ゲニウス・ロキ

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政治

Sep 2, 2009
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カテゴリ:政治


民主党が大方の”予想通り”「圧勝」しましたね。

この「勝ち方」を見てると、次の流れが予測できるような気がします。
一つは自民党が衰退して、新しい党ができ、民主党に対抗する新たな勢力が形成されるという筋書きです。

自民党は古参の政治家が随分と落選したのと同時に、中堅、若手の今後を嘱望される人たちまで同時に失ってしまっているわけです。

これは党としてのポテンシャルを、著しく損なうことを意味していますね。

民主党に票が集まったのは、国民が自民党に「ノー」を突きつけた結果ですが、その背景にあるのは、加速度的に変化する社会や世界情勢を反映したものですが、民主党にその受け皿としての十分な準備があるとは、到底、言えません。

つまりいま国民が望んでいるのは、新しい国家のビジョンであり、それを保証する、安定的な社会システムの設計図です。


民主党にはこの長期的なビジョンと、設計図が欠けている。


しかしこの中・短期的な変化にすら、自民党は対応できない。

ならば民主党へ・・。

この、いささか消極的な理由が、民主党が得た票の性質であり、ならば今後、新党を含めた更なるムーブメントへ発展していくのではないか?

という、ぼくの分析に繋がるわけですが。

例えば、民主党の「高速道路無料化」などのマニフェストなどには”近視眼的”な景気対策(ポピュリズム)しか表現されておらず、今後この国の交通体系全体を、どう見直していくのか?こういった視点が欠如しています。

フェリーを営んでいる業者さんが煽りを食うなどとか、高速道路ユーザーとそうでない人では「優遇」にも格差が大きく現れるなどの他、謳われている文言と中身の吟味がよくなされていないことがすでに自民党の政策から明らかですね。


数多くある民主党が抱えるであろう今後の大きな課題のひとつに、公共事業のカット。


これは「公共事業」でしか食べる術がなかった地方にとっては雇用や経済の点において”致命的”とも思われるかもしれませんが、「地方再生」には本当に税金を投入するしか方法ないのか?

ここでは今後、国家ビジョンを動かす大きな転換点となるべき施策やその行動に必要性が迫られる場面があります。

すなわちハードからソフトへ、ハコモノからマンパワーへ。あるいは伝統とアイディアの融合などといったものです。

「投資」の対象を切り替えるべき時にきています。これは選ばれた選挙区に於いて、各々陳情を受ける「受身の政治家」から、自ら現場を歩き(誰にも到達できなかった)課題を発見し、創造的にリーダーシップを発揮する能動的な新しい政治家像が求められることを意味しています。

政治家が本来的に頼るべきものは、党や国会などではないのです。






Last updated  Sep 2, 2009 11:35:42 PM


Aug 27, 2009
カテゴリ:政治


昨晩友人が二人うちに来ていて、政治の話をしてました。(選挙も近いですからね)

ぼくは基本的にノンポリの”筈”なんですが、なんだか政治の話をしだすと、心のどっかが、まるでポットの中のお湯にグツグツと、電気コードがカチッと入ったみたいに、グーンと熱を帯びて熱くなってくるような気がしますね。

そういえば中学生のころ。

マルクス・エンゲルス全集を熱中して読み始めたのを皮切りに、政治や哲学・思想書、経済学に法哲学、文明論に歴史学、例えばフロイトから始まる精神分析学や。

さらにレヴィ=ストロースを入り口に、文化人類学へ入って、民俗学の柳田國男さんを経由しーの、今和次郎、南方熊楠さんや、渋沢栄一さん勝海舟etcといった具合に、まるで熱病のように読書に熱中した時期がありました。

このへんの読書遍歴を挙げていくと、なんだか切りがない感じしますが。

こういう読書趣味は、ぼくの周りには他に誰もいなかったので、自分だけ人とは違った特別な精神世界を形成しているような、ちょっと優越感に似た感情があったような気がしますね。

