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ソウル生活〜

ソウル生活〜

車椅子の日本語教師

<車椅子の日本語教師>


日曜日に退院して、偽ヨンの車で帰ったが、立って歩けないので
部屋まで入るのに苦労した。

偽ヨンがおぶろうとしたが、足が下へ下がるといたいので
おぶってもらうともっと、痛い。

左足を90度、体と垂直に揚げて、歩くしかない。
部屋の中では、おしりではいずって移動した。

左足は上に挙げて。

退院した日に中国人の仲良し先生が旦那と一緒に、おかず、ご飯、電子レンジをもってきてくれた。一人で部屋の中で食べられるようにと。

韓国人教え子はお母さんが作ってくれた、「牛の足の骨のスープ?」(早く骨がくっつくらしい)を持ってきてくれた。

これでなんとか1週間過ごせる。

木曜には日本からつきそらが来てくれる。

と安心したとき


問題がまた、持ち上がった。授業の代わりを頼んでいた、韓国人教え子が「これ以上授業はできません」

と白旗を揚げたので、水曜日から学校へ行かなければならなかった。

しかし、自分の部屋にいてもトイレも満足に行けないのに、どうやって学校で授業ができるんだ。

学校側は3階にある私の会話の教室を、急遽図書室に移してくれた。
図書室は1階の学校の校舎の入り口にあるので、歩くところが少ないから。

問題は水曜日の朝、どうやって学校に行くか?

相方に頼んでうちまで迎えにきてもらうしかない。何も一人でできないので、気持ちはブルー、一人で落ち込み、一人で泣いた。日本に帰りたーーーい。

でも、一人では日本に帰ることさえもできない。

学校内では車椅子を使うことにした。
レンタルしてもらい、水曜日から車椅子に乗って授業をした。

1日車椅子にすわっていると、お尻が痛い。
手術をした左足もしびれてくる。
授業をしているのに、一人もぞもぞ動くこともできない。

かと言って、立つと、左足がもっと痛い。

3月に新学期がはじまったばかりなので、1年生、2年生(非専攻)は初めて日本語の勉強をはじめたところなので、教室内での指示用語もわからない。もちろん、私とは親しくはない。

車椅子に座ったまま、生徒に板書をさせ、プリントを配らせ、ホワイトボードを消させ、

口頭だけの日本語で一日が長かった。

だって、一人で水も飲みに行けない。トイレもいけない。

至る所に段があり、車椅子に乗るのも初めてだから、車椅子の運転も下手。

私が一人で何かしようとしていると、必ず生徒が手伝ってくれた。
が私の意志を伝えるのが、またまた、大変。

骨をクリップで留めたので、ひざを切って縫い合わせた傷口を毎日消毒しなければならない。そこだけ、ギブスに窓をあけているのだ。運がいいことに?学校なので、保健室がある。保健室にいけば保険の先生(元看護婦)が手際よく消毒をしてくれた。

木曜日からはつきそらがきてくれたので、つきそらと一緒にタクシーに乗って通った。私の部屋から、タクシーが通る道路まで普通に歩くと5分くらい。しかし、松葉杖でよろよろ歩くと15分くらいかかった。

松葉杖で立ってタクシーを待っているときにも、後からきたアジュマが私たちが止めたタクシーを奪おうとしたこともあった。

気の強いつきそらは、そんなアジュマに戦いを挑み、いつも勝利した。

松葉杖で立っている人間から、タクシーを奪うってどんな根性かい?

しかし、当時仕事をしていたつきそらは1週間したら日本に帰らなければならない。また、一人でどうする?まだまだ、トイレに行くのも大変状態。

また、一人部屋で泣いた。私は何にもできない人間なんだ。

すると、中国人ネイティブの仲良し先生が、自分のアパートに来いと言ってくれた。彼女は自分の車を持っているので、彼女と一緒に学校へ行き、一緒に彼女のアパートへ帰って、ご飯をたべさせてもらえばいい。ついでに洗濯も。

喜んで彼女のアパートに行った。ご飯をたべさせてもらい、学校までつれていってもらい、洗濯もしてもらい、ずいぶん世話になった。

4月になると、つきそらは仕事を辞めてフーテン稼業になった。

つきそらにまたソウルにきてもらい、自分のアパートに帰った。

つきそらはソーシャルワーカーなので、患者の面倒をみるのはうまい。上手にトイレに行く方法や、上手に靴を履く法などを教えてくれた。

7週間、車椅子に乗ったまま、授業もなんとかすることができた。

お昼ご飯も一人で食べにいけないので(食堂は地下)いつも生徒に昼ご飯を運んでもらった。お昼休みには一人でどこへも行けないほしそらを心配して、生徒が散歩に連れていってくれたりもした。

ふだんは挨拶をしても無視する先生も、車椅子にのっているほしそらを見ると、車椅子を押してくれたりもした。

今考えると、ずいぶんいろいろな人にお世話になった。

当時は思考回路まで止まっていたようで、よく泣いた。

一人でできなくて、悲し泣き、誰かに助けてもらって、嬉し泣き。

病院での付き添いさん、どこかのお嫁さん、学校の先生、生徒、学校の守衛のおじさん、老師(中国人の先生)学院時代の教え子、つきそら

守衛のおじさんは、ほしそらが一人でタクシーで学校に乗り付けると、車椅子をもってきて、抱き上げて座らせ、車椅子をおして図書室まで行ってくれる。

あの時仕事を辞めないで、続けられたのはみんなが助けてくれたから。

だから、今もこうやって仕事ができてるんだ。韓国に来て、一番感謝の気持ちを感じたときだった。

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