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ちょっと前に、NHKの朝の情報番組「あさイチ」で部活を特集していた。
街角でインタビュ-している中で、あるお母さんが、 「部活は大変だった。でも忍耐力を学んだ。社会に出て働くことは、大変なことも多い。その基礎を作ってもらった。だからうちの子もそれを学んでほしい」 細かいニュアンスは忘れたが、そんなようなことを言っていた。 この発言で違和感が2点 1)部活って、忍耐力を学ぶためにやるのか? 2)働くことは大変で、我慢することが多いのか? 2)については、確かに働くことは、決して楽しいことばかりではない。今日は仕事したくないなあ・・・ということはある。 しかし、何が何でも我慢してやるものではないと思う。 我慢ばかり強いられる仕事は、多分続かないでしょう。 こういう労働観だと、自分の時間を切り売りして、大変なことを我慢して働いて、その結果お給料をもらうと言うことになり、要は我慢の代償、つまり給料は権利だと言うことに。 だから、休日はストレス発散。月曜からはまた忍耐の日々・・・ 言い過ぎかもしれないけど、そんな人生って・・・ 周りの大人がそんな労働観だと、そりゃあ 「働いたら負けだと思ってる」 という子供が出てきてもムリはない。現にいるし。 働くことってなんなのか? 確かに日本国憲法では、労働の義務をうたっている。 しかし、自らが働くことで価値を生み出し、それを社会の人々に受け取ってもらうこと。 その対価が金銭で返ってくる、そういうことなのではないだろうかと。 自分が働くことで生み出される価値ってなんなのか? それによって、周りの人にどう役だってもらえるのか? そういうことを少しでも考えられるようになると、働くことは決して我慢の代償ではなくなると思う。 そもそも、我慢の代償と思って働いている人に、周りは集まるだろうか? AIがますます普及するだろうという時代に、そんな気持ちで働くなら、ムリしなくていいよってならないか? 働く人も減ってくるから、現在は売り手市場と言われるが、やはり買い手側はシビア。 他に代替が効くなら、いつでも替えようと思ってる。 そんな時代に、従来の労働観でいいのかどうか? 考える必要がある。 半ば常識とされていたことが通用しなくなってくる時代に入っているのだから。 ところで部活の目的だけど、そのスポーツや活動が楽しい。仲間と一緒に何かを作り上げていくのが楽しい。 これが本来の目的だと思う。 そう思えないなら、ムリしてやらなくても良いと思う。 ちなみに東京は、高校入試の内申に部活の記録は影響しません。 一部私立で、加点がある程度。でも都大会クラスでないと影響ありません。 平成30年5月16日(水) 大田区松栄塾 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.05.16 20:50:25
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