あのくらいの時期って、読書いこーる、自分の知らない世界に触れること、だったような気がするし、殆ど無自覚に、興味の赴くままイマジネーションの世界へ、自分の知的エネルギーを思いっきり飛翔させることができた、幸福な少年時代だったような気がします。

かといって。

一人図書館に篭り、読書する孤独な少年だったのかと言えば、クラブでは野球をやってたし、友達にラジコンが趣味のやつがいて、一緒にメカに凝ったり、近所のテニスコートを予約して、ラケットをぶんぶん振り回しにいったり。

近くに山があったので、カブトムシとかクワガタとか水晶とかアケビとか、自然の中に入って遊ぶ。なんてことも普通だった。

あと、ビックリマン・チョコのシールだとか、キンケシ(筋肉マンの消しゴム)だとかを集めて、珍しいやつを持ってると自慢できたり。笑(これは小学生の時ですね)

それからファミコンが出てきた、はしりだったので、スーパー・マリオだとか、ドラクエとか、ファイナル・ファンタジーだとか、ファミスタとかね。

一日一時間以内ってオカンに決められてて、不気味なほど熱中してましたよ。

中学2年生くらいで、パッタリとTVゲームはしなくなりましたけれどね。
(確かドラクエ4が出たかでない辺り)

なんだろうね。

今、大人でもゲームしてる人いるじゃないですか。これが、未だに俺にはよくわからないんだな。笑

でもこうやって、子供の頃を振り返ってみると、なんて豊穣で、夢中な世界を生きてきたんだろうって改めて思いますよね。

        ∞

ところで話を戻します。

昨夜、政治の話を友人としていたわけです。

思うにオトナの世界って殺伐としていて、なんか殺風景だなと思うことがフトあります。
やりたい事や言いたい事を、どっかでいつもセーブしながらの日々の暮らしなわけですよ。

子供ころ、大人は自由に何でもできて良いなって思った経験は、おそらく誰しも少なからずありますよね。

でも現実はそうじゃない。

だけどぼくらが子供の頃に持ったあの直感は、間違いじゃないと思うわけです。


人は自分の魂を、自由にする為に生きている

(*^^*)b






Last updated  Aug 27, 2009 11:29:15 PM
Jul 27, 2009
カテゴリ:政治



ぼくは投票権を得て以来、選挙は一度も欠かさずに参加しているのですが、今回はどうも気が進みませんね。ひとつは時代の相が随分変わってしまったのに、それに対応したシステムの改革が一向に進まない。

ぼくのこの感じはおそらく、こういう話に収斂できると思います。

現行の国家民主主義制度下に於ける、選挙制度そのものへの懐疑です。

一票の重みを実感できないという話は、いわゆる「無党派層」の投票行動(選挙にはいかない、興味がない、等)に対する”理屈”として言い古されてきました。

それに対して「一票を投じないことには、君たち何も変わりはしないのだよ」というのが、現行の選挙制度”擁護派”の「お説教」だったわけです。

与党・自民党のゴタゴタに乗じ、追い風に乗った野党・民主党が掲げるのが「政権交代選挙」です。

よくよく考えて頂きたい。民主党が素晴らしい政党だから国民の支持(世論)が傾いているわけではありませんね。

はっきり言いまして、現在の政治には、国民に選択肢というものすら「一切与えられて」いないものに成り下がっているわけです。

いいでしょうか?

今夜の晩ご飯を用意する為に、買い物によったスーパーで、ぼくらが目にしたのは腐ったお肉と魚、それにすっかりと変色してしまったニンジンやキャベツに、そして割れちゃった卵です。

一体、これでお腹を空かせた子供たちに何を作ってやれるというのでしょうか?

