それは
わからないところを丁寧に教われば、それだけで成績が上がるわけではない
ということ
「わからない」にもいくつかパターンがあって
1)あるところまではできたが、その先がよくわからない
2)単語や漢字など、ちょっと調べればわかることがわからない
3)初見でわからない。
1)が理想。
キチンと勉強している証拠
解決した後、しっかり復習なりまとめておくとさらによい
2)はツールを与えたり、調べ方を教えれば90%以上は解決。
ただ、コミュニケーションの手段として、全く突き放すのは野暮。そこが教えていての醍醐味。
3)これがある意味一番問題
解決後、1)のように後処理をしてくれれば良いが、
大概が、「ああ!そうか!」
で終わって、後はそのまま
これでは3日も経てば忘れるコースへ・・・
もっとひどくなると、考えるのめんどくさいから、代行してもらう
となりかねない。
実際、個別だとこのパターンは結構多い。
生徒は、わからないところを聞ける安心感
講師は、それに答える満足感
親御さんは、うちの子がよくわかると満足
一件落着・・・
と思えるのだが、実は何も解決してないことが多い。
これで思ったように成績が上がることが意外と少ない。
で、しばらくして、
先生は丁寧に教えてくれない
うちの子に、あそこは合わないのでは?・・・
となりかねません。
わからないところを教わる というスタンスは理想的なのだが、それは生徒も先生も事前や事後の準備が必要なわけですが・・・
結局、
わかったつもり
できたつもり
が量産されるのが大半です。
だからこそ、うちも昨年の春から切り替えました。
わからないところはもちろん教えますが、基本的には自分で取り組むので、ならば自習とどう違うの?と言われかねませんが、
すべて自分でペースを作るのか?
ある程度コントロールしてもらえるのか?
が大きな違いです。
また、そういう場の雰囲気を売っている というのもあります。
この目に見えにくいものに、どれだけ価値を見いだしてもらえるのか?
その勝負でもあります。
まあ、それに合わなければ合うところに移ってもらえば良いだけで、
私はこれでいいと思っているからやっているまでです。
そもそも最大で10数人がバラバラにやっているのを滞りなく回すのは、それなりの技術がいるわけです。とはいえ、ことさらにアピールすることでもないですが。
閑話休題
とにかく、最終的には
自分の頭で考えて手を動かさないことには、絶対に成績は上がりません。
丁寧に教わるのは手段であって、目的ではないのです。
そのためのお手伝いをしているのが、うちのやり方です。
なんとなく来て、決められた時間座って、先生の指示に従ってればなんとかしてくれる
というのは、うちには合いません。
お為ごかしに何とかしようとも思いません。
生徒たちは皆かわいいです。
かわいいからこそ、将来の自立を考えてやっているわけです。
自分の頭で考えて勉強する習慣がないと、高校以降で確実に詰まります。
だからこその、このやり方です。
平成30年11月15日(木)
大田区松栄塾
03-3727-8268
syoueizyuku@asahinet.jp
Twitterアカウント @syoueizyuku
ブログの更新は、毎週火、木、土の 午後8時頃の予定です