悪夢の学院生活<悪夢の学院生活>1999年7月からソウルの学院で働きはじめました。 英語の学院としては韓国の最大手で、日本語もおまけ?でやっている学院。 日本人は専任、非常勤あわせて13人くらいの大所帯。 もう2度としたくない、思い出しても、つらい、日々でした。 授業は朝の6時30分 ~ 8時20分 9時 ~ 10時50分 11時 ~ 12時50分 2時 ~ 3時50分 4時 ~ 5時50分 6時 ~ 7時50分 8時 ~ 9時50分 2時間一コマの授業を、3コマ、6時間しなければなりません。 レベルは1から5まで。1ヶ月に二つのレベルを担当します。1ヶ月毎にクラスが変ります。 時間割りは主任が決めます。 最悪の時間割りはダブルスプリット。朝6時半から働き、 11時からの授業と、夜は最終の授業を受け持つ。 朝の6時半から夜の10時まで、昼寝をする時間も中途半端で無い。 最悪の時間割り。この1ヶ月はつらかった。 時間もつらいけど、違うレベルを3っつ持たされたときも、泣いた。 3っつも毎日、毎日、準備できないよ。 夜の10時に授業がおわり、朝は5時おきですよ。 どうやって、準備するんだ。 週末にまとめて、5日分のドリルをワープロに打ち込む。 宿題はその日にチェックする。 当時の教科書にはドリルがなかったので、学生にペアワークをさせたり、ロールプレイをさせるためのドリルは、自分で作らなければならなかった。毎日、授業が終わったら、教科書を眺めて、ワープロにひたすらドリル練習を打ち込む。 文法説明もどうすればいいのかよくわからないので、文法書を探して、勉強、勉強。毎日、ひたすら働いた。 1ヶ月が終わると、また次の新しいレベル。 1ヶ月が終わると、学生に再登録をさせて、登録をしていない学生には電話をかけて勧誘。教育と営業活動を一緒にしなければならない。 学院の先生たちの平均年齢は当時、26、27歳? 私が大幅に平均年齢アップに貢献していた。当然、親しい先生はいない。 わからないことだらけで、聞きたいことがいっぱいあるけど、先生たちは私のようにいつまでも、学院の机にしがみついていない。こわーーい主任に恐々きいて、また、怒られたり、生きた化石だと言われたり・・・ ほんと、ろくな思い出は無いぞ。 チュンチョン時代の方が、ソウルの町でよく遊んでいた。 ソウルに来てから、ソウルの町へ遊びにいくことなんかほとんどなかった。 1年の契約が終わる頃、延長するか、辞めるか、またまた 悩みの季節がやってきた。 韓国に来て2年経つのに、相変わらず韓国語は全くできない状態。 読めるようにはなったけど、会話は成立しない。 ソウルで働いて、ボロボロに疲れきって、少し休んで充電もしたい。 大学付属の語学堂に通って、韓国語の勉強をしながら、パートに変えてもらって4時間勤務にしようか、と考えた。 夜だけ4時間パートにしてほしいと言ったけど、夜だけの授業は保障できないと言われ、 それなら、と 辞めることにした。 私の契約は7月からの1年だったので、7月、8月は夏休みにはいり、学院のかきいれとき。それではと、忙しい2ヶ月だけ延長することにした。 次へ ジャンル別一覧
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