これが現在の日本の政治の真実の姿です。

この喩えをさらに敷衍すると、生産者→流通業者→小売店。このシステム自体が機能していないわけです。

ぼくらは取り合えず。すっかり変色してしまったキャベツを手にとり、レジに並ぶべきでしょうか?

あるいはスーパーの店長を呼び出し。厳しくこうクレームをつけるべきでしょうか?

「おたくのところの商品は何だ!」

おそらく店長はぼくらにこう伝えるしかないでしょう。

「今市場に出回ってる最高のものを並べました。他の店に寄っても同じことです」

このスーパー(選挙)で変なものを買う(投票する)くらいならば、ぼくらは健全な生活を営む為にもっと別の行動を起こすべきではないでしょうか?

1、まずは投票をボイコットする。
2、「霞ヶ関-永田町」にぼくらのお金を預けるの止める。
3、公共に資する新しい組織(=国家)をぼくらの手で作る。

これはあまりに突拍子のない、荒唐無稽な、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、その前提にある考え方は。

この社会をもう一度設計し直すという事。未来に向けたビジョンと思想の構築が急務であることは論を待たないところであり、そこには、ぼくらのあまりにもな、危機感の欠如と、このままではとても恥ずかしくて次世代へ未来へバトンを手渡すことなどできやしないという、憂慮があるということです。
(´ー`;)y-゜






Last updated  Jul 28, 2009 06:13:53 AM
Jun 16, 2009
カテゴリ:政治







ラグビーでは敵と味方のどちら側(サイド)でもないという意味で、試合終了のことを「ノーサイド」というそうですね。

つまり敵と味方に分かれて闘っていたもの同士が、「ノーサイドの笛」を合図に、敵味方の壁を越え、同じスポーツを愛好する同志として、互いの健闘を称えあうわけです。

さらにこのラグビーというスポーツは、その起源を遡っていくと、面白い歴史をもっています。ここでは深く立ち入りませんが「スポーツとその歴史」という観点から、何か語ってみたいという誘惑を感じます。

ところで、鳩山前総務大臣が日本郵政に絡んだ問題で辞任されましたが、彼の言う「正義」を通すなら、閣僚を辞めるべきではなかったと思いますね。

鳩山さんの意に反して、この”辞任劇”は、野党・民主党にフォローの風を送るものでしかなく。日本郵政の経営を巡る問題はさらに混迷を極め。見通しの見えないものになっています。

大体考えてみればわかると思います。この種の問題はトップをすげ替えれば片のつく問題かといえば、実はそうじゃない。

一般の民間企業でも割りに、この類の恥部の一つや二つは抱えているもので、それは現場で疑問ももたれずに”習慣化”されているか。あるいは権限を握っている人間が「不正」を握りつぶしているケースがあり。

実際問題として、経営トップにそのコンプライアンスに関する責任を、全面的に背負わせるには”酷な”面もあるという「事実」は否めないわけですよ。
つまり「改善」の為に”象徴的”にトップを変えることは、中身を伴わない策だというわけです。

小泉元首相の指揮下で為された郵政民営化で”図らずも”今回この組織が不正の温床であったことが明るみに出たわけですが。

しかしその薮(日本郵政)から、蛇(不正)を追い出した小泉氏本人が、今度はその手で蛇使いに化け。
蛇(不正)退治に出た鳩山さんが、その「蛇使い小泉氏」に手を噛まれるという妙な構図が生まれていますね。

古屋敷・自民党内では”小泉”という名の「亡霊」が色んな(”世襲”問題しかり)ポルターガイスト現象を引き起こし、飛び跳ねるはずもない鳩山前総務大臣の椅子もひっくり返したというわけですね。

かつて国民的人気に支えられた小泉純一郎氏。引退するならパリッと綺麗に身を引いて欲しいものです。多分この人には「ノーサイドの笛」は聞こえず。

「息子」という名の楕円形のボールを抱え、私情の為のタックルとパスを繰り出し、トライも諦めないというわけです。この執念を国民が支持したとはいえ、まさに”諸刃の剣”とは、このことにあるわけです。






