった、よりテクスチャーが出る「表現媒体」の方が、はるかに向いているだろう、ということなんですが、ぼくはここで「サブ・タイトル」に、<アートの条件>などというサムいネーメングをつけた理由の一つは、他でもありません。

アートというのは常識の外側にあって、ぼくらのような凡人には、思いもよらない場所から突然、降りそそいでくるものであり、それは宇宙空間に漂う彗星のように、何年かに一度、ぼくらの頭上に巡り落ちるものです。

よって、ぼくは宮本優里佳さんの、今後のご活躍を、切に祈るものですが、彼女の作品展が開かれた折には、皆さん、どうぞ足を運んでみてください。

注記 同時代ギャラリー

   宮本優里佳 個展より








Last updated  Mar 30, 2009 08:14:36 PM
Mar 23, 2009
カテゴリ:アート
先週、「同時代ギャラリー」というところに行ってきたのですが、ここは若手のアーティストに表現の場所を提供するスペースとして、開放されているところです。

ぼくが初めてここを訪れたのは、5、6年くらい前になります。ここで知り合った作家さんとは幾人か、今も交流を続けています。まぁ、こう言ってしまうと物好きなんでしょうね。

ぼく自身、取り立ててアートの勉強をしていたわけではありませんし、できれば「わかる人にはわかる」的なスノップは避けた気持ちが強い。

なんだ現代アートなんて一部のマニアかオタクの引き篭もり趣味に過ぎないのではあるまいか?こういう疑問に対してぼくは抗弁する理屈も趣味も持ち合わせていません。

では何故そういった場所に足を運ぶのか?

初めてここを訪れたとき、ある劇団の芝居を観た事がそのきっかけでしょうか。当時ぼくは20代の半ば過ぎ、会社員としてのキャリアを積むことにも少し余裕が生まれ、さし金をそういった「余興」につぎ込むのも悪くない経験だ。それくらいの気持ちだったのではないでしょうか。

そしてこの観劇体験はぼくにとってはある種のインパクトをもたらしました。つまり、ぼくが今まで考えてもみた事のない世界で生きていこうとしている若者たち姿です。

なにしろぼくは「中流階級」のごく普通の家庭で育ったわけですから、そこで行われていることの意味を掴むのに、ある種の誘惑と刺激を感じたわけです。

しかし考えてみれば50年前、フランスで起こったヌーベルヴァーグのムーヴメントは、大衆化したカメラという道具をまるでペンシルのように使い。
若者たちはスタジオの中ではなく、街中でフィルムを回すことにより。これまでにない”自分たちの世界”を映画という手段によって、表現しようとしたことに端を発するものではなかったのか。

そう考えると今の日本に於いても、そのアートの中に、小さな小さな小船を浮かべるだけの、ささやか”ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)”があっても、さしておかしく無いはずだと、その頃のぼくは思ったわけです。


註記 「同時代ギャラリー」京都市中京区三条通り御幸町角
    1928ビル









Last updated  Mar 23, 2009 06:27:21 PM

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