ゲニウス・ロキ

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哲学

Sep 30, 2009
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カテゴリ:哲学



多くの青少年が結婚をためらう多くの理由の一つは、

この先も一生。

一人の女を愛さなければならないという、
この非情な、
ロシアンルーレットにも似た誓いと掟を原因とするものなのです。

考えてもみて欲しい。
(´ー`;)y-゛

いくら今現在、菜穂ちん(※現・婚約者)が好きだ。
愛してる!などと口走ったところで。

2ヶ月後には、早苗ちゃんとも仲良くしたいの!(><*)/

みたいなキモチが、ムックリと湧いてくるのも至極トーゼンの
成行きです。(><;)

そして4ヶ月後には、むろん。

依子ちゃんとも仲良くしたいーいっ。о(><+)о
さらにさらに・・、6ヶ月後には・・・。などと!

我々のライオンハートは、このエンドレスラブを、
求めてやまないのである。

愛はまさにサバンナ!

狩るもとの、狩られるものとの攻防を巡る、
捕食者と被捕食者のカンケイにくさびを打つ、
食物連鎖そのものなのです!
Ф(__;)

↑お前は、園児か?

いや、むしろ今ぼくらはこう考えるべきなのではあるまいか?

つまり。

結婚後に於ける自由恋愛についてに、責任あるオトナのポリシーと思想に
基づき、率直な態度で意見を交し合うべきであると。

かつて「男と女の間には暗くて深い河がある」と唄ったのは野坂昭如氏です。

仮にこの河が、揚子江だとしたならば、泳いで渡ることは非常に困難です。
男と女の愛には、命を賭ける行為にも似た、決意が必要だと彼は言いたかった
のでしょうか?

だとすれば、それは。

一生に一度の事であるというのも、頷けないことでもありません。

だとすればぼくらは!

家庭という、命懸けの行為のために、愛人を5人持つとうことも、偶には許される
べきではないでしょうか!

「男と愛人の間にはショボくて浅い沼がある」(*^^*)/






Last updated  Sep 30, 2009 11:11:34 PM


Aug 21, 2009
カテゴリ:哲学


今日は社長に同行して大学へ行ってきました。ある研究の世界的な権威(教授)がおられまして、京都に未来型のコンセプトを持った工場をつくる構想について話をしていました。

それから来週の頭は出張で、おそらく日曜日も少し仕事をしているかもしれません。ここんところの近況は、まぁ、そんなところ(覚書き)です。

ところでぼくは色んなことに首を突っ込むが好きで、あちこち出掛けていっては「八百万批評家」のようなことをしておりまして、取り分け無名のアーティストを「発掘」するのは一つの楽しみですね。

先日ギャラリーを訪ねた際、面白い絵を見つけまして学芸員の方に、彼の受賞歴その他を訊ねたところ、全くの無名のひとだそうです。

ぼくはその絵の素晴らしさを、その場で切々説き伏せたもんです。

ぼくは自分のことについてはあんまりよく判らないんですがね-笑。

伸びる企業、伸びる人間。これは今まで殆ど外したことはないんです。
それはもう、完全に理詰めで説明できますね。

なんとなく、直感で・・。というものではないのです。

だから、人の才能というものが(理屈として)よくわかるんです。だからそれをどうやって伸ばしてやればいいのかってのも、よく判るわけです。

        ∞

今日、神奈川に住む姪っ子から絵が届きました。そういえば6月に義妹が友人の結婚式に出席する為、うちに泊まったとき、ぼくは姪っ子にイラストをプレゼントしたんですが。

(ぼくは自分でもたまに絵を描いたりもします)。

8月で3歳になったヒヨちゃん(←姪っ子の愛称)。

お絵描きの才能は、全く無いようです!(オヤジに似たのかっ!)
о(><;)о






Last updated  Aug 23, 2009 04:35:56 PM
Aug 17, 2009
カテゴリ:哲学




十数年前、新宿に住んでいたぼくはまだ学生でした。


今の学生さんや、その年頃の人たちを見ていると、ぼくは彼らとはまた随分と違った「青春時代」を過ごして来たような気がしますね。

何が違うのか?