Last updated  Jun 17, 2009 01:11:07 AM
May 25, 2009
カテゴリ:政治




この春”流行”の新型インフルエンザのことなんですが、世界保健機関(WHO)の見解によると、感染者のマスクの着用は「必要」非感染者は「必要なし」だそうです。

どうも日本人は「マスク」というものに対して、誤った”信仰”を持っているのではあるまいか?そのへんのところを、今日は検証してみたい感じがします。

ところで歴史上、日本で最初にマスクをした人は誰だか皆さんご存知でしょうか?言うまでもありません。伊達直人こと”タイガーマスク”その人です。

おいっ、何だ!?そりゃ梶尾一騎の漫画の主人公じゃねーか!このインチキ野郎!
(`э´*)/


この種の罵声とともに、飲みさしのコロナの瓶が飛んできそうですが、話は最後まで聞くものです。ここは場末のキャバレーではありません。
宜しいでしょうか?

ところで「タイガーマスク」と言えば、今の若い人は知らない方が多いかもしれませんが、「明日のジョー」「巨人の星」に並ぶ、梶尾一騎さんの代表作の一つに数え挙げられます。

しかしこの漫画。漫画と侮るなかれ、その内容は大変に示唆に富んだ、複雑なテーマが含まれており、主人公である伊達直人その人は、紛れもなく子供たち(孤児たち)のヒーローでありながら、自らも大人社会の矛盾の中に身を置き、葛藤の中で戦うという非常にリアルな世界設定の中で話しが進んでいきます。

そしてこの漫画には、日本人の持つ「マスク信仰」の原像が、ありありと描き出されており、その「タイガーマスク」の”ラストシーン”には、日本の社会が持っているある種の”悲劇性”を余すところなく表現するものとして、特筆に値するものとして記憶されるわけです。

かなり話が理屈っぽくなってしまいましたが、あからさまなネタバレを含むといけないので、このへんにしておきましょう。

ところでぼくはこの論考で、日本人がなぜかくもだらしなく”マスク・フェチ”になってしまったのか?いや。もっと論旨を明確にするとですね。

今回の新型インフルエンザ流行と、マスク騒動の関係は、非科学的な行動に基くものであり。その下敷きには、日本人の原像にある「マスク信仰」を図らずも浮き彫りにしたというこの事実によって、暴き出されてくるわけです。

そうして今日もぼくらは”いつものように”マスクを離せないでいる日本人の悲しい素面を見つめながら、ノッチな一日を今日も過ごしてきた、というわけなのです。
(´ー`*)y-゜






Last updated  May 26, 2009 12:29:57 AM
May 17, 2009
カテゴリ:政治
民主党の代表が鳩山さんに決まりましたね。まぁー、色んなことを言われておりますが、仮初めにも日本の”2大政党”の(与党・自民党に代わりうる)もう一方の政党です。
やってもらわなければ困りますね。

ぼくは割りに鳩山さんって言うのは、この時代の水に合った政治家として、その業績が後世に語り継がれるくらい、立派な仕事をされるんじゃないかと踏んでるんですが、世間の評価はあまり高くないようですね。不思議な感じがします。

ところで最近、ぼくは編み物に凝っておりまして、今、マフラーに挑戦しているところなんですが、こうなんていうんですかね。

編の目の中へ、片っぽの糸をキュッ、キュッと送り込んでいく作業は、なんだかスパイ小説か、はたまた、映画の中のカーチェイスだかを見ているようなスリルがあって、ひと編みごとにプチ・カタルシスが訪れるんですね。

それでもってその体内浄化が終わると、邪まなモノが消え去りますよね。
そしたらば次は無の境地が訪れるという順番になっていて、ぼくの感じだと、例えばお経を唱えるだとか、座禅を組むなどとかよりもずっとなんですかね。
仏教的な行為のような気がしてくるんですよ。編み物がですよ。

そうするとですね。今度は情操教育の一環として、例えば子供に編み物を教えるとか。そういうことも案外良いんじゃないかなどという発想が出てきたりするわけです。

最近、家庭菜園が流行ったりしていますけれど、”外注化された”衣・食・住を、もういっぺん自分の手に取り戻し、生活の基本に立ち返ろう!という。
そこにはなんとなく、こういう雰囲気が時代の空気に流れているような気がするんですね。

”ギフト経済”という概念がありますね。昨今叫ばれている共同体の力を取り戻す鍵が、ここにはあるような気がしますね。

つまり。手作りのトマトと、手作りのカバンを、物々交換することで生活が成り立つシステムです。そこでは時間と役目の交換という原則だけが働き。

貨幣。つまり、これまでお金というものが媒介してきた経済活動一般。富の蓄積や、権力の形成、価値の画一化に寄与してきた(アダム・スミス流の)市場というものも必要なくなります。これは近い将来可能だと思いますね。

こういう社会が実現すればむやみな競争はなくなりますし、競争がなくなれば格差がなくなります。人々は自分の役目を果たすことに生き甲斐を覚え、より多様性に満ちた、豊かな社会の実現に夢と希望を持つことでしょう。

鳩山さんがボンヤリとビジョンされている「友愛」というキャッチの未来図は、こういったところに端緒を持つ、今、非常に真っ当に響く思想の一つじゃないでしょうか。

そこに人々の多くの想いや行為が集れば。それはもう、手の届く向こう側にある未来なんですよ。






Last updated  May 17, 2009 08:17:54 PM
Mar 30, 2009
カテゴリ:政治
昨日、6年来の知り合いのアクセサリー・デザイナーさんが、東京に2店舗目を出店されるということで、行ってきました。昨日は車の免許の更新があったので、その足でワタクシ、彼女のショップを訪れたわけですが、ちょうどぼくが立ち寄った時”常連さん”と思しき女性がいらして、こういう話をされていました。

「本物は認められるのよ」

ぼくはその言葉にいたく感動しました。彼女がまだ”駆け出し”の頃「独学」で自分の事業と向き合っている姿を見ていたから、その彼女の人柄と作品(商品)が、多くの人たちとの出会いを引き寄せ、生んだのだというその事実に心動かされたわけです。

まだ独身なので、素敵なパートナーに恵まれれば尚好いのでしょうが、人生、「全て」を手に入れるということは、なかなか困難だというのもまた事実ですが、良縁は良縁を呼ぶ、ということも、また真理だと思うわけです。
彼女が自分の人生の畑を耕し、種を撒くという”作業”を、これからも続けていく限り、幸福という花は、咲きほこるのでしょう。

ところで「カゴメ」という会社がありますが、この会社は株主構成ということに早くから着目し、個人保有率が99パーセントを超え、そのうち女性が55パーセントで、約3分の1が専業主婦であるということに特色を持っています。
企業の使命は社会にどのようなサービスを提供するか、或いはできるのか。ということが、第一の存在理由です。

製造業者の特色は、大きく言って2つに分かれます。すなわち、生産者主導型と顧客主導型です。カゴメという会社は業態という特性もあるでしょうが、後者に分類される企業ですね。株主(顧客の声の反映)と企業(サービス提供者)が一体となって、事業を作り上げる。これは一つの資本主義社会に於ける企業と社会の理想型に近いモデルと言えるでしょう。

しかし問題は、日本でも珍しくなくなったM&Aに於ける、敵対的な買収などといったバイアスがかかることで「良好な関係」を保っていた株主と企業の間に亀裂が走ることです。現行の法の下では、そういった事態に直面した際、企業内での努力ではどうにもならないケースも、想定できますね。つまり投資というものが、単なる利益誘導のための権力の行使に過ぎないものになるという状況を生み出してしまうことです。