苛立っていましたね。何にかにつけ・・。



当時のぼくには、世の中に蔓延る常識はまず疑うものであり、それはきちんと糾していくべき性質ものだ。ということが前提にあり、身の回りに”信用に足る”ものなど殆どなにもなかったような気がします。

「考える」ということに、深く染まっていった時期です。

(´-`*)y-゛

       ∞

すでにマルクス主義は過去のものとなり、「反抗的」な若者に行動の指針を与えてくれる。めぼしいカウンターカルチャーなど何もない時代に、世間と自分の位相を、常に対立軸の中に置いて考えていたわけです。



あの頃の自分と比べると、今の人たちは保守的ですね。

つまり「伝統的な価値」に縋って生きようとする姿勢が強い。

大人がすでに信じなくなってしまっている「スローガン」さえ、彼らにとっては、あたかもそれが純然たる現実のように受け止められてしまっている。



これは如何なものか?

       ∞

「伝統的な価値」の外側で、社会は激しく変貌し、これからも変貌し続けるでしょうし。今こそ必要なものは、新たな価値の到来を宣言する言葉や、行動や、様式なのではあるまいか?



昨今よく言われる「家族」「地域」「伝統」を重んじる大切さなど、この先、社会がどんどん進んでいったとしても、果たして変わらない姿で、残り続けるものなのだろうか?


例えば「転勤族」が家族や地域や伝統と、十分な繋がりを持ちうるだろうか?



核家族化や離婚率の高さなどが常態化し、エスタブリッシュメントを形成しつつある世の中に於いて、そのうえ従来の価値を唱え続けることに矛盾はないのか?


数え上げれ切りのないほど、ぼくらが信じてきた価値基準の空洞化は、進んでしまっているわけです。
       ∞


信じることよりも、疑うことの方がよっぽど容易い時代になってしまった故に、若者たちは「疑う」ことよりもまず。「信じる」ことの方を優先する。


現在は、そんな時代ではなかろうか。


平成の世の若者の”保守化”傾向も。

つまりは。


何時の頃とも変わらぬ。世相の映し鏡であり。


静かに時代と向き合う「抗い」の姿なのである。というわけです。

世の中にとって、今本当に必要とされるものであるのに。そこに決定的に欠けてしまっているものへ。
そこへ乾坤一擲。注ぎこまれるエネルギーの力それこそが、若さの所以なのではないでしょうか。


しかし「若さ」はまた。

何時の世も、愚直でひた向きであるあまりに、時に間違いの多いものであるということを、ぼくらは大人なることで、身をもって知っていくのです。

(*^^*)b








Last updated  Aug 17, 2009 08:36:46 PM
Aug 15, 2009
カテゴリ:哲学


映画「HACHI 約束の犬」が上映中です。

これ(映画館で)観てみたい気がするんですが、なんか(広告見てるだけで)観る前から号泣しそうな勢いがありますよね。(*^^*)b

本家・日本版「ハチ公物語」(1987年)は、子供の頃に家族で観に行って、涙を押し殺しながら観たおぼえがありますが、今回もキャッチ・コピーからやってくれます!

ベッドリッジ駅、午後5時。
駅にはいつも君が待っていた。


ま。↑別になんのヒネリもありませんが・・。(ベッドリッジ→渋谷)

しかしですね。

もう最後はハンカチをギュッと握り締めた緊急の状態で(><;)

ハチとリチャード・ギアの顔が全く区別がつかなくなってしまうくらい!