サブプライムローン以降、ぼくらに提起されている多くの問題は、こうした経済活動の結果生まれる「利益」と社会の関係が、そこに暮らす人間。つまりぼくら一人一人の幸福と、どうかかわりあい結びついているのか。これをもう一度考えなおしてみる必要性があるということです。経済活動そのものが社会を破壊してしまうという制度の下では、未来に希望を見出しながら生きるということが、困難なことになってしまう恐れさえ、生み出しかねないということです。

ぼくはここで些か悲観的な論考を展開しているようにみえるかもしれませんが、これは大きな誤解です。今、暮らしの端々に見え隠れする幾つかの問題は、ぼくらに考える手掛かりと、行動のきっかけを生んでいるという点で、戦後、日本と世界が抱えてきた「文明の問題」を整理し、新しい時代のための助走と跳躍の為の大きなフィールドが用意されたと考える方が正解です。(´ー`;)y-゜













Last updated  Mar 30, 2009 08:50:18 PM
Mar 5, 2009
カテゴリ:政治
小沢一郎民主党代表の秘書が、検察にしょっ引かれるという「事件」がありましたね。
その小沢氏は「権力の乱用」だ、みたいなことを言ってますが、一部のマスコミ報道では、東京地検特捜部は「異例の捜査」に踏み切った。
などという表現を使っているケースもあります。

第4「権力」としてのジャーナリズム(マスコミではなく)が、こうした事件に際して着目すべき点は、おそらくこういった権力の構図を読み解くことにあるんだと思います。

今出てきている情報というのは、おそらく事実に近いもので、今後焦点になってくるのは、小沢氏がどこまでそれを把握していたのか。この事実関係が明るみにされることと、その責任論へと発展して、政局に少なからず影響を与えるのでしょう。

いくら東京地検特捜部が、小沢氏の言葉を借りれば「権力の乱用」を行ったとしても、まったく架空の話をでっち上げて、”それ”をなんらかの違法性によって起訴することなんてできないわけです。

問題は、地検が動きだす「タイミング」と「相手」ですね。
ここに恣意性が働いていたとしたら、これは権力の乱用です。つまり、検察庁の悪は、誰が裁くのか?という問題がここにはあり。
そしてここにジャーナリズムの使命がある。
そもそも検察庁は必要か?などももっと議論されていいと思いますね。

それにしても、田舎のゼネコンの政治家への「献金」と、カルト教団に於ける、崇拝する教祖サマへの若者の「お布施」の違いを、まだ誰も明確に説明することに成功していないのであるまいか?
というこのへんの疑問は、やはり最後には残ってくるわけです。









Last updated  Mar 6, 2009 12:21:12 AM
Feb 27, 2009
カテゴリ:政治


今の世界をざっと見渡すと、3つキーワードが浮かび上がってくるような気がします。

一つは「自己防衛」二つ目は「温故知新」そして最後に「フロンティア」

これを端的に表現しているのが、アメリカ合衆国という国がすすめている、現在の政策じゃないでしょうか。

先だって日本政府は、オバマ政権の「グリーンニューディール」含めた経済協力に合意しています。そしてこの協力内容の中には、「保護主義に反対し、WTO交渉を早期に妥結させることの重要性」も謳われています。

しかし合衆国では、国内の景気対策法で、自国製品を優遇する「バイ・アメリカン条項」が盛り込まれました。

この条項には、今後1年間は保護主義的な措置は取らない。2年間という期間を設ける、という条件が付きますが、このあたりのバランス感覚には、過去の世界大恐慌の教訓と、当面の自国の産業の保護という、ダブルバインドが働いていますね。

このアメリカ合衆国の姿勢を、例えばボクサーのリング上での動きに譬えると、まずは基本通りにガードを固めつつ、相手の出方を見てジャブを打つ、そしてカウンターをテンプルに真っ直ぐブチ込むチャンスを待っている、といった感じでしょうか。

はっきり言って、観ている観客の方は、退屈きわまりないチャンピオンの緩慢な動きに、ブーイングの一つも言ってみたくはなりますね。

観衆は、チャンピオンの猛烈なラッシュの前で、コーナーポストにもんどりを打って倒れこむ挑戦者(不況)の姿を見たいわけです。

アメリカ合衆国(チャンピオン)のセコンドをつとめる日本の立場からすると、ラウンドが終わる度にコーナーへ戻ってくるチャンピオンの動向に気が気でないわけです。
やれスポーツドリンク(国債)はまだか?右目の上の傷(イラク、アフガニスタン)が痛むんだが、処置(資金)を頼むだの。

しかし日本もプレイヤー一人としてリングに上ってるのでは?という向きもあるでしょうが、それは無茶な話です。日本はプロボクサーとしてリングに立てる資格、つまりライセンスを持っていません。北朝鮮などは4回戦ボーイですが一応、ライセンスは取得済みです。

日本が自らコブシを固めて戦える場所。それはリング(既存の国際社会の枠組み)の上にあるのではなく、フロンティア(新しいパラダイムの中)にあります。
しかしそのフロンティアとはどこか?そんな悠長な自問に耽っている時間など、そう残されていないのも、また事実なのです。











Last updated  Feb 27, 2009 08:14:47 PM
Feb 14, 2009
カテゴリ:政治
麻生さんの「郵政民営化は賛成ではなかった」発言で、小泉さんが怒る。小泉さん本人は「笑っちゃう」などと現職の首相に「上から目線」の発言をされてますね。

もう引退するんだからいいじゃん?というがぼくら庶民の感覚だと思うんですが(小泉さん)本人は最後の花道に泥でも撒かれたような気分にでもなったんでしょうか。

つまり影響力を保ったまま、かっこよく引退したい。そんなシナリオに水を差されてカチンときちゃった。そんな穿った見方も出てくるような気がします。

人間らしいっちゃそうなんですが、さらにこんな発言まで出てきます。「これから戦おうという人に前から鉄砲を撃っている」引退を表明してる人間が言うか?って話ですけれども、彼なりにこの言葉で大義名分を込めたつもりなんでしょう。
ちゃちいーですね。黙ってた方が器の大きさを感じるというものです。

それも小泉さんが腹いせのように「定額給付金の再可決に異議」を唱えるという、コドモの喧嘩じみた事態を呈してますが。

いかに国政が政局中心の、本音と建前の保身で成り立っているかがまたまた浮き彫りになった形ですね。こんな厳しいご時世にですらですよ。

ぼくの知る限り日本郵便は会社の士気も高くないし、出てきた分割案も組織作りの労力や、(ライバル会社に比べて)設備の不備は明らかで、市場で戦える組織ではないのは明らかです。

道州制や地方への権限の委譲を含めて”地方分権”をすすめるべきだという知事さんが注目を集めていますが。これもまた、法の整備や地方格差といった、新たな難問と向き合わないといけないという意味で、国民に犠牲を強いる道であることには変わりありません。

派手なパフォーマンスを煽られた、ポピュリズムに陥る危険を、市民は常に警戒しなければならないと思います。何せうまくいかない事は、すべて霞ヶ関のせい、中央の政治が悪いんだといっておけば、自分はクリーンだというイメージを醸成することができるわけですから。

ではどうすれば、政治が国民のものになるのか?現行の民主主義の至らない部分は、どうやったら補うことができるのか?翻ってそもそもどういう国家を目指すのか?未来をどんな世界にしたいのか?ぼくらは自分自身に問うことも必要であるし、意見を反映させる場や、国政に繋がるチャンネルを増やしていくことも必要であるような気がします。






Last updated  Feb 14, 2009 10:59:32 PM

全10件 (10件中 1-10件目)

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