号泣してしまうのは間違いありません。о(><;)о








Last updated  Aug 15, 2009 11:04:10 AM
Aug 3, 2009
カテゴリ:哲学



今日というか(もう昨日の事になるのか)車のバッテリーが上がっちゃって。

ま、ちょうど場所がホテルの駐車場だったんで、レセプションに行ったらすぐに対応してもらったんですが、山ん中にある。ゴルフ場、温泉、各種施設付のリゾートホテルで(規模がでかい)、おまけに平日で晴れてたでしょ。

ヘッドライトがつけっ放しになってたの、誰も気づいてくれなかったみたい。

なんかね、人のせいにしてるみたいですが、笑。

長距離ドライブで、半分寝ながらね。(‐‐;)運転してましたのよ。(←アカンわ)

まあ。それはそれとして。ホテルのおっちゃん。どうもありがとう!

       ∞

ところで、このブログも半年続いているわけですけれど(ぼくは元々、めちゃ筆マメですが)まー、めんどくさいちゃー、めんどくさいですよ。

まるで宛名のない手紙を書いてるような、空虚感さえおぼえる始末です。

実際は、幾人かの、友人・知人の顔を思い浮かべながら、書いていることもあるのですが、どーも、変な話です。それだったら会って話しした方が早いわけですから。

なので、波打ち寄せる海に向かい、コルクの栓でキュッと閉じた。透明なガラスの瓶に手紙を詰め込んで、波打ち際に向かってスローイングでもするような。まるで孤島に住む老人のような気持ちなってくるわけです。

インターネット(とりわけブログ)とは、ある種の投瓶通信に過ぎず。

さしあたり。

「孤島と海の関係」について、ぼくらの暮らしの中に、一方的に割り込んできた、もう一つのロマンの形にしか過ぎないのではあるまいか?

などと思ったりするわけです。
(´ー`;)y-゜






Last updated  Aug 4, 2009 01:53:25 AM
Jul 30, 2009
カテゴリ:哲学



最近、仕事の必要に迫られて高分子学を勉強してます。特許の絡む事柄なので、どうしても必要なのですね。大学で勉強していたとか、そういう経歴はぼくにはないんですが、非常に面白いです。

そう言えば中学生くらいの時、ぼくはこの種の文献を図書館から引っ張り出し、熱心に読んでいた記憶があります。

そこでちょっとこんなことを思ったりしているんです。

十代の頃に何かを強く思ったり、考えていたりした事柄は。

たとえば。

後々全く関係のないような道へ、大人になってから進んだとしてもです。人は、人生の途上で、いつかは少年の頃に強く思い描いていた”あの思い”に。

必ず出会うものなのではないか?ということです。

少なくともぼくには幾つかのそのような経験がある。皆さんは如何でしょうかね。







Last updated  Jul 30, 2009 08:48:34 PM
Jul 21, 2009
カテゴリ:哲学



最近よく
他人の欲望に支配される自分について考えることがある

というのも

年を経るごとに
自分の欲望というものが
少なくなってきたと感じるためだ

欲望を失うことは
死を意味することなのだろうか?

他人の欲望に支配されることは
自分を失うことなのだろうか?

失うことは
恐れるべきことなのだろうか?

もっと言うと

「私」とは
何か欲望することで
存在するものなのだろうか?

かつてぼくにも
心底愛した女がいた

その愛が
自分の欲望のみに
突き動かされていたものなのだとしたら
彼女は
ぼくの欲望の対象でしかなく

そのことをもって
それを「愛」という言葉で表現するならば

ぼくは何かの
不吉な影によって

世界と人生と命と
自分自身を裏切ってしまったような
錯覚をおぼえる

無論
ぼくは色んな愛の形を知っている
家族 友人 同僚 隣人
また見知らぬ人々との
一期一会

ただ一つの愛など
この世には存在しない

それゆえに人は

他者と出会おうとするのだろう
例えそこに

まぬかれ得ない
裏切り行為が含まれていたとしても

自分の顔を
鏡の中に映し出すために

人は人を必要とし
そしてそれが
人が人としてこの世に生きていくための

最低限の
条件となるのだ






Last updated  Jul 22, 2009 01:12:40 AM

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